今週水曜日、お昼までリハビリで勤務させていただいて、
午後から車で1時間弱ぐらいの距離にある病院まで、
喉のエコーをとりにいってきました。
しょこら、甲状腺の機能障害で治療を受けており、
一応「橋本病」という診断がついていますが、
喉に腫れが「橋本病」から来るものか、
もしくは腫瘍ができているのかを、
「念のため」検査するというのが、今回の検査の目的でした。
エコーの検査室に入ると、何やら見覚えが。
そういえば、忘れていましたが、
ここは昨年、乳がんの検査で、
「念のため」の検査を行ったところでした。
その時検査してくださったドクターは、
「う~ん?
しこりがあるみたいだね~。
「たぶん良性だとは思うけど、
今回始めてだし、念のため「細胞診」してもらうよう、
書いておきますね。」
と、すごく丁寧な対応をしていただきました。
そんなことを思い出しながら奥の部屋に入ります。
看護士さんに促されるまま、台にあがり、
喉をそらせて横になります。
担当のドクター(?)の他に、もう一人医師らしき人がいたので、
もしかしたら担当の先生は研修医だったでしょうか。
思っていたよりも、かなり広範囲にエコーをあて、
各所で計測と写真をとります。
そろそろ全体見終わったかしら~?
と思うころ、エコーをとってくれていた先生が、何やらあわただしく、
「ちょっと、失礼します!」
と出て行くではありませんか!?
しばらくして、今度は、貫禄のある感じのドクターが入ってきて、
「はい。リラックスしてくださいね~。
念のため、二人で確認していきますのでね~。」
とおっしゃいます。
む~。
ということは、「何か」あるということですな~。
二人は、ぼそぼそと、
「ちょっと、大きいかな。
○ミリ。○ミリ。
横の方に、小さいのが、散在してる感じだね~。」
と話しているのが聞こえます。
そして、そのまま検査終了。
検査結果は1ヶ月後に、臨床医である主治医から聞くことになっていますが、
「大きい」「○ミリ○ミリ」「点在している」
など、気になる単語が出てきて、内心穏やかではありません。
実は、このエコーの検査の前日に、
先日脳内にカルシウム沈着が起こっていた関係で、
甲状腺の主治医に受診していて、
翌日の検査のことを聞いていたのですが、
・橋本病の診断を受けている人は、一度受けた方がよい検査である
・腫瘍がみつかる可能性がある
・悪性であったとしても、転移したり、進行が早いタイプの癌ではないので、
急がなくてもよい
・良性であっても、悪性に転ずる場合があるので、手術した方がよい
・手術は耳鼻科で行い、2週間程度の入院になる
とのことで、あわてなくても、次回1ヶ月後の診察で大丈夫なのだそうです。
そうは言うものの、またしても、「何か」みつかったらと思うと、
乳がんの告知を受けた時のことを思い出すと、
その後、なぜががん細胞が消えてしまったとはいうものの、
今でも、生のはかなさを感じ、物悲しい気分になります。
「執着を捨てれば、苦しみから解放される」
「では、執着を捨てれば、健康になれるのですか?」
「いえ、『健康になりたい』という執着を捨てると、
気持ちが楽になるんですよ」
という、いつかどこかで聞いたか読んだかした、問答を思いだしながら、
「そうか、そうね。
『健康でありたい。長生きしたい。』というのも、欲望なんだ。
『当たり前」』いうものは、この世には存在しないんだ。」
「しかし、『健康でいたい』という生物として根源的な思いすら、
望んでは幸せになれないの?」
という、過去何度も抱いた疑問が再びわきあがります。
「健康に毎日生活していきたい」
というのが、そんな大それた高望みであるつもりがなかったので、
そのことさえも哀しく思われます。
しょこら、この1・2年。
病院にすごくお世話になってきて、
「病気と闘うのではなく、病気と上手にお付き合いしながら、
社会復帰を目指して行こう!」
と思うようになっていましたが、
社会復帰できるほど回復してきた健康に対して、
感謝の気持ちはあれど、
「もっと、もっと、元気に健康になって、
もっと、もっと、仕事も、子育ても、自分育ても頑張りたい!」
と強く思っていたので、
「今の健康状態でも、充分ありがたいことだったんだな~。」
としみじみ思ったところです。
そんなわけで、あと一ヶ月、悶々とした日々を過ごすことになりますが、
手術となったら、また大変なので、執行猶予期間と思うことにします。
去年検査してくださった親切なお医者さん、ありがとうございます。
今年、検査に立ち会ってくださった三人のお医者さん、看護士さん、
ありがとうございます。
そして、検査をすすめてくださった主治医の先生、
ありがとうございます。
合掌。
午後から車で1時間弱ぐらいの距離にある病院まで、
喉のエコーをとりにいってきました。
しょこら、甲状腺の機能障害で治療を受けており、
一応「橋本病」という診断がついていますが、
喉に腫れが「橋本病」から来るものか、
もしくは腫瘍ができているのかを、
「念のため」検査するというのが、今回の検査の目的でした。
エコーの検査室に入ると、何やら見覚えが。
そういえば、忘れていましたが、
ここは昨年、乳がんの検査で、
「念のため」の検査を行ったところでした。
その時検査してくださったドクターは、
「う~ん?
