千曲川のうた

日本一の長河千曲川。その季節の表情を詩歌とともに。
人生は俳句と釣りさ。あ、それと愛。

川鵜

2013年07月22日 | 千曲川の鳥
夕暮れ時に千曲川の上空を川下方向へ飛んでいく鳥の群を見掛けるのだが、何の鳥か分からなかった。数羽から十数羽の小さな群であることが多く、はじめは鴉だと思っていた。だがカラスとは明らかにシルエットが違い、飛び方も違う。



V字型の編隊はガンの渡りみたいだが、梅雨時にガンが飛んでるわけもない。




私が毎日千曲川の河原を歩くのは犬の散歩のためなのだが、どうも気になるのである日双眼鏡を持参して見てみた。真っ黒な鳥だが顔の辺りが黄色っぽい。あれれ、カワウだ。



翌日からはカメラを首に下げて行き、何枚か撮ってみた。




最近は千曲川でもカワウはすっかりお馴染みで、中州や水面に出た石の上に止まっているのを毎日のように見ているし、川筋を飛んでいるのにもよく出会う。しかしあの編隊が同じ鳥だとは気付かないでいた。
彼らはねぐらに戻る時には群を作り、高いところを飛んで行くのだという。



この辺は鮎釣りの名所だった。つい何年か前まで、友釣りの解禁日といえばこの画面の両岸に竿がぶつかりそうなくらい釣り人がいたものだ。ここでスポニチの鮎釣り大会も行われていた。
しかし今年はまったく釣り人を見ない。すでに解禁から三週間経っているが、私はまったく見ていない。
釣り人がいないのは釣れないからなのだろう。
実際更埴漁協のサイトで釣果情報を見ると、釣れていない。釣果情報というより放流情報しかない。5、6年前のと較べてみるとびっくりする。

鮎が釣れないという話題になると、水環境の悪化・ウィルス感染(冷水病)・カワウとバスの食害が三題噺みたいに出てくるのだが、むろん私のような素人には判断が付かない。



とはいえカワウが相当量の鮎を食うのは確かなことだろう。
鵜は水中で魚を捕るプロである。養魚場育ちの鮎が川に放され、流れの緩いところにかたまって茫然としてたりすれば、ゴッツァンでーすということになる。
それは食害と言えば食害だが、鵜の方は人間が放流するようになるよりずっと前から鮎を捕って食っていたのだから、害鳥扱いはかわいそうにも思える。

鵜は夏の季語。俳句で詠まれるのは主に鵜飼いであり、それに次ぐのが海岸の岩礁にいる鵜だ。川鵜の例句は乏しいようである。

  きさらぎの水に影曳き川鵜とぶ  松栞

鵜飼いは夏だが、鵜自体は通年見られる。これは晩冬の千曲川。川面すれすれを飛ぶ鵜を堤防から見下ろしている。


すっぽんぽん

2013年07月16日 | 千曲川の動物
ここら辺は毎年スッポンが産卵に来る場所。私の見るところ3匹は来ていると思う。
千曲川本流のすぐ脇だが、岸を這い上がるのが比較的容易な地形で砂が厚く堆積しているので産卵場所としては都合が良いのだろう。
6年ほど前、一度だけ産卵中のスッポンに遭遇したことがある。



しかし写真を見て頂きたい。
どう見ても子スッポンが孵化した跡とは思えない。カラスかなにかに掘り出されて食われてしまったようだ。



このところ毎年こんな状態である。
何とかここのスッポンの繁殖を、と思っているのだが、難しい。誰かやってくれる方いませんか!?
情報提供します。

おはぐろとんぼ

2013年07月15日 | 千曲川の動物
もの思へば沢のほたるもわが身よりあくがれ出づる魂かとぞみる 和泉式部

和泉式部の思いは蛍となって闇の中を浮遊し明滅する。さすが和泉式部、かっこいい。



もし私の妄想が私から離れてそこいらを漂うとしたら、ホタルではなくオハグロトンボになるのだろう。これは私一個の感覚ではなく、オハグロを見たことのある人は多くその霊性のようなものを感じたことがあるのではないだろうか。
オハグロはなにか妖しい。川筋の小暗い木の下や草藪にいて、どうも陰性である。前後の翅をひらひらと別に動かすので、トンボらしくない。ヤンマやシオカラのような威勢の良さがなくて根暗な性質のくせに、尻尾はメタリック。どんだけカッコつけるのか、どんだけコンプレックスを抱えているのか。
7月、千曲川のオハグロはアカシアの林の中にいる。もう少し経つと川辺に戻って恋の季節になるらしい。

