勝手に思うままに 榊原秀光のブログ

日頃 思っていることや感じたことを思うままに書きます。

勝手に思うままに 85

2012-09-17 05:55:35 | 
久しぶりに勉強会に参加してきました。
第3回社内木鶏全国大会 福岡で開催されました。
開会式で幕を開け前回の様子をビデオで発表。その中に前回 感動奨励賞に輝いた
浦田理恵さんの光り輝いた発表に早くもウルウルとしてしまいました。

今回の発表企業は

○北海道・東北代表
 [株式会社安藤組] 代表取締役 安藤政則様

○東海・北陸代表
 [愛東運輸株式会社] 代表取締役 村山明子様

○近畿・中四国代表
 [社会福祉法人 宗友福祉会] 理事長 丹生谷宗久様

○九州・沖縄代表
 [グリーンライフ産業株式会社] 代表取締役会長 中村和男様

私のお目当ては愛東運輸株式会社。 本当にそんなことできるんだろうかといった
半信半疑(誠に失礼な奴であります)で参加しました。

勝手に思うままに85 教育とは

愛東運輸さんは、弊社と全く同じ職種で、運ぶ品目まで、運び方まで同じ。
社員数は、愛東さんのほうが多いですが、会社の運営方法はほぼ同じであるように
思いました。

トラック運転手というと、イメージ的に悪く囚われます。
だから、良いイメージにしたい。 そんな思いから会社を変える決心を村山社長は
しました。
村山社長のメッセージの中で、「教育とは、心に火を灯すこと」この言葉が胸につ
き刺さりました。
また、社員の山形さんの発表では、お客様対応の話が出てきました。
弊社と比べて、恥ずかしくなるくらいの開きがありとてもショックであり、少しで
も近づこうという思いと、どうすればあんなすばらしい社員が育つのかといった疑問
とが交差していたのですが、4社8名の発表を聞き終わったときに答えが出ました。

8名が共通して言っていた、思い描いているワードがありました。
それは「誇りをもつ」でした。
仕事に、会社に、自分に 自信ともよく似ているのですが、例え方として自信ではな
く誇りと伝えたかった理由を自分も探すことにしました。

言われてみれば、自分は会社に、仕事に、自分に誇りがあっただろうか そんな自問
自答をしてみれば、答えは「NO」です。
そんな社長に社員がついてくるわけがない。社員に誇りが芽生えるわけがない。
これから少し時間がかかりますが、必ず見つけたいと強く誓った次第です。

勝手に思うままに 83

2012-09-12 06:15:30 | 
 今日で、大震災から1年半が過ぎようとしています。
また、行方不明者の懸命な捜索が今なお続いていてます。

私は、24年5月と8月に、宮城県石巻市へ復興支援に行ってまいりました。

5月は、雄勝町という漁村の400年以上続く、神事のお手伝いです。
雄勝町立浜は、ホタテ・アワビ・ワカメ等の海産物が豊富に採れ、養殖も盛ん
なところでした。
また、高価な海産物が多く、たいへん裕福そうな村でした。

勝手に思うままに83 復興祭

しかし、大震災により村は壊滅。
震災直後は、港に瓦礫が覆いつくし、手の付けようがない状態の中、掃除に学
ぶ会の人たちが中心となり、その瓦礫の撤去を始めました。

延べ2000人のボランティアによる撤去作業で、港はよみがえり、そのボラ
ンティアの人たちのパワーにより、漁師の方々も少しずつ元気を取り戻しだし
てきました。

そして、昨年できなかったお祭りを「復興祭」としてやりたいので、お手伝い
してほしいとの要請でした。

小高い山の神社からお神輿を担ぎ、御神体を海に奉納し、村を練り歩き、また
神社へお神輿を納めるという儀式です。

そのお神輿は 重さが800kgそれを16人くらいで担ぐのですが、村には
担ぎ手がいなくなってしまった そこで担ぎ手、太鼓を持つ人等や、港では、
マーキーを張って、綿菓子やジュース、ピール、焼きそばやちらし寿司などを
愛知県から持っていき、村の人たちへの振る舞いも行いました。

