千曲川のうた

日本一の長河千曲川。その季節の表情を詩歌とともに。
人生は俳句と釣りさ。あ、それと愛。

くさぎ

2019年01月11日 | 千曲川の植物


秋、千曲川の堤防に沿って歩いていると、石積みの隙間から木が生えていた。丈も低く特に特徴もない樹形だったが、なんとも奇妙な形の実を付けていた。結構長く俳句をやってはいるが、動植物の名前や生態には疎い。ひと枝折って家に持帰る。
こんなときは講談社ブルーバックスの「樹木検索小図鑑」である。「秋~冬」の巻を出して検索表の「果実からひく」を見る。イラスト付のフローチャートみたいになっていて、YES/NOの分岐を繰返していくと、その木の名前が判るというスグレモノだ。

葉がついている→葉は裂けない→単葉→広葉→対生→果実に羽なし→果は割れない→茎は蔓でない→果実は頭状でない→果実に柄あり→茎に針なし→果実は下垂せず→果実は集散状につく

という具合に辿っていくと →クマツヅラ科「クサギ」に至るのである。
しかしこの検索、実際は難しい。人生のように複雑な分岐点の連続で、必ず途中でわからなくなってしまう。だから検索表ではなく図版のページをぱらぱら見てさがす方が手っ取り早いのだ。持帰った枝が「臭木」であることも、実はぱらぱら検索で見つけたのだった。
独特の臭気があるので「臭木」と呼ばれるそうだが、季節のせいか私のアレルギー鼻炎のせいか、特に匂いは感じなかった。「へくそかづら」よりはマシだけれど、気の毒な命名だと思う。こんなに可愛らしい実を着けるのだから、もうちょっとなんとかいう名前を付けてやりたいものである。



 ここで「カラマーゾフの兄弟」にスメルジャコフという人が出てきたことを思い出したが、名前以上のことは記憶がないので、オチはつかない。

  旧道の石垣古りし臭木の実   古川芋蔓



だいこんずし

2019年01月11日 | 千曲川とは無関係


北陸は発酵食品の宝庫だが、なかでも有名なのが金沢の蕪鮓(かぶらずし)。塩漬にした蕪に鰤の薄切りを挟み、麹に漬けたものである。蕪の漬物でもあるけれど、鰤の方に注目すれば熟れ鮨の一種ということになる。季語で言うと鮓は夏のものだが、蕪と鰤は冬で、当然蕪鮓は冬季である。
材料にはヴァリエーションがあり、写真のものは大根と鯖で作られている。これは金沢市粟崎町の割烹「あすなろ」自家製で、とてもおいしい。

  蕪鮓一箸つまみ廓町  沢木欣一

吉田健一の「金沢」は幻想小説とでも呼べば良いのだろうか。読始めてすぐ退屈だなあと思うけれど、これがやめられない。退屈の種類が違うのである。話の内容はどうでもよくて「吉田健一の『金沢』を読んでいる」という状態そのものが心地良いのだ。だから何度も読返した本だけれど人に内容を伝えるのは難しい。
この小説に、金沢の人は日々の暮しに「手を掛けることを嫌わない」という話が出てくる。しかし手を掛けた跡が残るのはいけないのだともいう。きっと、この大根鮓だって随分な手間暇が掛っているのだろう。

月見草の越冬

2019年01月11日 | 千曲川の植物


 これは河原にたくさん生えているオオマツヨイグサ、いわゆる月見草である。葉を地面に密着させ放射状に拡げて冬を越すのだが、この状態ををロゼットという。(ロゼットと聞いて白子さん黒子さんを思い出した人はもはや老人の部類である。)
 ロゼットで冬を越す草はいろいろあるが、オオマツヨイグサは何と言っても鮮やかな赤が目立つので、雪の間にこれが見えると印象深い。やがて春の日差しを浴びると次第に茎を掲げて伸び、平凡な雑草になってしまう。



 そして黄色い花の咲く頃には人の背丈を越え、猛々しい感じすら与える。
 季語としての「月見草」は花の時季である夏ということになる。ロゼットは冬から早春に見られるので、俳句に詠むなら「冬草」とするのが順当であろう。単に「冬草」と詠んだだけでは上の写真のような印象は伝わらないけれど、それを丁寧に説明するのは必ずしも俳句の役目ではない。