  おはぐろ蜻蛉川ゆつたりと流れゆく  水原春郎

平々凡々の句に見える。オハグロの妖しさ、霊的な感じについては言及されていない。
そのようなものを言葉にして一句をなせば、おそらく虚仮威しの句となって破綻するのだろう。だから平凡な景物と取り合わせるのが正解なのかも知れない。
だけど、やはり何か妖しいオハグロの句を作ってみたい。読んでみたい。




さを鹿立てり

2013年07月15日 | 千曲川の動物
やまたづの向ひの岡にさを鹿たてり神無月しぐれの雨にぬれつつ立てり 良寛

イノシシの足跡とシカの足跡は判別が難しい。
というか私はそれまでシカの足跡を見たことがなかったので、千曲川の河原でそれを見たときはてっきりイノシシだと思った。イノシシもその足跡も近年珍しくなく、よく見掛けていたので「ああ、こんなところにも出るのか」と眺めていただけだった。



だから葭叢から目の前にシカが飛び出してきた時は本当に驚いた。ほんの数メートル先だった。
ナマのシカは修学旅行以来である。向こうも驚いたようで、一瞬止まってこちらを見たが素晴らしい跳躍で去っていった。
それから夕方などときどき遭遇している。





いまや爆発的に増えているということで様々な被害があるようだが、とりあえずシカはとても美しい動物である。

  暮れぎはのせせらぎ渉る牡鹿かな  松栞
  さを鹿の角ゆらしては空を嗅ぐ
  川の水飲んで男鹿の枯色に
  西山に月あはあはと鹿の声


石を拾ってくるのはいいかげんによそう

2013年07月14日 | 千曲川の石
石を拾ってくる子どもだった。
もう大人になって、というか初老のおっさんなので、石を拾ってくるのは我慢しておこうと思うのだが、河原を歩いているといろいろな石が声を掛けてくる。



この石は私がこれまでに拾ったなかで一番赤い。実際には赤っぽい茶色というべきかも知れないが、自然石でこれだけ赤いのはそうはない。だからキープしている。



こちらは薄いしましまが好きだ。2種類の砂が交互に沈殿して形成されたのだと想像されるが、これは地層と同じで、視覚化された時間である。
掌に載せると丁度良い重さで、このレイヤ1層がどれくらいの時間を封じ込めているのかと考えたりしながら眺めている。


木を植えた男について

2013年07月12日 | 千曲川の植物


わっちゃんは私の亡父の幼馴染みで、同級生で、碁敵で、生涯の友だった。

あのころ70歳くらいだったろうか、わっちゃんは、千曲川の河川敷に個人的に「自然公園」を作った。さまざまな動物を飼い、花を咲かせ、木を植えた。ドラム缶にペンキで「菊根分けあとは自分の土で咲け」という句を大書して立ててあった。
大勢の子どもとその母親が遊びに来て、山羊の子に草を食べさせたり、半ば野生化したニワトリを追いかけたり、兎を抱いたり、木陰で休んだり、サツマイモを掘ったりした。
しかしここは国有地で、そのような行為は個人には許可されない。この違法「自然公園」はたびたび河川事務所から撤去を求められていた。



わっちゃんは少々変人だった、といっても多分怒らないと思う。国と争いながらこの妙な公園を何年か続けていた。公園に集まったお母さんたちは、存続を求めて署名運動なども試みたものだった。
わっちゃんが死んで何年になっただろうか。「自然公園」は跡形もないが、わっちゃんの植えた合歓の木は大きく育っている。今は地元の方々が草刈りや木の世話をしてくれているようで、今年も咲き始めた。
この夏も、きっといい日陰を作ってくれるだろう。




SASORIは今もいるのだろうか

2013年07月12日 | 千曲川の魚
サソリと言えば梶芽依子、古いな。うん、古い。
そうではなくて魚のサソリのことが気にかかる。

50年ほど前、ある日友達と千曲川で魚を捕っていた。網も何も使わず、素手で石の下やアシの根本を探って手づかみするという実にプリミティブなやり方である。
一番楽に捕まるのがジンケン(オイカワ)のオスだ。こいつは体にヌメリがないので一度掴めば逃げられない。見た目は誠に派手で綺麗だけれど、これを捕まえてもあまり自慢にはならなかった。そしてバケツに入れておくと最初に死んでしまう。
その日、堰堤の魚道の下流にある浅瀬で石の下を探っていたYくんが何かを捕まえた。手を開くと小さなナマズのような魚がいたが、Yくんは「あ、サソリだ!」と言って放り投げてしまった。私はそれまでサソリという魚は全く知らなかったが、手を刺されるのだという。

