千曲川のうた

日本一の長河千曲川。その季節の表情を詩歌とともに。
人生は俳句と釣りさ。あ、それと愛。

「健康十訓」を書いたのは横井也有ではありません

2019年11月28日 | 千曲川とは無関係
世に「横井也有が書き遺した健康十訓」というものが流布していますが、これは横井也有が書いたものではありません。なぜ也有と結びつけられているのか分りませんが、ともかくそれは間違いです。

ネットで検索すれば「也有の健康十訓」を紹介する文書がたくさんヒットしますが、その十訓とはこんな内容です。

      健康十訓
     一、少肉多菜
     二、少塩多酢
     三、少糖多果
     四、少食多齟
     五、少車多歩
     六、少衣多浴
     七、少煩多眠
     八、少念多笑
     九、少欲多施
     十、少言多行

これは一例で、多少順番が違ったり文字が違ったりしているものもあります。私は素人ですが、まあ健康訓としては常識的で穏当なものだろうと思います。
しかしこれを「江戸時代に横井也有が書いた」というのは間違いなのです。


横井也有像 東湖 筆



この「也有十訓」を紹介している方々は、誰ひとり也有が書いたという根拠を示していません。原典を明示している人もなく、確かめようとすらしていません。要するにみんな孫引き・又聞きで言っているだけなのです。
この「十訓」は少なくとも30年ほど前から知られていたようで、湯飲みや暖簾に印刷されたり、広報パンフレットに引用されたりしていたようです。

私なりにいろいろ調べてみましたが、そもそもの出典もなぜ也有と結びついたのかも良く分りません。関西方面の医療関係者の中でまず「也有の十訓」として知られるようになり、次第に広がったのではないかと思いますが、それも私の憶測に過ぎません。

お医者さんが市民向けに講演したり、雑誌や広報紙などに健康エッセイを書くような場合、手頃な話題としてこの「十訓」を枕に使うのですね。すると、これに感心した別の医療関係者が「○○大学の医学博士××先生が推奨した横井也有の健康十訓」として引用し、これをまた誰かが紹介する。こうしてだんだんひろがり、やがて新聞に載ったりしてもう既定の事実のようになってしまいます。
話のとっかかりとして手頃だというだけですから、誰も「本当に横井也有が書いたのだろうか」と検証したりしないわけですね。

江戸時代に車で移動する人などなかったのですから「少車多歩」はおかしいし、肉の食べ過ぎや糖分の過剰が当時の健康問題だったとは考えにくいのですが、追究はしないで「現代にも通ずる健康術」とか「先見の明」とかいうことにしてしまいます。

私は也有愛好家で長年也有のものを読んできましたが、「十訓」あるいはそれに似たような文は見たことがありませんでした。それである時調べてみたのですが、也有の作品として刊行されているものの中にはありませんでした。
もちろん「私に見つからなかったからそれは存在しない」というのは傲慢な話です。私は野田千平先生に尋ねてみました。野田先生は金城学院大学名誉教授、横井也有研究の第一人者で名古屋叢書「横井也有全集」の編著者です。先生に「健康十訓について調べているのですが分りません、ご存じですか?」とお聞きしたところ、「そういうものがもしあるなら是非教えて下さい」とのことでした。

私も申上げます。もし也有が書いたという根拠をご存じの方は、どうか典拠を示して教えて下さい。それが確認できた時は、上記の文章を取消して平謝りに謝ります。でもそれが出ないうちは、声を大にして言い続けます。

也有が「健康十訓」を書いたというのは間違いなんです!

わたしはこの健康訓の内容についてとやかく言う気はありません。
ただ、ちっとも面白くない。なんのひねりもない。
こんなつまらん、非俳諧的な文章を也有が書いたなんて、ひどい濡れ衣だと思うのです。

    ***************************
以上の文章は私のサイト「俳句の森」に掲載していたものに少し手を加えたものです。
Yahoo!ジオシティーズのサービス停止により「俳句の森」は消滅しましたが、現在再建作業中です。
横井也有に関心のある方は、まだ不細工な状態ですがこちらへ。


踊るマエストロ

2019年11月25日 | 千曲川のくらし
千曲河畔、上田市のサントミューゼに群馬交響楽団を聴きに行きました。



武満徹 「鳥は星形の庭に降りる」
ブルックナー 交響曲第7番ホ短調

私はクラシックファンというのでもありませんから、2曲とも聞いたことがありませんでした。またこれらの曲を特に聞きたいと思ったわけではありません。井上さんが見たかった。
いつかNHKの音楽番組で見たことがあって、今回上田に来ることを知ったので「ナマ井上」さん見たさにチケットを取ったのでした。



井上さんはバレエをやっていたそうで「踊るマエストロ」と呼ばれているそうですが、今回もキレていました。バレエ風だけでなく、空手演武風、人形振り風、暗黒舞踏風などあって、最後は「ジャニーズかっ!」という華麗なターン。(あくまで個人の感想です)。

