種山壮(shuzanso)NY

ラスベガス編

この数字何?

2011年10月19日 | 徒然

ちょっと数字の問題です。これらの数字は何だと思われますか?

 

人生とは何ぞや? 何年生きられる? いやはや、難しい問題です。沢山の偉い人たちが考えました。

 

A: 80, 70, 160(?), 200(?), 70, 61, 55, 87, 79, 90, 54, 107, 73, 73

 

B: 18, 20, 35, 40, 14.6, 15.2, 20.3, 44, 50

 

 

答えは次回のブログエントリーで。

 


FALL FLOWERS OF JAPAN

2011年10月16日 | アメリカ素描

今日は日曜日、素晴らしい秋晴れでした。久しぶりに車で遠出しました。 

 

The New York Botanical Gardenでは、Fall Flowers of Japanと題したキクの展示をやっていました。素晴らしいキクの芸術品に沢山の人が、それはそれはため息を付いていました。

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


復興をなしとげる精神

2011年10月15日 | 徒然

 

復興を支える若者の起業 2011 10.03 産経

 

東日本大震災からの復旧復興をめぐる政府や国会の対応は議論ばかりが続き、実行がなかなか伴わない。そんな政治を尻目に、市民から少額の投資を募る「市民ファンド」の広がりや若者らの起業が、民間の自律的復興を支えている。

 

 ――――中略――――

 

それに比べて、政府が省庁横断と銘打って雇用調整助成金の拡充などを柱に震災直後から始めた「しごとプロジェクト」はどれだけ具体的な新規雇用を生み出しているのだろうか。

行政に望むのは地域の核となる民間の自助努力の動きを柔軟に支援していく発想への転換である。

 

 

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/111003/biz11100307530000-n1.htm

 

 

 

ここで思い出されるのが故松下幸之助氏の「日本と日本人について日本の伝統精神人間を考える - 1982年」

 

戦後の復興をなしとげた精神

 

 

終戦当時の日本においては、多くの日本人は住む家もなく、着るに服なく、又その日の食べ物にさえ事欠くと言った状態でした。日本人は、焼け野原に立ちつくし、瓦礫の山を前にして、呆然としてなすすべを知らないような有様でした。けれど、やがて日本人は気をとりなおし、勇気をふるいおこして、わが家を、わが町の、そして日本の復興、再建にとりかかったのです。

 

その復興をおし進めるにあたっては、もちろん、幾多の困難な壁というべきものがありました。しかしそれらの壁を一つひとつのり越え、一歩一歩再建ををすすめてきたのです。その結果、一面において、世界の人々がおどろくほどの立派な姿にまで、日本を復興発展させることができたわけです。

 

そのような復興発展をおし進めてきた力といいますか、原因はどういうものだったかといいますと、考え方はいろいろありましょう。日本の教育水準なり、教育の普及度が高かったこともあるでしょうし、また、アメリカはじめ諸外国の援助によるところも、非常に大きなものがあったにちがいありません。その他さまざまの原因が考えられると思います。

 

けれども、いちばん大切な、忘れてならないことは、復興に取り組んだ当時の日本人自身の心の中に、お互いをしてふるい立たしめる何ものかがあったということではないでしょうか。困難にもめげず、歯をくいしばって奮起し、努力せしめる何かが、日本人自身の心の中にあったからこそ、戦後のわずかかに間に世界がおどろくような復興再建がなしとげられたのだといえましょう。現に、戦後の政界において、日本と同じように外国の援助を受けた国は多くありますが、そういうものを日本ほど生かし得た国はないと思います。その姿一つをみても、そうしたことがいえるのではないでしょうか。

 

そして、その日本人の心の中にあったものこそ、これまで述べてきたような、長い日本の歴史を通じつ培われ、いつの時代の人びとの心の中にもあったとおもわれる、日本人としての伝統の精神、いわゆる日本精神ではないでしょか。

 

 

 

 


10月の季節の便り 

2011年10月10日 | 季節の便り

日本からの便り。

 

 豆色の秋 -玄関先に小豆色の小菊が咲きました。
仕事から帰った8月の盆過ぎ秋菊の苗(10~11月咲)を買って、玄関前におふくろが植えていたので、真似して6株植えました。やはり、自然の状態で育っているので、切られて供花されても強いようです。  販売されている花は見栄えを良くするために大事に育ててあるので、切られてしまえば激変します。菊を作り仏壇に供えるようになった私、年を重ねたと実感する秋の一日です。

 

 NY今はSpay Mum が花盛り、ホームセンターには色とりどりの小菊が咲いてました。

 

26代大統領のTheodore Roosevelt 記念館に行ってきました。我が家から車で10分足らずの所にあります。

 

22歳の、1880年に155エーカーの土地をその当時の価格$35,000で買って、家を建てました。1887年に入居、61歳で亡くなる1991年まで住んでいました。1902-1908年、大統領をしてる間は「Summer Whitehouse」と呼ばれてました。

 

ポーチにあるロッキングチェアーに座り、しばしルーズベルト大統領の気分に浸ってみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Love Me Light - Sayaka Alessandra

2011年10月02日 | Music

今、イタリアのユーチューブで最も視聴されてる女性シンガーです。

 

お父さんが日本人、お母さんがシシリア人です。

 

イタリア語は勿論、日本語と英語が話せます。イタリアの衛星放送で「Travelling in Time with Sayaka Sato」と言う番組のホストもしていました。

 

2008年、ユーチューブにアップロードして以来、たちまち人気者になりました。

 

1940-1960年代のジャズ、ソールそしてR&Bを得意にしてます。

 

http://www.sayakaalessandraofficial.com/