千曲川のうた

日本一の長河千曲川。その季節の表情を詩歌とともに。
人生は俳句と釣りさ。あ、それと愛。

イタドリ

2020年06月03日 | 千曲川の植物
桜が散る頃には、あちこちでイタドリが出始めます。



繁殖力旺盛な雑草。



イタドリは漢字で書くと「虎杖」です。というか、「虎杖(コジョウ)」はイタドリの漢名です
枕草子第154段は「見るにことなることなきものの文字に書きてことごとしきもの」を列挙していますが、イタドリもその一つに挙げられています。
「実物を見れば特にどうということもないけど、漢字で書くとひどく大仰に思えるもの」ということ。確かにこの草が虎の杖だと言われても戸惑います。



私の住む地域ではイタドリを食べる習慣はありませんが、地方によっては山菜として好んで食べられています。
毎日新聞に「季語刻々」という坪内稔典さんの連載コラムがありますが、こんな句が紹介されていました。(2020年2月2日)

  巻き鮨の芯はごんぱち節分会 谷口智行

以下、この句に添えられた坪内さんの文を引用させていただきます。

 句集「星糞」(邑書林)から。作者は三重県南牟婁郡に住む。「ごんぱち」はイタドリのことらしい。句集ではこの句の前に「ぞんぶんに楤の芽喰うて角落す」がある。タラやイタドリの芽が作者の住む地では節分の付き物らしい。ともあれ、イタドリの芽を芯にした巻きずし、食べてみたい。こんな巻きずしこそが春を呼ぶ縁起のよいすしかも。

イタドリが節分に芽を出しているはずはありませんから、これは前年に採って塩蔵しておいたものでしょう。まずそのことをはっきりさせないと、句の鑑賞もピントがずれていきます。
塩出しして煮付けたイタドリを具材にした巻きずし。春を呼ばないとも縁起が悪いとも思いませんが、「ごんぱち」の情趣を捉えるにはもう少し別のアプローチが必要なのではないでしょうか。

二句目についてはもう不可解というしかありません。

ぞんぶんに楤の芽喰うて角落す

この句は「タラの芽」と「角落す」の季重ねですが、主たる季語は明らかに鹿の角落ちです。タラの芽を喰ったのは鹿であって、節分とは何の関係もない句です。なぜタラの芽が「節分の付き物」なのか、ひょっとして鬼の角と解釈されたのでしょうか?



イタドリの句はいくらもありますが、食材としてのイタドリの句は坪内さんのコラムで初めて読んだのでとても興味深かったです。
食べてみれば案外美味しいのかも知れませんが、シュウ酸を多く含むのでアク抜きには技術が要りそうです。
私は敢えて試したいという気も無く通りすぎてしまいます。

  幼な日の酸味かなしき虎杖よ 中村苑子
  虎杖の短き茎も酸に充ち   山口誓子



こちらはタラの芽。毎年友人からいただきます。
美味いと思いながら食べるのですが、天ぷらにすると大抵の山菜は同じような味ですね。

曼珠沙華

2019年09月28日 | 千曲川の植物
今年はちょっと遅かったようで、9月の最後になって咲いています。


千曲川左岸、笄橋付近です。


独特の激しい赤です。


背景のニセアカシアの向こうは河原で、川音が聞こえています。

川では何人かが投網を打っていました。投網打ちを見たのは随分久し振りのことでした。
昔はこのあたりは鮎釣の名所でした。
友釣りシーズンの後に落ち鮎の投網漁が解禁されるのですが、今はそもそも鮎がいないので落ち鮎もいるわけがありません。
何が獲れるのかとしばらく橋の上から眺めていたのですが、遠いので私の視力では良く分かりません。大漁でないのは確かでしたが。


  西国の畦曼珠沙華曼珠沙華  森澄雄

結局、この句には勝てないですね。

おにふすべ

2019年08月25日 | 千曲川の植物
8月中旬に雨が続いたためでしょう、オニフスベがたくさん生えてきました。


小さくて、真っ白で、かわいい茸です。


マッシュルームのような外見。


草地に出て来ますが、丈の高い草があるところにはなくて、堤防上のアスファルトのすぐ脇に並んでいます。


毎日少しずつ大きくなっています。


数日前は純白だったのですが、

中央部の色がちょっと変わってきました。


オニフスベは大きいものではバレーボールくらいに成長するそうですが、私がこれまでに見た中で最大の奴は20cmくらい。一部が茶色に変色し、発泡スチロールの切れ端のような感じでした。
今出ているのは、さてどのくらいになるでしょうか。お天気次第です。