肝心の音楽の方ですが、ブルックナーは疲れました。いつまでたっても終わらない。
荘厳な大音響がクライマックスになったかと思うと、また不協和音の海を漂って何処に行こうとしているのかわからなくなり、また大音響の……という繰り返し。くどいなあ。たぶんワーグナー流のくどさなのでしょう。(あくまで個人の感想です)。

  指揮者の手神の手に似て秋夜統ぶ 文挟夫佐恵
  指揮者への拍手に年を惜みけり  森田峠


井上さんは客席に語りかけます。これもちょっと変わってますね。
客が少ない!こんどは友達を連れてきて!とかおっしゃっていました。

そうそう、会場内を見回して「今日はマスクをしている人が8人います」と言ってましたが、そのうちの一人が私です。ごほごほ。

キウィフルーツをいただいた

2019年11月25日 | いただきもの歳時記
Nさんから段ボール箱でキウィフルーツをいただきました。


たくさんある。うれしいです。


おしり探偵みたいなのも。


以前はなんとなく南国のフルーツという印象でしたが、信州で普通に栽培されています。

まだ収穫したばかりなので、固くて酸っぱいばかり。これから追熟して美味しくなっていきます。


インコは一旦近づきましたが、「思ってたんと違う」という感じ。

林檎と一緒にビニール袋に入れておくと早く熟しますが、あわてることはない、年明けから楽しむことにします。

キウィはどの歳時記も取り上げていないようで、例句も乏しいです。
キウィフルーツと猿梨(サルナシ)、木天蓼(マタタビ)は同類。木天蓼を詠んだ句は夥しくあるので、ここでは猿梨の例句をすこし。

  猿梨を噛んで唇熱くなる   加藤知世子
  猿梨の木とぞ印の実のひとつ 西山美枝子
  猿梨の蔓渡りせる谷深し   岡田貞峰

はがきの木

2019年11月07日 | いただきもの歳時記
仕事で行ったお宅の庭に見慣れない木がありました。小さな赤い実が房状にびっしり付いて、厚い葉がつやつやと輝いています。
ご主人に聞くと、葉書の木だと言って、その由来を教えてくれました。
聞いているうちに思い出しました。多羅葉です。



話としては知っていたし、むかし多羅葉の葉を見せてもらったこともありました。しかしその木は初めて見ました。
葉を1枚欲しいとお願いすると、「ああ何枚でも取ってっていいよ」とのこと。でも1枚だけいただいてきました。

葉の裏に千枚通しの先で文字を書くと、すぐに黒い線になっていきます。


こんな感じ。

鉛筆で書いたくらいの濃さになりました。

ちなみに、我が家の椿の葉でも同じようにやってみましたが、違いは歴然。


光の加減でなんとか見える程度です。

多羅葉は歳時記には登載されていません。


  多羅葉をみだれ打つたる霰かな   京極杞陽

これは霰が季語。多羅葉の葉の硬そうな感じが生きていますね。

  多羅葉の実の真つ赤なる修二会かな 細川加賀

インドで葉の裏に経文を書いたことにちなんで、多羅葉はお寺に多く植えられています。(ただしインドのタラ樹とは別種)。
修二会は3月ですから、赤い実はそのまま冬を越すのでしょうか。
来年の春偵察に行ってみようと思います。

山芋変じて鰻となる

2019年11月05日 | 千曲川の魚
唐突ではありますが、山芋が鰻になるという件についてです。
長いわりに実りのない雑文ですが……。

ウナギは古くから世界中で食用にされてきた身近な魚です。しかしその生殖については謎だったので、様々な憶説が流布していました。


例えばアイザック・ウォルトンの「釣魚大全」は、鰻は腐敗物から生ずる、露が日光に照らされて鰻になる、などの説を挙げています。

日本ではもっぱらヤマイモ(自然薯)が鰻に変ずるとされていました。
歳時記には、
 腐草変じて蛍となる
 雀大水に入て蛤となる
 田鼠化して鶉となる
といった類の季語があります。しかし「山芋変じて鰻となる」という季語はありません。そもそも江戸時代には鰻は季語ではありませんでした。
いっぽうヤマイモの方は季語でした。現在でももちろん季語(秋)です。

江戸末期の歳時記である「増補俳諧歳時記栞草」(嘉永4年・1851)を見てみると、「救荒本草」を引用する形でこう述べています。

 薯蕷(やまのいも)、渓の辺に端を出し、時々風水に感じて鰻に変ず。半ば変ずるものをみる人、往々あり。

しかし、国立国会図書館デジタルライブラリで「救荒本草」を見ると、このような記述はありません。どうも「栞草」にある引用や出典の表記はルーズなようです。

「和漢三才図会」を調べてみると、巻第五十「河湖無鱗魚」にある「鰻」の項に、山芋が鰻に変ずる話がありました。
しかしこれが漢文で書かれており、浅学の身にはつらい。我流で書き下してみます。なお文中の「鱧」はここではハモではなく、「レイ」と読んでヤツメウナギを指します。


 (うなぎの幼魚が成長して川上に行き)
 然るに影を鱧魚に漫して子を生むの説未だ審らかならず。鱧無きの処に亦多く之有り。
 又薯蕷久しく濕浸せられて変じて鰻と化するもの有り。非情より有情と成るもの是れも又必ずしも盡く然らざるなり。

