ここ数年、比較的朝の連ドラ視聴率の高いしょこらでしたが、
「ちりとてちん」は、格別「すきだ~」というエピソードもキャラクターもなく、
たまたまつけたときやってたら見るぐらい。
ラストはたまたま見ていたのですが、そのあと、
考えるともなく考えていたことを少し書いてみたいと思います。
「ちりとてちん」の後半部は、大阪落語会の念願であったなんとか小屋が完成し、
そのお披露目にあたっての講演で、主人公も高座にあがるのですが、
関係者みんなに「よかったでぇ~。」を言われる会心のでき。
にもかかわらず、最後に突然主人公が、
「今日を最後に落語やめます!」
っちゅう引退宣言をしちゃうんですよね。
「なんでや。あんなにええ出来やったやんけ。」
と、関係者一同パニック。
主人公の母も、
「あほなこと言うてんと、ちゃんと続けなさい!」
というわけなのですが、
主人公は、
「お母ちゃん。家出るとき、『お母ちゃんみたいになりたない』言うたけど、
(中略)今は、お母ちゃんみたいになりたいねん。」
と宣言し、物語終了。
しょこら、特に思い入れもなく見ていたので、
特に感慨もなかったけど、ぼんやり、
「ほいでも、お母ちゃんみたいなお母ちゃんしながら、落語もしたらええやん。」
「やっぱ、芸の世界はちゃうんかな~。」
とか思ってました。
それよりも、
「お母さんみたいになりたくない」
って、ひどいフレーズやな~。そんなこと言うてたんか!
と、憤慨してみたり。
(それを言った回は、しょこら見てなかったらしい。)
なので、まあ、最終回で、
「お母ちゃんみたいになりたい」
に修正されて、よかったよかったと思ってました。
というのも、数年前、リアル女子高生がカメラに向かって、
「お母さんみたいにはなりたくない!」
とか、へらへらと言ってるのが全国放送でながれたとき、
「そんな、全国放送で、お母さんの目にも耳にも入るかもしれないのに、
そのことで、どれだけ母親が傷つくか別れへんような想像力しかないのか、
もしくは、あえてする残酷なことをせずにおられない心境なのか。
どちらにしろ、すさんでる。」
などなど、深く考え込んでしまって、
関係ない人の娘さんなんだけど、哀しくて哀しくてナダそうそう。
当時、子どものことでかなり悩んでたしょこらに、欝への道を拍車をかける
出来事だっただけに、鮮明に覚えています。
なので、NHKの製作に、しょこらと同じ様にその時の映像に胸を痛められた方が
おられたのかな~などと勝手に推測したりしていました。
ま、それと仕事辞めることとは、また別問題の気もしますが。
でで、仕事を辞めるというと、
しょこら結構気に入ってみていた「どんど晴れ」や「きらり」。
どちらも結婚するために主人公は小さい頃から夢見ていた仕事を諦めるんですよね。
しかししかし、「どんど晴れ」や「きらり」の主人公って、
ぜんぜんメゲない。
恥ずかしながら、しょこらの場合、
自分の思い描いてる未来予想図がずれてくると、もう大混乱。
必死で抵抗して、守ろうとするんですが、これがさらに事態を悪化させたりして。
その点二人の主人公って、ぐちの一つも言わず、ニコニコとひたむきに頑張る。
そのあたりが、
「何故、他人(結婚する相手の男性やその家族)のお世話と母性を連動させるのか」
「女性の自己実現と結婚は両立しないのか」
って、話になるんだと思うんですが。
「また、何故、女性だけが諦めないといけないのか。」
「状況をあまんじて受け入れないといけないのか。」
もしくは、
「そういうのを美化して、メディアが男性に有利な価値観を刷り込もうとしている」
ってな具合に、批判されるのかなとは思います。
ただ、今回、あえてそれを避けさせていただいて、
