聖書のことばから  デボーション

聖書のことばから気づかされたことをつづっています。

旧約聖書の学び  「人の創造 男と女」 創世記2章より

2025-02-06 16:06:01 | 日記

 〇2月6日(木) 創世記2章 (益子教会 毎週木曜10時半「聖書に親しむ会」の概要を掲載しています)

 創世記2章には、神様が人(アダム)を土(塵:アダマ)から最初に造られ、鼻に命を吹き入れられ、人は生きる者となったと記されています。神様は人を愛するために、ご自分とは違う存在として創られました(被造物)。人は他の動植物と異なり、神にかたどって創造されたのは、神との人格的な交わり(交流)ができるようにするためでした。そして、人と他の被造物との関わりで、「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」とし、まずは動物たちを土で形づくり、人の前に持ってこられました。しかし、人は動物の中に自分に合う助ける者は見つけることができませんでした。そして、神様は人のあばら骨を一つ抜き取り、それから女を造って人のところへ連れてきたので、人はようやく自分と同じで、かつ異なる性を持つ人を与えられ、女と名づけたと記されています。こうして、人は自分以外の存在と関われる、人格的な関係を持つことができ、かつ一体となれる存在:女と出会うことができたのです。

 「助ける者」と訳される原語は、「応答する者」という意味にも訳されるそうです。男が先に造られても、男女の間に、上下関係・主従関係がない、パートナーとしての存在と見ることができ、女性も男性もお互い助けられて生きる、パートナーとしての存在と考えられます。2章では、神様が、人を独りで生きるのではなく、互いに助け合う存在のパートナーとして、人間を男と女に創造されています。夫婦を家族という社会の最小単位として、二人は別々の個体であっても、心も体も一つになれる、お互いが信頼し合い、助け合う関係とされ、ゆえに二人とも裸であっても恥ずかしがることをしなかったことも記されています(25節)。

 イエス・キリストは「男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」(24節)を引用し、「だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。」(マタイによる福音書19章4-6節)と言われ、結婚を神が結び合わせた制度としています。神の前の男女の平等については、キリストの使徒パウロは、「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ信徒の手紙3章28節)と記しています。

 「父母を離れて」について、結婚する時にそれぞれの親の家から自立し、新しい家族の単位を作る、そこでは各々の親族との関係を良好に持ちつつも、夫婦の関係が優先され、親から精神的にも自立しているかどうかが、現代の家族の在り方においても考えさせられます。(引用 新共同訳聖書) 


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