聖書のことばから  デボーション

聖書のことばから気づかされたことをつづっています。

赦しの言葉

2024-03-09 13:30:51 | 日記

 人は大きな失敗をしてしまうと、そこから立ち直るのに時間がかかります。また取り返しがつかないことを他者に対してした場合、罪責感がずっと残り、心の闇を持ちながら生きていかなければならない場合もあるでしょう。そんな状態から解放されるには、誰かからの励ましの言葉、慰めの言葉、そして何よりも、赦しの言葉であります。私も若い時、ある方へ謝りたいと思いつつ機会を逸し、その罪責感が重くのしかかった時期がありました。ある日神様は、そんな私にその相手に謝る機会を与えて下さり、その方は私を赦してくれました。心の重荷がとりさられ、本当に嬉しかったです。

 イエス様の弟子の一人にペトロという人がいました。イエス様が十字架にかかって死なれ、3日後に復活されて、エルサレムにいた弟子たちに現れましたが、その後、ペトロを含む7人の弟子たちは、ガリラヤへ戻っていたとヨハネの福音書に記されています。弟子たちとって、イエス様が復活したことは大きな喜びでしたが、ペトロはちょっと複雑な気持ちだったことでしょう。なぜなら、イエス様が逮捕された時、弟子たちはみな逃げましたが、ペトロはその後をついていったために、恐れにより3度もイエス様を「知らない」「わたしは仲間じゃない」と周りの人々へ公言してしまったのです。そのことで、ペトロはイエス様に会わせる顔がない、自分はもはや弟子としてふさわしくないという失意の念を抱え、今後、どうしたらいいのかわからないまま、再び故郷に戻って漁師をしていたのかもしれません。

 そこへ、復活されたイエス様が現れました。そして弟子たちと朝食を食べられ、その後ペトロに「ヨハネの子シモン、この人たち以上に、私を愛しているか」と三度聞かれます。これは、ペトロが三度イエス様を「知らない」といったことに対応して、もう一度イエス様の弟子として再出発させる機会を与えているようです。落ち込んでいるペトロを励まし、再びイエス様の羊を養い、世話をするように召命を与えている箇所だと言われます。私は、このことはペトロにとって、イエス様からの「赦しの言葉」を受け取る機会でもあったのだろうと思うのです。

 神様は、私たち人間が弱さゆえに犯す罪を赦し、更に新たな使命を与えるために召命し、再出発させてくださる方です。すべての負い目、苦しみ、痛み、恥を取り除いて下さるために、神様は、御子イエス・キリストを私たちの罪の代わりに十字架で死なせるという方法をとられ、イエス様はその苦難を受けて下さり、そして復活されました。イエス様は天に戻られましたが、この世で生きる私たちを助け導くために、神様は聖霊を、キリストを信じる私たちの心に送って下さりました。私たちは赦しを受け取り、感謝しつつ、イエス様から与えられた使命を、生きている間に聖霊の力により果たしていければと願います。このことは私の性格や能力では不可能ですが、神様には不可能なことはないと、聖書の御言葉を通して約束が与えられています。私たちは、キリストを結ばれることで不可能が可能になると信じ、生きる希望が与えられること、また困難の多い世の中にあっても慰めと励ましが与えられ、聖霊が導いてくださるとう確信が与えられていることはなんと幸いでしょうか。

「食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。」 ヨハネによる福音書21章15節

 


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