石の上にも3年というが、もうその十倍の30年も夫婦であることを私達は体験した。私達は、ほとんど同じ時代に生まれ、運命的な“出会い”がなければ顔を知らずに過ごす可能性があった二人である。その二人が“あの時”の出会いをきっかけに、いそいそと結ばれ一つの人生を供に暮らしてしまった。
当時、私はある商社のニューヨーク支社に勤務していた。日本に出張した折、東京での仕事を終え、実家に帰ると父から見合いの話があった。それではと日取りが決まり、妻の実家で会った。話は急展開、“出会い”から一週間後には結納を済ませ、結婚式の日取りも直ぐ決まってしまった。
妻のパスポート申請が私たちの初デートとなった。駅前の喫茶店でのひと時、駅のホームで買ったうどんを列車の中で食べたことは懐かしい思いである。アメリカ領事館にビザ申請に行き、池の辺りをぶらついたことも昨日のように思い出す。
妻は期待と不安を抱きならが、“出会い”から3週後にはニューヨークの人となった。
この30年間、人なみに山あり谷ありの人生を渡って来たが人様に話すほどの非凡な夫婦ではない。平凡きわまる二人の典型的な日本人夫婦である。
であるが、世の中の動き、出来事を振り返ったとき、そして今日本で起きてる状況を見ると、こうして30年間も暮らして来れたのは、むしろ奇跡ではなかろうかと強く思う。
今は生きている事に感謝し、妻の幸せを願い、妻の幸せが自分の幸せと感じられことを願いながら、今後の生活を大切にしょうと思ってる。
夫婦の幸福には、果実と同じようにそれぞれの季節がある。
果実と異なる点は、人間には熟した幸福を腐らせないだけの
能力がある。(政次満幸)