鬱になった人間からの率直な感想を書くと、
二人の主人公は、女だからどうこうじゃなくて、
人間としてとても輝いてて、人間として素敵だと思うんです。
ところで、ストーリーの大筋には関係ないあたりで、
「きらり」では、自分の作曲した曲を夫がラジオで生演奏するのが放送されたり、
「どんどはれ」では、結婚相手の旅館のオリジナルお菓子を考案したりと
才能を発揮してみたりして。
関係なくみえることでも、一生懸命尽くして生きていれば、
全然関係ないところで生きてるようにみえても、
ささやかなりとも夢がかなうこともあると思えるエピソードでした。
遠回りに見えても、今与えられている環境を受け入れることが、
とりあえず大事なのかな~などなど。
「ちりとてちん」の主人公も、続編とかで出てきたら、
けろっとした顔で、又落語してたりするんちゃうとか。
そういう意味で、これらの話の主人公たちって、生きていく上での
タフさ、しなやかさがあると感じます。
自分にどうしようもできない部分は受け入れて、その中で自分ができることを
せいいっぱいする。
受け入れらないと、
「ほんとは社会は、会社は、夫は、婚約者は、自分はこうあるべきなのに、
なんで違うねん。」
と不満が膨らんできて、臨界点を突破するとしょこらみたいに
適応障害や欝を発症するのかも。
今、すごく鬱が増えてるらしいですが(ってヒトゴトみたいですが)、
特にデータがあるわけではないですが、
新聞などのエピソードや自分の体験から、
過労が引き金になったかなとは思うものの、根っこのところは、
自分をとりまく状況を受け入れられなかったのかな、と。
そういう人が増えてるのかなと感じます。
(って、またしてもヒトゴトみたいですが。^_^;)
夢や理想を持つことも生きていく上で必要なものだけど、
やっぱ落としどころを見極めるのが肝要ってところでしょうか。
現状を受け入れて、そこから出発して、よりよい明日を目指す。
それって、すごく強くないとできないことだし、
そういう生き方は、男であっても女であっても素敵だと思います。
しょこら、反省と自戒を込めて、
イキイキといきるために、不平不満を口にするより、
とりあえず自分ができることをしていこう。
出し惜しみしないで一生懸命生きて輝ける人になりたい、
と切に思います。
合掌。
「ちりとてちん」は、格別「すきだ~」というエピソードもキャラクターもなく、
たまたまつけたときやってたら見るぐらい。
ラストはたまたま見ていたのですが、そのあと、
考えるともなく考えていたことを少し書いてみたいと思います。
「ちりとてちん」の後半部は、大阪落語会の念願であったなんとか小屋が完成し、
そのお披露目にあたっての講演で、主人公も高座にあがるのですが、
関係者みんなに「よかったでぇ~。」を言われる会心のでき。
にもかかわらず、最後に突然主人公が、
「今日を最後に落語やめます!」
っちゅう引退宣言をしちゃうんですよね。
「なんでや。あんなにええ出来やったやんけ。」
と、関係者一同パニック。
主人公の母も、
「あほなこと言うてんと、ちゃんと続けなさい!」
というわけなのですが、
主人公は、
「お母ちゃん。家出るとき、『お母ちゃんみたいになりたない』言うたけど、
(中略)今は、お母ちゃんみたいになりたいねん。」
と宣言し、物語終了。
しょこら、特に思い入れもなく見ていたので、
特に感慨もなかったけど、ぼんやり、
「ほいでも、お母ちゃんみたいなお母ちゃんしながら、落語もしたらええやん。」
「やっぱ、芸の世界はちゃうんかな~。」
とか思ってました。
それよりも、
「お母さんみたいになりたくない」
って、ひどいフレーズやな~。そんなこと言うてたんか!