静岡からも応援にやってきて、総勢100名くらいで雄勝町立浜を盛り上げ
たのですが、逆に立浜の方々のお祭りパワーに、私たちが勇気や元気をいただ
くことになったり、まだたくさんの時間はかかると思いますが、きっとこの村
はこの地域を引っ張っていく元気があると確信いたしました。

 合間にする震災の話は、背筋が凍るような 話も聞かれ、防災の観点からも
現地の声を直接聞けたことはとてもよかったと、感動・感激とともにいただき
夜行でバスにゆられ帰ってまいりました。

立浜ありがとう

勝手に思うままに 82

2012-03-26 06:22:41 | 
も~すぐ春ですねぇ
桜の蕾も準備万端 また淡いきれいな景色がやってきます。

たまに電車で移動することがあります。
大震災後、若者が席を譲るシーンをよく目にします。
その光景は、とても清々しく思いやりの行動を勇気をもってできる そんな若者が増えてきたことにとてもうれしく、幸せな気持ちになります。

これは、ずい分前のお話です。

勝手に思うままに 82 思いやりの心

 Aさんが乗っている電車に社会人一年生くらいの若者が二人、乗ってきました。
ちょうど席が一つ空いており、若者の一人が座りましたが、次の駅で幼児をつれた女性が乗ってきたのを見て、「どうぞ」とすぐ席を譲ったのです。
その素早さにAさんは驚くとともに、何か清々しい気持ちになりました。

 二人の若者は何もなかったように会話を続けています。「仕事の帰りにS駅の店に寄ろうよ」「どうしてS駅がいいんだよ」「だって今日は野球があるから、店で放映してるじゃないか」「そうしよう」と二人の話はまとまったようです。

 すると、その会話を聞いていたらしい乗客の一人が、「今日の試合の招待券を持っているよ。外野席だけど、もし行くんだったら二枚あげるよ」と言い出したのです。まるで「わらしべ長者」を思わせる展開です。

どうやら二人の若者に好感を抱いたのはAさんだけではなかったようです。

 思いやりに欠ける行為の多い昨今ですが、誰にでも他人を思いやる心はあります。ただそれを行動に移せるかどうかでしょう。

二人の若者に学びたいものです。

勝手に思うままに 80

2011-10-19 06:01:40 | 
ふりつもるみ雪にたへていろかえぬ松ぞををしき人もかくあれ
この歌は、昭和天皇が終戦時にお詠みになられた、お歌です。
敗戦後、占領という日本にとって未曾有の過酷な試練に耐えて、寒い雪にも緑の色を変えぬ、あの松のように変わらぬ節操を貫くようにと、国民をお励ましになられたお歌です。

人生は未知との出会いです。「未曾有」と形容される大震災、不況のまっただ中、かつてないほど、大変な状況になってきました。
希望は決してなくならない、と言われるのは、聖路加国際病院理事長 日野原重明氏のインタビューから

勝手に思うままに 79 角砂糖二つの幸せ

 不況なら、不況の中で暮らしていくことを覚悟し、その中で楽しみを見つけるのがいいんじゃないかと。
収入が減って、ご馳走があまり食べられなくなるけれど、お芋一個でも、ありがたくいただこうと発想を変えればいいじゃないかと。

 戦時中、アメリカ大使館に往診をしていたことがありました。あるとき、病気に罹られていた大使の公邸に行ってみると、奥さんがぼくにコーヒーを入れてくれました。
 お皿には角砂糖が三つ。当時の日本では、砂糖はめったに手に入らない貴重なものです。
だからぼくは、一つだけコーヒーの中に入れて飲んで、奥さんがキッチンに言っている隙に、ほかの二つをサッとポケットに入れたのです。それで電車に乗って、大事に大事に家に持ち帰って、家族で分けて食べた。それは、なんとも幸せなひとときでした。
 たった二つの角砂糖で、人はこんなにも幸せな気持ちになれると、あのとき、僕は知りました。
どんな時代、どんな状況にあっても、幸せや喜びを見出すことはできるはず。
そのためにも、現状をあきらめずに、その中でできることをがんばることが大切なんだと思うんです。 以上