冬草や会へばはげしきことを言ふ  夏井いつき


千鳥

2019年01月11日 | 千曲川の鳥


千曲川右岸。
ついさっきまで、この写真のちょうど中央の位置に千鳥が一羽いた。千鳥も、人が近寄るのをぼんやり待って写真に撮られるほど間抜けじゃないので、ここには写っていない。声も立てずに飛び去って瀬波に紛れてしまった。どうか平凡な護岸工事の写真と見ず、「不在の千鳥」の写真と思っていただきたい。
しかし写っていたところで、どうということもない。私には、それほどの魅力のない鳥である。(千鳥愛好家のみなさん、すいません)。
小さくて特に美しいわけでもなく、鳴声も平凡。だが日本文化はこの鳥を不釣合いなほど珍重しており、さまざまな意匠にこの鳥のモチーフが使われている。そして文芸の世界ではメジャーバードだ。なにしろ最初に千鳥を詠んだのはニニギノミコトだそうで、それから紀貫之の「川風寒み」を経てサトーハチローの「目ン無い千鳥の高島田」に至る。当然、誹諧時代から夥しい千鳥の句があり、また秀句も多い。

 星崎の闇を見よとや啼千鳥  芭蕉

私が最も心惹かれるのは下に掲げる青畝の句である。

 いりあひの鵆なるべき光かな  阿波野青畝


ハルザキヤマガラシ

2019年01月11日 | 千曲川の植物


春から初夏、川岸を黄色に染めている花があって遠目には菜の花のように見える。だが近寄って見ると草丈はだいぶ低くて花も小さい。ハルザキヤマガラシである。春咲山辛子(または芥子)の字があてられる。稀に「山枯らし」の表記も見かけるがこれは誤り。ブドウ科の「藪枯らし」やキンポウゲ科の「田枯らし」から連想した間違いかも知れない。この草は一見してアブラナ科であることが分るので、カラシナの仲間ということで付いた名であろう。ただし辛いかどうか囓ってみる程の実証精神は私にはない。
明治期にやって来た帰化植物だということで、最近ずいぶん増えているように思える。子供の頃には見た覚えがないけれど、最近自分の記憶を信じられないので断言はできない。単に興味がなくて目に入らなかっただけという可能性がある。
近縁にヤマガラシがあり、こちらは在来種。手持の歳時記類を当ってみたがどちらも登載されておらず、例句も管見に入らなかった。

 からし菜の花に春行なみだ哉   松岡青蘿

しかたなく芥子菜の句を出してみた。これはカラシと涙の洒落でまとめた作である。
長い名前は俳句に詠み難い。春の風景としてのハルザキヤマガラシは「菜の花」を思い切り広い意味にしてその中に含めるしかないだろうか。

蜂の子

2019年01月11日 | 千曲川の動物


S どーもこんばんわ、サピアでーす。
W ウォーフでーす。二人あわせて、
WS サピアとウォーフでーす。
W さあいよいよ食欲の秋ですねえ。
S おいしいもんが、いろいろ出てきますなあ。
W しかしまあ何とゆうても秋はアレですねェ。焼いて食べたり、ご飯に炊込んだり、まさに秋の味覚の王様やからね。
S ほんま、アレは美味しいなあ、蜂の子。
W そうそう、蜂の子を土瓶蒸しにして熱いところを……、食えるか!そんなもん。松茸や、マッタケ。
S いや、蜂の子かてうまいでえ。
W うまいて、虫やないか、あんなもん。おお気色わる。
S お前な、蜂の子と聞いてトンボやらカマキリやらの一種と思うからいかんのやがな。蜂の子ォと聞いたら、明太子ォとか、お汁粉ォとか、ナタデココォとかを思い浮べてな、食べ物の一種だと考えればいいんや。そら確かに虫やけどな、「食べ物」ちゅうカテゴリーに入れたら自然と食べられるもんになるんやて。
W そんなもんかいなあ。
S フライパンでさっと炒めて砂糖醤油からめたやつなんて、香ばしゅうていけるでえ。
W そうかな。なんやだんだん旨そうに思えてきたなあ。わし、まだ食べたことないけど、きっと大好物や思うわ。
S そんな奴は、おらへんやろう。
WS どーもしっつれーしましたァ~。

 蜂の子を食べて白骨泊りかな   野見山朱鳥