と、憤慨してみたり。
(それを言った回は、しょこら見てなかったらしい。)
なので、まあ、最終回で、
「お母ちゃんみたいになりたい」
に修正されて、よかったよかったと思ってました。
というのも、数年前、リアル女子高生がカメラに向かって、
「お母さんみたいにはなりたくない!」
とか、へらへらと言ってるのが全国放送でながれたとき、
「そんな、全国放送で、お母さんの目にも耳にも入るかもしれないのに、
そのことで、どれだけ母親が傷つくか別れへんような想像力しかないのか、
もしくは、あえてする残酷なことをせずにおられない心境なのか。
どちらにしろ、すさんでる。」
などなど、深く考え込んでしまって、
関係ない人の娘さんなんだけど、哀しくて哀しくてナダそうそう。
当時、子どものことでかなり悩んでたしょこらに、欝への道を拍車をかける
出来事だっただけに、鮮明に覚えています。
なので、NHKの製作に、しょこらと同じ様にその時の映像に胸を痛められた方が
おられたのかな~などと勝手に推測したりしていました。
ま、それと仕事辞めることとは、また別問題の気もしますが。
でで、仕事を辞めるというと、
しょこら結構気に入ってみていた「どんど晴れ」や「きらり」。
どちらも結婚するために主人公は小さい頃から夢見ていた仕事を諦めるんですよね。
しかししかし、「どんど晴れ」や「きらり」の主人公って、
ぜんぜんメゲない。
恥ずかしながら、しょこらの場合、
自分の思い描いてる未来予想図がずれてくると、もう大混乱。
必死で抵抗して、守ろうとするんですが、これがさらに事態を悪化させたりして。
その点二人の主人公って、ぐちの一つも言わず、ニコニコとひたむきに頑張る。
そのあたりが、
「何故、他人(結婚する相手の男性やその家族)のお世話と母性を連動させるのか」
「女性の自己実現と結婚は両立しないのか」
って、話になるんだと思うんですが。
「また、何故、女性だけが諦めないといけないのか。」
「状況をあまんじて受け入れないといけないのか。」
もしくは、
「そういうのを美化して、メディアが男性に有利な価値観を刷り込もうとしている」
ってな具合に、批判されるのかなとは思います。
ただ、今回、あえてそれを避けさせていただいて、
鬱になった人間からの率直な感想を書くと、
二人の主人公は、女だからどうこうじゃなくて、
人間としてとても輝いてて、人間として素敵だと思うんです。
ところで、ストーリーの大筋には関係ないあたりで、
「きらり」では、自分の作曲した曲を夫がラジオで生演奏するのが放送されたり、
「どんどはれ」では、結婚相手の旅館のオリジナルお菓子を考案したりと
才能を発揮してみたりして。
関係なくみえることでも、一生懸命尽くして生きていれば、
全然関係ないところで生きてるようにみえても、
ささやかなりとも夢がかなうこともあると思えるエピソードでした。
遠回りに見えても、今与えられている環境を受け入れることが、
とりあえず大事なのかな~などなど。
「ちりとてちん」の主人公も、続編とかで出てきたら、
けろっとした顔で、又落語してたりするんちゃうとか。
そういう意味で、これらの話の主人公たちって、生きていく上での
タフさ、しなやかさがあると感じます。
自分にどうしようもできない部分は受け入れて、その中で自分ができることを
せいいっぱいする。
受け入れらないと、
「ほんとは社会は、会社は、夫は、婚約者は、自分はこうあるべきなのに、
なんで違うねん。」
と不満が膨らんできて、臨界点を突破するとしょこらみたいに
適応障害や欝を発症するのかも。
今、すごく鬱が増えてるらしいですが(ってヒトゴトみたいですが)、
特にデータがあるわけではないですが、
新聞などのエピソードや自分の体験から、
過労が引き金になったかなとは思うものの、根っこのところは、
自分をとりまく状況を受け入れられなかったのかな、と。
そういう人が増えてるのかなと感じます。
(って、またしてもヒトゴトみたいですが。^_^;)
夢や理想を持つことも生きていく上で必要なものだけど、
やっぱ落としどころを見極めるのが肝要ってところでしょうか。
現状を受け入れて、そこから出発して、よりよい明日を目指す。
それって、すごく強くないとできないことだし、
そういう生き方は、男であっても女であっても素敵だと思います。
しょこら、反省と自戒を込めて、
イキイキといきるために、不平不満を口にするより、
とりあえず自分ができることをしていこう。
出し惜しみしないで一生懸命生きて輝ける人になりたい、
と切に思います。
合掌。