今年は秋でも夏日が続くという、秋らしからぬ気候が続いたゆえに、秋の冷たい雨が降ると、ようやく例年並みの気温となったと感じます。神様は天から恵の雨を降らせ、冬には雪を降らせるように地球を創られました。雨と雪が、全ての人に(ある人の上だけ降らないということはなく)降り注ぐのは、それらが大地を潤し、植物の芽を出させ、生い茂って、人間と動物の食べ物を備える為であり、神様はそのように自然の循環を設定されました。与えられた自然の恵みを感謝しつつ、創世記に記されているように人は自然を守る、管理する役目を神様から与えられていることを、現代において警鐘的にも覚えておかなければならないと思います。
神様は自然の営みだけでなく、神様の言われた言葉(御言葉)は、神様の計画されたことを成し遂げ、使命を必ず果たすと下記の箇所で言われています。神様は、神様の言われた言葉を聖書という形で目に見える、理解できる形で私たちに残してくれました。その聖書の中に記されている預言の言葉を読むと、まだ成し遂げられていない預言もたくさんありますが、昔神様の言われた言葉がその後その通りになっていると確認する箇所もたくさんあります。聖書は科学の記録ではなく、神の言葉として読む者が信じる、信仰の書です。神の御言葉には力があります。なぜならいつの時代に聖書の言葉を読んでも、読む一人一人の時期にかなって、その人に必要な神様のメッセージが伝えられ、希望・励ましとなり、慰めとなり、戒めとなり、信仰生活で必要な生きた言葉としてわたしたちの心に与えられるからです。
また、イエス様の弟子のヨハネは、言(ことば)が人(肉)となって、わたしたちの間に宿られたと記しています。つまり言は神であり、神が人の形をとられこの世へ遣わされたイエス・キリストご自身であると聖書は記しています*。言であるイエス様は、私たち人間を救う神様のご計画のもとに、この世へ送られ、神様の与えたその使命を十字架の死と復活により果たされたからです。上記の箇所は預言者イザヤが、イエス様がこの世に人として生まれる約500年前に、イエス様の使命を預言していると言えるでしょう。
神様の考えられること、神様の思いは、わたしたちの想像をはるかに超えます。神様の救いの計画を、全て相手が納得できるよう説明するのは困難です。しかしながら、私の力や説得力ではなく、御言葉自体に神様の力があり、影響力があることに希望があります。そしてはっきり御言葉が示している神様の計画は、イエス・キリストの命を犠牲にしてまで、何の働きもない小さな存在の私を救おうとし、神様を信じない罪を赦し、罪の縄目から解放し、神様の子供として天に迎えようと、また地上での生活をイエス・キリストの愛に倣って生きるように、聖霊が導いてくださるという救いの恵みです。私たちキリスト者は、この力ある御言葉をもっと多くの人に分かち合えればと願います。
「信仰とは望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(へブル人への手紙11章1節)とあるように、希望とは望んでいる事柄です。見えない事実は、神様が見えなくとも、神様の計画が全て把握できなくとも、神様が全てを治めておられるという事実ではないでしょうか。この希望を毎回、御言葉で確信し、神様の真実を確認していきたいと思わされます。
「そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ わたしが与えた使命を必ず果たす。」 イザヤ書55章11節
*ヨハネによる福音書1章1-5,14節