さてここで、オニフスベという名前について考えてみたい。

Wikipediaは「フスベ(贅)とはこぶ・いぼを意味する」としています。
これに倣ったものかどうかは分かりませんが、ネット上では「ふすべ=瘤」という記述がたくさんあります。
この茸が大きく脹れるので「鬼のたんこぶ」に見立てたネーミングだというのでしょう。

この説の起源はおそらく牧野冨太郎のエッセイにあります。彼はふすべ=瘤を主張し、「オニフスベは鬼の瘤の意であると推考せられ得る。瘤々しくずっしりと太った体の鬼のことだから、すばらしく大きな瘤が膨れ出てもよいのだ。」と言います。
何しろ牧野博士は大家で権威者で偉い人ですから、思いつきの説も絶対化されがちですが、でもこれは間違っていると思います。
博士の「スミレの名は大工道具に由来する」という珍説と同じです。

「ふすべ」は「燻べ」であって、煙でいぶすことです。
例えば、穴に居る狸を追い出すために杉の葉を焚いていぶり出す、それが「ふすべる」です。

牧野博士は「鬼を燻べるということだと解する人があったら、その人の考えは浅薄な想像の説であるように私には感ぜられる。」というのですが、根拠は示されません。


オニフスベはケムリダケとかホコリダケと呼ばれる茸の仲間で、成熟したものを打ったり踏んだりすると大量の黄色い胞子が煙のように吹き出します。ここから、「ふすべているようだ」と言うので名付けられたと考えるのがリーズナブルではないでしょうか。
そして煙茸の類で最大なので「鬼」が付いているのでしょう。単に大きいという意味なのか、あるいは「鬼をもふすべる」ということなのかも知れません。

  焼立る野や草の名のおにふすべ  友也(「糸屑」)
どうも古俳諧はむずかしいですが、近世の俳人が「燻べる」に由来する名前と認識していたことはこれで分かります。



これに関連して、太宰府天満宮で「鬼燻べ」という行事が行われていることにも興味を引かれます。
火を焚いて鬼を追い立てるもので、「おにすべ」と呼ばれていますが、燻の字が使われていますから「おにふすべ」の転と見て良いでしょう。

  鬼すべの火に初髪をいたはりぬ  磯貝碧蹄館



わるなすび

2019年08月18日 | 千曲川の植物
堤防沿いの草地に見慣れない草の群落が。堤防の上から見た時は、葉の形からオナモミかなあと思いました。


しかし近寄って見ると、


この花は、


明らかにナス科です。


茎や葉の裏には鋭い棘があります。


スマホに入れている植物検索アプリを起動してカメラを向けると、すぐに「ワルナスビ(悪茄子)」と判明しました。

悪茄子!!

ミニトマトのような実を着けるのだそうですが、有毒。
食えず、棘だらけで、繁殖力旺盛。全く始末の悪いナスだ、という命名なのでしょう。
動物名・植物名を通じて、頭に「悪」のつく名前は外にないと思います。

季語になるんでしょうか?
いろいろな歳時記に当たってみましたが記載はありません。

でも花は夏実は秋であることが明らかですから、季語扱いで詠んで構わないと思います。
なんと言っても「悪」の一文字にインパクトがありますから面白い句が出来るのではないでしょうか。

みんなで詠んで、歳時記入りを目指しましょう。

枯野(2) すがりつく生き方

2019年02月09日 | 千曲川の植物
衣服などに着く草の実を総称して「ひっつき虫」とか「バカ」
と呼ぶ。バカ代表はこの草だろう。
アメリカセンダングサ(栴檀草)。
水路の泥にも乾燥した路傍にも、お構いなしで生えてくる。



ひっつき虫はもちろん俳句の題材となっている。
 ゐのこづち人のししむらにもすがる 山口誓子
 おなもみを振りむく夫の胸に投ぐ  池松幾生
 藪虱著かむとすなり著かしむる   相生垣瓜人

こんな句はあるが、「(アメリカ)栴檀草」を詠んだ俳句は見掛けた覚えがない。
名前があまり知られていないこともあろうが、そもそも長過ぎる。

アキノキリンソウ   雲湧いて崩れて秋の麒麟草 行方克巳
スズメノカタビラ   爪切つて雀の帷子へとんで 佐々木六戈
ママコノシリヌグヒ  指に吸ひつきてままこの尻ぬぐひ 西村和子
セイタカアワダチソウ 湖西線背高泡立草に延び 京極杞陽
アメリカセンダングサの例句は管見に入らなかった。



