車で10分足らずのところに小高い丘があり其のふもとは公園になっています。緑の芝が敷き詰められ樹木も植えられまさに砂漠のオアシス。この公園でラスベガスでは珍しい雲を撮影してきました。
車で10分足らずのところに小高い丘があり其のふもとは公園になっています。緑の芝が敷き詰められ樹木も植えられまさに砂漠のオアシス。この公園でラスベガスでは珍しい雲を撮影してきました。
アメリカが熱波に襲われています。摂氏40度を越す温度がしばらく続きそうです。ラスベガスはこの熱波には影響されてなく普段どおり40度の高温です。同じ40度でも湿度が高い地域ではその感じ方は大変な差がでます。また家屋の造りも高温多湿に対応してないので尚更です。
乳房雲(Mammatus Clouds)をご存知ですか。カナダのSaskatchewan地方の人々がこの奇妙な雲に遭遇しました。ちょっと怖くなります。この地方は激しい雷雨(thunderstorms)に見まわれましたので其のせいだと言われてます。
写真をクリックするともっと奇妙な雲が見られます。
毎日40度を超える日が続いていますが、最近はじめたジムでのトレーニングのおかげでしょうか、焼け付くような日差しの中でも結構苦にならなくなくなりました。
私たちの日課は毎朝トレッドミルで一時間ほどウォーキングをやり、プールで身体を慣らします。そして温泉といきたいのですがないのでジャクージで十分身体をマッサージします。ジャクージで身体が暖まったらプールでまたしばらく身体を慣らし、プールサイドで甲羅干しをします。
ラスベガスは大変乾燥してるので普段の生活で汗をかく事はありません。たぶん汗をかいてるのでしょが、すぐ乾燥してしまうのでしょう。トレッドミルでウォーキングするとシャツが濡れるぐらい汗をかきます。実にすがすがしくなります。
トレーニングの後の良く冷えたスイカは格別です。最近のスイカはほとんどが種無しですが、先日スーパーで「Seeded」と書いたラベルを貼ったスイカがありました。いわゆる「種あり」スイカです。珍しいので買いました。レーシートを見た女将から「こんな高いスイカを買ってーー」と小言がとんできましたが、後でその美味しさには満足していました。久しぶりに幼少のころ田舎で食べたスイカを思い出しまた。
小さい黒い種の配列、実に綺麗です。つい写真を撮ってしまいました。
この「種あり」スイカは皮(Rind)が柔らかく一夜漬けにしましたが、アメリカの種無しスイカの皮は硬く我々日本人が好む一夜漬けに到底使えません。
アメリカにもWatermelon Rind Pickleがあります。ただしこれは甘くしてあります。塩を加えた水を沸騰させ、皮をいれ5分程煮て柔らかくします。ソースパンに砂糖、酢、コショウ、しょうがなどを入れてボイルしてゆでた皮加えて15分ほど弱火で15分ほど煮詰めてできあがりです。
ラスベガスに住むと季節感がどうも鈍るようです。この2ヶ月ほど雨が降らず晴天が続いています。今日の日中の温度が39度、6月はじめでこの温度、ニューヨークはせいぜい18度程度で、にわか雨、明日も雨とか、つい懐かしくなります。
そんなおり、「左からピーマン、きゅうり、肥後グリーン」とシャメルの写真一枚と共に日本から季節の便りが届きました。
メロンは友人のハウス農家から苗を二本いただきました。小さいビニールハウスを建てて、一生懸命育て上げました。
一本は挫折して枯れましたが、残る一本は私の意を汲んでか頑張ってくれました。 それはそれは腫れ物に触る感覚で接しました。その甲斐あってか自慢出来るメロンに育ってくれました。「 いま、この身があるのも御先祖様のおかげ」、それに感謝して仏壇に供えました。
きゅうり、ピーマン、じゃがいも、大根、玉ねぎ、 やがて、ふろ豆も穫れ始めます。 夏菊が咲き始めたので仏壇に供えています。 暑いけど、それに耐えてつぼみも綺麗に咲いてくれてます。 自然で育った花は力強いのです。
私のメールは野菜の事ばかりですが、『お父さん、今日も頑張っていますね』の言葉に振り返れば、近所の娘さんが笑顔で立っている、 そんな田舎ならではの風景でした。
熊本のSさんいつも懐かしい季節の便りありがとうございます。家庭菜園もここまでやれれば立派なものです。私たちは無味乾燥な砂漠の町に引っ越しました。自然の厳しさ、そして自然が織り成す砂漠ならではの広大な造形にじかにそして肌で触れてみたかったからです。また実り豊かな季節の便りお待ちしております。
今年も3月になってしまいました。
今日からDaylight Savings Time, つまり夏時間になり、時計の針を一時間進めました。日照時間が長くなり、春の到来を伝えてくれます。
「1月行く、2月逃げる、3月去る」 よく耳にするのですが、
3月になると冬の寒さも和らいで、草木のつぼみ、芽も膨らみ始めます。
「3月去る」は長い冬が去ることではないでしょうか。
そして「4月知る」、つまり自然(シ)の不思議さと恵みを私たちは知る(シ)ことになります。
寒い冬の嫌いな私の勝手な語呂合わせでした。
春と言えば、良寛さんこと、江戸後期の禅僧で、歌人であった大隈良寛のこんな漢詩を思い出します。
花無心招蝶 花は無心に蝶を招き
蝶無心尋鼻 蝶は無心に花を尋ぬ。
花開時蝶来 花開く時蝶来り
蝶来時花開 蝶来る時花開く。
吾亦不知人 吾も亦人知らず
人亦不知吾 人も亦吾知らず。
不知従帝則 知らずとも帝則に従う。
私たちも自然の一部ですから、意思にかかわらず自然の大道に従って生きれいるということでしょう。実に不思議な世界です。
自然は私たちに恵みを与えますが、過酷な試練も与えます。
日本列島のかの地域は昨年の3月11日以来、時計の針が止まったままになっています。
空の空 空の空 一切は空虚である。
日の下で、どんなに労苦しても、
それが人に何の益になろう。
世は去り 世は来る
しかし地は永遠に変わらない。
日はいで 日は没し
その出た所に急ぎ行く。
先にあったこと また後にもある。
先になされた事は また後にもなされる。
日の下に 新しきものなし。
「見よこれこそ新しいもの」と
言うものがあるのか。
それはわれわれの前にあった世に
すべたあったものだ
つづけてこういってます。
私は、日の下で行われたすべてのわざを見たが、
なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。
そして
曲がってるものを、まっすぐできない
なくなってるものを、数えることはできない。
「私の心は多くに知恵と知識を得た」
実に 知恵が多くなれば悩みも多くなり、
知識を増すものはかなしみを増す。
以上、旧約聖書 「伝道の書」から
復興が進んでいない実情をみると、政治の世界で色々と言われてることが空虚であり、むなしさを感じてなりません。