鰻の繁殖に関する二つの説が紹介されています。
第一の説は、ヤツメウナギをレイプして子どもを産ませるのだと言っているようです(!?)。でもヤツメウナギのいない川にも鰻がいるから、これだけでは説明が付かない。
第二の説は、山芋が濡れて鰻になるというのでしょう。でも植物が動物になるというのは、うーん。
三才図会の著者は両説を頭から否定しはしないが、それだけでは納得出来ないと言っているようです。科学的態度と言って良いのではないでしょうか。


しばらく山芋が鰻に変ずる話を拾ってみましょう。

類書「塵袋」
 蛇のうなぎになるとも、やまのいものうなぎになるとも云ふ事あり。物の変化は無定にや。

狂言「成上り」
 いやいやこれは真実なると申しまする。そのなり様は四五月のころ、雨の長う降り続いて、えて山の崩るるものでござるが、その崩れたる間より山の芋がちよつと現れ、下の谷へこけ落ち、これが鰻になると申してござる。

随筆「東遊記」橘南谿
 また近江の人の語りしは、長浜にて山の芋を掘来たり料理しけるに、中に釣針のありしことあり。其掘りし所むかしは湖水の傍なりし所といへば、此薯蕷はうなぎの変じたる事疑ひなしといへり。其物語りし人も貞実の人なりしが、いかゞありしや。

俳文「百魚譜」横井也有
 狭夜姫は石となり山のいもは鰻となる。かれは有情の非情となり、これは非情の有情となれり。石となりて世に益なく、鰻となりて調法多し。

談義本「風流志道軒伝」
 我が身も薯蕷が鰻になるやうに、尻の方から二三寸程も、出来合の聖人に成りかかりたれば。

川柳「柳多留」明和2年
 山のいもうなぎに化る法事をし

狂歌 四方赤良
 あな鰻いづくの山のいもとせを裂かれてのちに身を焦がすとは

さすがに也有と赤良(大田南畝)はうまいなあ。
江戸時代の人々だってこんな俗説を真面目に信じていたわけではないと思います。むしろ面白がっていたのではないでしょうか。
鰻になりかけの山芋を見た、という話の伝聞記録は多くあるようです。でもそれはUFO目撃談みたいなもので、「山芋が鰻になる」という話があるから目撃されるのであって、その逆ではないでしょう。

 自然薯を暴れぬように藁苞のなか 杉本雷造

これは現代の作ですが、「鰻に変じて暴れたら……」の意でしょうね。


根拠の無い話ですが、私は寺方の精進料理が始まりなのではないかと想像していました。豆腐から雁擬を作ったように、自然薯で蒲焼擬を作って「薯が鰻に化けたのさ」と洒落たのではないか。もしかしたら逆に、僧が鰻を食べながら「これは薯だ」と言い張ったのかも知れません。


話はいよいよ本題からそれて行くのですが、この図版は朋誠堂喜三次作・恋川春町画の黄表紙「親敵討腹鞁(おやのかたきうてやはらつゞみ)」の挿画です。半世紀前、高校生だった私に黄表紙の面白さを教えてくれたのはこの作でした。(ちょっとイヤな高校生だったか)。
かちかち山では兎が悪い狸を成敗したのですが、これはその後日談です。親を殺された狸の子が兎を付け狙い、ついに仇を討ちます。ウサギは真っ二つに斬られ、なんとウとサギに分かれて飛び立ちます。この挿絵は、その鵜と鷺が捕ってきた鰻を吐き出して、世話になった鰻屋に恩返しをしているところです。


昔はああだったのに今はこうなってしまった、という話は年寄り臭くて大嫌いです。でも私も年寄りになりました。
昔は置き針で鰻を狙う人がいて、岸辺の木に凧糸が結びつけられていたりしたものです。今は千曲川で鰻釣りをしている人は、……私は見ません。鰻が減っているのでしょう。
それとともに思うのは、魚を食べることを目的として釣りをする人が、特に淡水では激減していることです。釣りのレジャー化、釣りのスポーツ化、釣りのファッション化、釣りの情報化。

かく言う私も、釣った魚をどうこうしようという興味は少ないです。岩魚が釣れたら焼いて食うぐらい。でも釣りはやめられません。面白いもの。
もし鰻になりかけの山芋が釣れたらすぐに写真をお見せしますから、日々のチェックを怠らないで下さい。

柿をいただいた

2019年11月02日 | いただきもの歳時記
柿をいただきました。


というか、知人の庭からもいできたものです。
甘さはやや控えめですが、美味しい。


オカメインコにも報告。

地元の小中学生の作った俳句の選を頼まれているので、毎年数千句の子ども俳句を読みます。
数年に一度、
  柿食えば鐘が鳴るなり○○○
という句に出会います。パロディーというよりは窮余の一策という感じでしょうか。

今年は、
  枯枝にカラスのとまる秋の暮
というのがありました。
凄い。芭蕉を添削しています。