勝手に思うままに 榊原秀光のブログ

日頃 思っていることや感じたことを思うままに書きます。

勝手に思うままに 91

2013-08-27 06:04:58 | 
今年も酷暑の日々が続きます。
自然の中では、秋を感じさせることも多く起こっています。

夕暮れ時、信号待ちをしている車の横を赤とんぼが飛んでいました。

雨が少なく、先日 知多カントリークラブの社長とゴルフをしながら
芝生の生命力の強さを教えていただきました。

コースの芝をよく見ると、葉が丸くなっています。
芝が、我慢をしているそうで、むやみに水を与えると、絶えず水を
要求するようになり、芝にはよくないそうです。

人間に照らし合わせても、尽きない欲望は身の破滅につながります。

松翁の指導書の中から

勝手に思うままに91 辛抱する

諸葛孔明が蜀の軍勢を率いて魏を攻めた時、これを迎えた魏の大将は
司馬仲達であった。仲達も名将どいわれた人だが、孔明の絶妙な軍略
には太刀打ちしがたく、戦っては何度か苦杯を喫してしまった。
 そこで仲達は方針を変え、陣をかためて戦闘を避け、持久戦にする
ことにした。
孔明はさかんに兵を出して戦いを挑ませるが、魏の軍は一向に応じな
い。ついに一計を案じ、女性の衣装を贈り、「戦う気がなければこれ
を着よ。もし男として恥を知るなら堂々と合戦してはどうか」と書を
届け、辱しめた。
 これを見た魏の武将たちは、仲達をせめ、「こんなに辱しめられて
は黙っていられません。ぜひ打って出ましょう」とせまった。
仲達自身も心中では非常に怒りを覚えていたが、しかしここが大事な
ところと、じっと辛抱し、たくみな策を用いて武将たちをも納得させ
て、ついに孔明の挑発に乗らなかった。
 そうした持久戦のうちに、やがて孔明は病を得て陣中に没し、蜀は
群を退いた。
そして孔明を失った蜀はその後ついに魏の軍門に降ったという。

 人間というものは、とかく勇ましさを好むものである。
だから、退くよりも進みたがり、戦いを避けるよりも、はなばなしく
戦うことを勇気ある行為と考えがちである。
そして退いたり、戦いを避けたりすると、それを臆病だとか卑怯だと
かそしったり非難したりする。
 もちろん、進むべき時に進み、戦うべき時に戦う勇気を持たなくて
はならないのは当然である。
それができなくては、臆病者、卑怯者といわれてもしかたがない。
しかし、耐えがたきを忍びつつ、退くべき時に退き、避けるべき戦い
を避けて、忍耐強く時を待つというひとは、実際は非常に勇気がいる
ことである。そういう態度は、その時はおおむね賞賛よりも、避難、
軽蔑を招くからである。

 さういうことを考えると、指導者というものは非常な忍耐心を一面
に要求されているといえよう。私の感情にとらわれず、いかなる非常
や屈辱にも耐え、自分の正しいと信ずる方針をつらぬいて、じっと時
をまつということができなくては、真にすぐれた指導者とはいえない。

「堪忍は無事長久の基。怒りを敵と思え」というのは徳川家康の遺訓
の一節だそうだが、指導者として大いに味わいたいことばだと思う。

指導者はじっと時を待つ忍耐心を持たなくてはならない  以上

とても深い話であります。
今思うと、自分もそのようなことがあったし、辛抱しきれなかったこ
とも何度もありました。 深い学びをいただきました。 拝