今朝新聞を読むと、昨日(2021.02.16)鄭敬謨(チョン・キョンモ)氏がなくなったとの記事があった。96歳とのこと。
ご冥福をお祈りいたします。
鄭敬謨氏の波乱に満ちた経歴について要約してお伝えするようなことは私には到底出来ない。いつその名前を知ったのかさえはっきり覚えていないのだが、氏は1970年頃から日本に住んで文筆活動をしており、私は何かの雑誌に発表された文章を目にし、その後著書「ある韓国人のこころ」を読んだのだと思う。その後衝撃的なことが起こった。
1989年3月、韓国の文益煥(厶ン・イクファン)牧師が平壤を訪れ、金日成と会談したのだ。そしてこの会談の結果、文益煥と許錟(北の祖国平和統一委員会)による「4・2共同声明」が発表された。このとき鄭氏は文牧師に同行し、会談にも同席している。そして実は、鄭氏が事前に単身北へ渡り文牧師訪朝のお膳立てをしてきた上での平壌行きだった。
韓国の政権は、文牧師は「小英雄主義的、感傷的な統一主義者」で、北朝鮮に弄ばれて韓国外交にダメージを与えたとのイメージ作りに躍起となり、同行した鄭敬謨氏は「北朝鮮の工作員」だと主張した。そして、鄭氏は朝鮮戦争当時アメリカ国防総省の職員として勤務、板門店での休戦会談にも参加していた経歴があるため、逆に「アメリカのスパイ」ではないかという憶測も流れたようだ。私は鄭氏の謦咳に接したことはないが、少なくとも誰かの指令に従って謀略を行う人ではないと思う。
鄭氏の見識と人柄を慕う人々が「シアレヒム塾」に集って韓国語の学習などをしていたが、その塾生らによって1991年「シアレヒムの会」が結成され、会報となる小冊子「粒(RYU)」が発行されることとなった。私は会員ではなかったが購読することにした。
鄭氏の書かれたものを少しだけ引用してみる。
終戦直後、必ずしも美しくはない己れを映し出す鏡として、多くの日本人が必読の書として、耽読したのがルース・ベネディクトの「菊と刀」である。日本人が敗戦直後の謙虚さを失っていくにつれて、主として体制側の人たちにより、次第にこの本の真価が格下げされてきているように思われるが、私は日本人社会を理解する上に、「菊と刀」が提示した「恥の文化」と「罪の文化」という前提的概念(パラダイム)は今日においてますますその説得力を増しているのだと思う。日本はこの本では「恥の文化」圏内に分類されているわけであるが、その日本においては幸せを祈る祈福の儀式は様々なものがあるが、しかし罪を贖うための贖罪の儀式はないという指摘は、鮮やかに日本人社会の特徴的一面を浮き彫りにしたものだと言わざるをえない。日本人が気にするのは「罪」というよりは「恥」であるが、「恥」とは人さまから後ろ指を指されるということにほかならない。人さまに知られていてもいなくても、そのために怖れおののく「罪の意識」とは違って、後ろ指を指される心配がないかぎり怖れるということがなく、とことんまで逃げを打つのが「恥の意識」だろうと思う。しらを切る、開き直る、行為の動機を美化する。そしてなお逃げられない場合でも、力関係如何によっては相手をねじ伏せ、後ろ指ないし糾弾の声を封じ込めることができるかぎり、「恥」は罪を罪として認めることをしないだろう。
鄭敬謨「韓日関係戦後五十年」(「粒」16号・1995年4月)