しこりがあるみたいだね~。
「たぶん良性だとは思うけど、
今回始めてだし、念のため「細胞診」してもらうよう、
書いておきますね。」
と、すごく丁寧な対応をしていただきました。
そんなことを思い出しながら奥の部屋に入ります。
看護士さんに促されるまま、台にあがり、
喉をそらせて横になります。
担当のドクター(?)の他に、もう一人医師らしき人がいたので、
もしかしたら担当の先生は研修医だったでしょうか。
思っていたよりも、かなり広範囲にエコーをあて、
各所で計測と写真をとります。
そろそろ全体見終わったかしら~?
と思うころ、エコーをとってくれていた先生が、何やらあわただしく、
「ちょっと、失礼します!」
と出て行くではありませんか!?
しばらくして、今度は、貫禄のある感じのドクターが入ってきて、
「はい。リラックスしてくださいね~。
念のため、二人で確認していきますのでね~。」
とおっしゃいます。
む~。
ということは、「何か」あるということですな~。
二人は、ぼそぼそと、
「ちょっと、大きいかな。
○ミリ。○ミリ。
横の方に、小さいのが、散在してる感じだね~。」
と話しているのが聞こえます。
そして、そのまま検査終了。
検査結果は1ヶ月後に、臨床医である主治医から聞くことになっていますが、
「大きい」「○ミリ○ミリ」「点在している」
など、気になる単語が出てきて、内心穏やかではありません。
実は、このエコーの検査の前日に、
先日脳内にカルシウム沈着が起こっていた関係で、
甲状腺の主治医に受診していて、
翌日の検査のことを聞いていたのですが、
・橋本病の診断を受けている人は、一度受けた方がよい検査である
・腫瘍がみつかる可能性がある
・悪性であったとしても、転移したり、進行が早いタイプの癌ではないので、
急がなくてもよい
・良性であっても、悪性に転ずる場合があるので、手術した方がよい
・手術は耳鼻科で行い、2週間程度の入院になる
とのことで、あわてなくても、次回1ヶ月後の診察で大丈夫なのだそうです。
そうは言うものの、またしても、「何か」みつかったらと思うと、
乳がんの告知を受けた時のことを思い出すと、
その後、なぜががん細胞が消えてしまったとはいうものの、
今でも、生のはかなさを感じ、物悲しい気分になります。
「執着を捨てれば、苦しみから解放される」
「では、執着を捨てれば、健康になれるのですか?」
「いえ、『健康になりたい』という執着を捨てると、
気持ちが楽になるんですよ」
という、いつかどこかで聞いたか読んだかした、問答を思いだしながら、
「そうか、そうね。
『健康でありたい。長生きしたい。』というのも、欲望なんだ。
『当たり前」』いうものは、この世には存在しないんだ。」
「しかし、『健康でいたい』という生物として根源的な思いすら、
望んでは幸せになれないの?」
という、過去何度も抱いた疑問が再びわきあがります。
「健康に毎日生活していきたい」
というのが、そんな大それた高望みであるつもりがなかったので、
そのことさえも哀しく思われます。
しょこら、この1・2年。
病院にすごくお世話になってきて、
「病気と闘うのではなく、病気と上手にお付き合いしながら、
社会復帰を目指して行こう!」
と思うようになっていましたが、
社会復帰できるほど回復してきた健康に対して、
感謝の気持ちはあれど、
「もっと、もっと、元気に健康になって、
もっと、もっと、仕事も、子育ても、自分育ても頑張りたい!」
と強く思っていたので、
「今の健康状態でも、充分ありがたいことだったんだな~。」
としみじみ思ったところです。
そんなわけで、あと一ヶ月、悶々とした日々を過ごすことになりますが、
手術となったら、また大変なので、執行猶予期間と思うことにします。
去年検査してくださった親切なお医者さん、ありがとうございます。
今年、検査に立ち会ってくださった三人のお医者さん、看護士さん、
ありがとうございます。
そして、検査をすすめてくださった主治医の先生、
ありがとうございます。
合掌。