心に希望を持ち、現状をあきらめないことで、未知の世界は明るく開けていくことを教えてくれています。 拝

勝手に思うままに 79

2011-10-18 06:08:59 | 
 3月11日(金) 東日本大震災が起こりました。
12.13日報道を通じて刻一刻と、大変な状況に身が震えました。

翌週、すぐに半田市長へ直接電話をいたしました。

「何か半田市として支援物資を送りましょう」と伝えました。
震災後 すぐに半田市から救援隊が被災地へ駆けつけていて、半田市長は現地の情報をいち早く収集していました。
「物資を持っていっても被災地で受け取る体制ができていないのでもう少し待ってください」とのことでした。
その週の金曜日 市役所防災課の課長から 被災地で受け取れる用意ができましたとの連絡を受け、市から市民へ支援物資を集めました。

募集した支援物資は7品目。 まず先発隊が物資を被災地へ届けにいきました。
ところが、被災地ではすぐに必要な物資が19品目あるという。 いまから市民にお願いすることもできず 困り果てました。

勝手に思うままに 79 いざというとき

私は半田ロータリークラブの会員であります。
半田ロータリークラブは創立60周年を向かえ記念事業を計画していました。
私も60周年実行委員会の一員として活動していました。
そのとき、東日本大震災は起こり、計画は縮小、中止といった状況を取り、そのお金を義捐金にあてるという計画変更を打ち出しました。
そこで、私はその一部のお金を支援物資に当ててもらえないかとお願いしました。

その予算 100万円を出してくれるというのです。 その日にお願いして100万円を支援物資の予算に当てていただき、また、仕入れる業者(メンバーもいる)の方々も安価に提供していただいたおかげで(実質150万円分の物資が集まった)、集めることが困難であった19品目の支援物資を調達することができました。 普段、ロータリークラブって本当に奉仕団体なのかなーとか疑問に思うところも多々ありましたが、「いざというとき」の力が真の力だとこのとき感じました。
普段は、謙虚な活動をしているが、いざというとき力を発揮する とてもスマートな団体でありました。
被災地では、ロータリークラブの支援物資に歓声まで上がりました。
本当に困っていたんです。 その時期まで被災から下着すら替えていない人もいるのです。 物資を仕分けする人たちは被災地のボランティア 全員被災者なのです。
黙々と作業する姿に心が痛みます。 つづく

勝手に思うままに 77

2011-10-14 06:40:11 | 
 私たちは決して自然の摂理に逆らうことはできません。
自然の中に生かされその自然に感謝し、自然を大切にしていかなければなりません。

当たり前の生活が、とても幸せなことであることを 自然の摂理の中で証明され、自然の中に生かされている感謝の心は、思いから、形に変えていく そんな時期にきたのではないかと感じています。

 心に響くお話を、東日本大震災で被災されました方々から聞きます。
耳から伝わる感動は、心を温かくし、心に染み渡ります。

言葉によって 心に変化をもたらす その意味をヘレン・ケラー女史が教えてくれました。

勝手に思うままに 77 心の光

 目が見えない、耳が聞こえない、口がきけないという苦しみをもつヘレン・ケラー女史が八十歳になった時にインタビューをうけられたそうです。「もし神様がどれか一つを叶えてくれるならば、あなたは見えるようになりたいか、聞こえるようになりたいか、喋れるようになりたいか」と聞かれたそうです。その時、ヘレン・ケラーは「私は耳がほしい」と、こう答えたというのです。聞いた人はびっくりしたそうです。「目が欲しい」と言うに違いない。一目瞭然という言葉があるから。山というのはこんな形なのか、緑というのはこんな色なのか、なによりもすでに亡くなった父母の写真をみることができる。だから「目が欲しい」というと思ったら、「耳が欲しい」と言うのです。それで「その理由はなんですか」と聞いたら、「心に光が入るのは耳からだからです」と答えたそうです。

 80年間彼女が求め続けてきたものは「光」であったはずです。
その「光」とは、電気や太陽の光ではなく、心に灯る光が本当の光である。 
80年間、闇の中に追い続けた真実の光は心に灯る光だったのです。

 

勝手に思うままに 71

2010-10-07 06:46:35 | 
前日に引き続きのリッツ・カールトン・ホテルの第2弾です。
サービス日本一になるには、わけがある。
決して自然に、偶然に、運良く選ばれたのではない。