私が「サソリ」という魚を見たのは生涯にこの一度きりである。先日橋の上から川を見ていてこのサソリ事件を急に思い出したのだが、記憶はひどく曖昧であった。
そもそもサソリなんて魚が本当にいたんだろうか。
辞書や図鑑類をみても分からなかったが、やはりネットは凄い。「新潟県ではアカザをサソリと呼ぶ」という記述を見付け、アカザを検索すると50年前のあの魚がいた。赤い、泥鰌とナマズの中間みたいな感じの魚である。鰭にとげがあって刺されると書いてある。疑問氷解である。気持ちがいい。

しかし、である。何故サソリなんだろう。そもそも、ヤマトに蠍なんていないのに「さそり」というヤマトコトバがあるのはどうしてなのか。
大きな辞書にあたると、ジガバチのことを古くはサソリとも呼んだという。蠍・似我蜂・アカザには「刺す」という共通性があるから、名前もそれに由来するのだろうか? ひょっとしたら「さそる」というラ行四段活用の動詞があったのか? 能登半島では鈎の付いた竿で磯の蛸を捕る漁を「タコさすり」と称するそうだが、この「さすり」はどうなんだろう?

また疑問がわき上がるわけだが、語源ほど難しいものはないから考えてもしょうがない。
それより、眼下の千曲川には今もサソリはいるんだろうか。
最近見た方、いますか?

内務省…って!

2013年07月11日 | 河川愛護


現在の一級河川は戦前は内務省の管理だったので、千曲川の堤防も主要部分は内務省時代に整備されたものが多い。
河川敷地の境界を示すコンクリート杭はほとんど「建設省」の刻印入りだが、希にこの写真のような「内務省」杭が残っているところもある。この書体は何というのだろう、ちょっとお洒落である。
境界杭オタクの私は堤防の裾を歩くときは注意して見ているのだが、いまだ「国土交通省」名の杭は見たことがない。省名が変わったからといって費用をかけて取り替える意味はないし、たまに新しく埋設する場合があっても「建設省」杭の在庫を使っているのだ。



千曲川に併走する国道18号線も国土交通省所管。
これは国道18号線の某所で見付けた杭。書体に特徴があって周辺の建設省杭とは明らかに違う。もしかしたら反対側の面に「内務省」とあるのかも知れない。
しかしご覧の通り木の根に埋もれつつあって確認することはできない。私は秘かに「アユタヤ杭」と呼んで、ときどき根の成長具合を観察しているのである。なんまんだぶ。

オオブタクサ

2013年07月10日 | 千曲川の植物


ブタクサは明治時代の帰化植物、このオオブタクサは戦後の帰化植物だという。
オオブタクサ、漢字で表記すれば大豚草ということになる。「大豚の草」ではなく「大きい豚草」である、もちろん。クワモドキという別名もある。
いつからだろう、千曲川の河川敷でも大いに増えている。大きいものでは草丈3メートルを越えるので威圧感さえある。
例えば講談社の新日本大歳時記は、ブタクサを夏の季語としている。概ね8月に花が咲くので、開花期によっているのだろう。この写真は7月初め。季語で言えば「夏草」とか「草茂る」が相応しいところである。

さてこの写真を見ていただこう。この葉はだいぶ虫に食われている。 良く見ていただくと食害している虫が見えると思う。拙者は接写レンズを持っていないので拡大写真をお示しできないが、この虫はブタクサハムシというのだそうである。ブタクサの葉を食うのがブタクサハムシ。ある意味びっくりである。
 薔薇の木に薔薇の花咲く何事の不思議なけれど
という歌があるが、ブタクサハムシがブタクサの葉を食うのも「不思議なき」話だ。実にごもっとも。

しかし話は単純でない。前述のようにブタクサは明治時代、オオブタクサは戦後まもなくやって来たのだが、これらを食べるブタクサハムシは1990年代に渡って来たというのだ。この虫は日本にブタクサが繁殖していることを知ってやって来たのだろうか?
日本へ帰化したブタクサが景気よくやっとるという噂話を聞いて追ってきたのか。あるいはそんな話に騙されて連れてこられたのだろうか。私の頭の中では「満州の花嫁」とか、訳の分からぬ言葉が明滅する。

私は何十年もアレルギー鼻炎に悩まされている。スギ花粉には全く反応せず晩夏から秋がアレルギーシーズンなので、ブタクサは不倶戴天とも言うべき存在なんである。ブタクサハムシに声援を送りたいところだが、この写真でも分かるように、彼らはブタクサを食い尽くしたり枯らしたりはしない。ちょんちょんとつまみ食いしながら共存しているように見える。