「草の実」という季語に含めて詠むより仕方ないのだろうし、それで十分だ。

 草の実も人にとびつく夜道かな   小林一茶
 うらからきてくれて草の実だらけ  種田山頭火
 草の実をふりかむりたる小犬かな  村上鬼城
 矢鱈つく草の実どこに生きんとすや 大野林火
 したゝかに草の実恋の戻りなる   飴山實

飴山さんの句は犬か猫のことだろうが、ひょっとしてご自身の体験だったりして。



犬を飼う者には、馬鹿は困りものだ。特にセンダングサの実は毛に絡みついて取りにくい。
ヰノコヅチ(牛膝・猪子槌)も厄介で、最盛期には凄い量の実が着く。うちの犬は胡麻団子みたいになってしまう。

枯野(1)

2019年02月08日 | 千曲川の植物
木に絡んだ蔓から実が垂れている。アオツヅラフジと言うらしい。
この実も秋には綺麗な青い色で、実に可愛い。有毒なのだが、ちょっとつまんでみたい感じだ。


冬も深まるとこんな風に色が深まり、ドライフルーツ状態になっている。おそらく鳥も食べないのだろう。


アオツヅラフジを漢字で書くと青葛藤。どうも葛藤の2字は「かっとう」と読みたくなってしまう。
葛の字には「くず・かづら・つづら」の訓があり、それぞれ指すものが違うので厄介だ。


花は見過ごしてしまうような地味なものだが、実はとても魅力があるので俳句にしてみようかといつも思う。しかし「青葛藤の実」で9音使っても、それを思い浮かべてくれる人はごく僅かだろう。別名「かみえび」とのことだが、これも難しい。
どこかに例句はあるのだろうか。


椿落ち奔流に紅葛藤す 河野南畦

これはもちろん「かっとう」の句。

くさぎ

2019年01月11日 | 千曲川の植物


秋、千曲川の堤防に沿って歩いていると、石積みの隙間から木が生えていた。丈も低く特に特徴もない樹形だったが、なんとも奇妙な形の実を付けていた。結構長く俳句をやってはいるが、動植物の名前や生態には疎い。ひと枝折って家に持帰る。
こんなときは講談社ブルーバックスの「樹木検索小図鑑」である。「秋~冬」の巻を出して検索表の「果実からひく」を見る。イラスト付のフローチャートみたいになっていて、YES/NOの分岐を繰返していくと、その木の名前が判るというスグレモノだ。

葉がついている→葉は裂けない→単葉→広葉→対生→果実に羽なし→果は割れない→茎は蔓でない→果実は頭状でない→果実に柄あり→茎に針なし→果実は下垂せず→果実は集散状につく

という具合に辿っていくと →クマツヅラ科「クサギ」に至るのである。
しかしこの検索、実際は難しい。人生のように複雑な分岐点の連続で、必ず途中でわからなくなってしまう。だから検索表ではなく図版のページをぱらぱら見てさがす方が手っ取り早いのだ。持帰った枝が「臭木」であることも、実はぱらぱら検索で見つけたのだった。
独特の臭気があるので「臭木」と呼ばれるそうだが、季節のせいか私のアレルギー鼻炎のせいか、特に匂いは感じなかった。「へくそかづら」よりはマシだけれど、気の毒な命名だと思う。こんなに可愛らしい実を着けるのだから、もうちょっとなんとかいう名前を付けてやりたいものである。



 ここで「カラマーゾフの兄弟」にスメルジャコフという人が出てきたことを思い出したが、名前以上のことは記憶がないので、オチはつかない。

  旧道の石垣古りし臭木の実   古川芋蔓



月見草の越冬

2019年01月11日 | 千曲川の植物


 これは河原にたくさん生えているオオマツヨイグサ、いわゆる月見草である。葉を地面に密着させ放射状に拡げて冬を越すのだが、この状態ををロゼットという。(ロゼットと聞いて白子さん黒子さんを思い出した人はもはや老人の部類である。)
 ロゼットで冬を越す草はいろいろあるが、オオマツヨイグサは何と言っても鮮やかな赤が目立つので、雪の間にこれが見えると印象深い。やがて春の日差しを浴びると次第に茎を掲げて伸び、平凡な雑草になってしまう。