どんなサービスしてくれるんでしょう。 と、私はリッツ・カールトン・ホテル大阪へそのサービスを体験しに、泊まってみました。

勝手に思うままに71 リッツ・カールトン・ホテル②

13年前、大阪駅のそばにリッツ・カールトン・ホテルが開業した時、「ヨーロッパスタイルのいいホテルが出来たな」といった程度にしか受け止めていなかった。
知人の中には、「迷路のようなホテルだ」と言う人もいた。
確かに、フロントの位置やエレベーターの位置がなかなかわからない。廊下もまっすぐになっていないので、部屋を出てから、しばしば面食らうこともある。
そんな変なホテル?に関心を持ったのは、日経ビジネス誌で、「サービス日本一」として取り上げられた時からである。

リッツ・カールトン・ホテルの社員は、数あるホテルの中でも、社員がボランティア活動をしている割合は、圧倒的に高いと聞きました。
仕事以外の時間に、社会のために何か役に立つボランティア活動を熱心に行うことができる心(感性)を持った社員は、仕事の面でもやはり、お客様を思いやる行動を取ることができるのです。

私は、1階のロビーあたりで かみさんを探していました。
すると、女性のスタッフが寄り添ってきて、「なにかお困りですか?」と尋ねてきました。たしかに、困った素振りに見えたのかもしれません。そのタイミングといい、やさしいもてなしといい、とてもよい気分にさせていただきました。

また、ベットメイクも2度行われ食事後部屋に戻ったときには、また、新たな部屋に来たのかと、心地よい気分になりました。食事もレストランでは、超一流のサービスを受け大変満足なひと時を味わいました。

リッツ・カールトン・ホテル社長の高野さんは、「特別な才能を持った人がいなくても、知恵とチームワークがあれば、たいていのことは出来る」と言います。私もまったく同じ思いです。


勝手に思うままに 70

2010-10-06 06:46:03 | 
ようやく秋らしくなってまいりました。
スポーツに行楽にと、とても良い季節です。

サービスの本質というものを加賀屋の商売における取り組みによって学ばせていただきました。
今回は、リッツ・カールトン・ホテルのお話。リッツ・カールトン・ホテルは、日本で一番サービスの良いホテルとして、注目を集めています。

勝手に思うままに70 リッツ・カールトン・ホテル①

 1800年代の中ごろ、パリのパンドーム広場にホテル・リッツが開業しました。創業者のセザールリッツさんは、゛ホテルの非常識゛をいくつも試みました。当時のホテル業界では考えられないような非常識なことを次々に試みたのです。例えば、ホテルのロビーに、大きなお花を飾りました。各部屋にシャワーをつけました。お客様の好みに関する顧客情報を記録して管理するようにしました。また、レストランで、自分の好きなものが食べられるようなアラカルトを始めたのも、セザールリッツさんが初めてです。いずれも、今は゛ホテルの常識゛になっていることばかりです。しかし、当時は、ホテル業界の誰もが考えたことのない、゛非常識゛だったのです。
 リッツ・カールトン・ホテルは、セザールリッツさんの゛非常識への挑戦゛の遺伝子を受け継いでいる。「リッツとカールトンの二つのホテルが一つになり、1983年、ホテルをヨーロッパでなく、アメリカで展開し始めた。

 ホテルの建設が始まってから、本当に新しいホテルが必要なのか、我々が新しくホテルを作ることにどんな意味があるのか、そんな議論を徹底して行いました。
 結論は、ノー。
わざわざ我々がホテルを開く意味がないということになりました。そして、我々がやる限りは、ホテルをもう一つ作るのではなく、社会に゛ラグジュアリー(豪華な豊かさ)゛を創造するところに意味があるとの結論に到達しました。私達が、ホテルのサービスやホスピタリティに対する考え方を変えることが出来るかどうか、私達の真価は、そこで問われるのです」。企業としての゛遺伝子゛とは、その企業の存在に関する根本的な意義とも言える。リッツ・カールトン・ホテルは、名前はホテルではあるが、実際には、「ラグジュアリー(豪華な豊かさ)を新しく創造し、提供する」ところに存在理由を求めているのである。

自らの存在の根本理由が明確でないと、サービスの方向も従業員が力を発揮する方向も決まらない。この点は、加賀屋の考え方と同じところである。企業のDNAとは、『志』である。

企業に、『志』がなければ、力強い活動など出来るはずがない。 つづく