 そして黄色い花の咲く頃には人の背丈を越え、猛々しい感じすら与える。
 季語としての「月見草」は花の時季である夏ということになる。ロゼットは冬から早春に見られるので、俳句に詠むなら「冬草」とするのが順当であろう。単に「冬草」と詠んだだけでは上の写真のような印象は伝わらないけれど、それを丁寧に説明するのは必ずしも俳句の役目ではない。

冬草や会へばはげしきことを言ふ  夏井いつき


ハルザキヤマガラシ

2019年01月11日 | 千曲川の植物


春から初夏、川岸を黄色に染めている花があって遠目には菜の花のように見える。だが近寄って見ると草丈はだいぶ低くて花も小さい。ハルザキヤマガラシである。春咲山辛子(または芥子)の字があてられる。稀に「山枯らし」の表記も見かけるがこれは誤り。ブドウ科の「藪枯らし」やキンポウゲ科の「田枯らし」から連想した間違いかも知れない。この草は一見してアブラナ科であることが分るので、カラシナの仲間ということで付いた名であろう。ただし辛いかどうか囓ってみる程の実証精神は私にはない。
明治期にやって来た帰化植物だということで、最近ずいぶん増えているように思える。子供の頃には見た覚えがないけれど、最近自分の記憶を信じられないので断言はできない。単に興味がなくて目に入らなかっただけという可能性がある。
近縁にヤマガラシがあり、こちらは在来種。手持の歳時記類を当ってみたがどちらも登載されておらず、例句も管見に入らなかった。

 からし菜の花に春行なみだ哉   松岡青蘿

しかたなく芥子菜の句を出してみた。これはカラシと涙の洒落でまとめた作である。
長い名前は俳句に詠み難い。春の風景としてのハルザキヤマガラシは「菜の花」を思い切り広い意味にしてその中に含めるしかないだろうか。

いたちごっこ

2013年08月10日 | 千曲川の植物
 ちょっとみるとニセアカシアのようだが、これはイタチハギ。



千曲川の河川敷でもこの頃多くなったように思われる。暗い紫色の花が上向きの穂のような形状で咲き、その花序をイタチの尾に見立てた名だというのだが本当だろうか。この花を見てイタチの尾を連想するもんだろうか。

イヌタデ、イヌサンショウ、イヌツゲ、イヌウド、イヌガラシと並べていくと、「イヌ」の意味が何となく浮かんでくる。つまり、人間に有用な植物と似ているけど役に立たない、というような感じだろう。
しかしイタチハギ、イタチグサ、イタチシダ、イタチウリ、とならべても共通性が良く分からない。



夏になると小さな莢がたくさん着いている。間違いなくマメ科の植物だ。





イタチハギを季語としている歳時記は見たことがなく、これを詠んだ例句も知らない。
動物のイタチなら冬の季語。

  振り向きつつ鼬去りたる露の畦 佐藤干城

  鼬鳴く柱の油抜けにけり    宮坂静生

  鼬傷片目に受けし緋鯉かな   茨木和生



もはや千曲川ともイタチハギとも全く関係なく、鼬文学館を。


―――― 平家物語巻第四 「鼬沙汰」 ――――

同じき五月十二日午刻ばかり鳥羽殿には鼬夥しう走り騒ぐ。法皇大きに驚かせ賜い給ひて御占形を遊ばいて近江守仲兼その時は未だ鶴蔵人にて候ひけるを御前へ召して、これ持つて安倍泰親が許へ行ききつと勘へさせて勘状を取つて参れとぞ仰せける。


―――― アナイス・ニン 「エレーナ」 ――――

 ピエールはたった一度、明るい陽光の下で彼女の肉体を眺めたことがある。コーで、それも午前中のことだった。そのとき目のあたりにした彼女の肉体の色つやの素晴らしさに、彼は狂喜したものだった。それはまさしく透き通るような白磁色で、セックスに近づくにつれてその肌は、年老いたイタチのそれのような黄金色に染まっていた。


―――― 柴田宵曲編 「奇談異聞辞典」 ――――

 鼬の火柱を立てるとて、世に妖とする事あり。いたちは夜中樹上にのぼりて焔気を起し、また地上に柱の如く煙気を発する事あり。これをいふ。


―――― 桂枝雀口演 「宿屋仇」 ――――

若い者にしてはえろう頭が禿げておるな。
御念の入りましたこってございます。こういう所に奉公しておりますと幾つ何十になりましても若いもんでございます。
左様か。名はなんと申す。
エー伊八と申します。
何じゃ、その方であるか、鶏のケツから生き血を吸うという大胆な奴は。
あれはイタチでございます。