聖書のことばから  デボーション

聖書のことばから気づかされたことをつづっています。

反戦と人のハート(心)

2025-02-16 14:21:03 | 日記

 先日、退役イスラエル兵の在日イスラエル人ダニー・ネフセタイさんの講演会「なぜ戦争をしてはいけないの?」を聞きに行きました。彼は、全国各地でこのような講演活動を流暢な日本語でなされていて、イスラエル国の現状、そして現代日本で横行している戦争・軍備拡大の支持へのプロパガンダを知ることができ、戦争はなんとしてもしてはいけないと強く想わされる機会となりました。今、パレスチナでの紛争が続く中、彼が在日イスラエル人だからこそ、イスラエルを外から客観的に見、批判できる立場、そして日本を第三者的に見ることが出来、彼の発言は力強さを放っていると思いました。彼の結論は、平和を求める私たちのハート(心)が大切とのことでした。彼の講演の最後に平和の歌が流れました。その歌詞には、「祈りのことばをささやくな、むしろ平和の歌を歌え」(「シール・ラシャローム」より)とあり、神に祈るより、自身が立ち上がり、平和を求めるハート(心)を皆に持ってほしいとの思いが、歌に反映されているようでした。

 ダニーさんが言うように、武力では平和はもたらされません。しかし、人間は皆が同じハートを持っていないのが残念なところです。皆が同じ基準で善悪や正義の概念を持っていない為、一致できないという現実があります。もちろん多くの人は平和を求めています。しかし、多くの人は自分が正しいと思って、夫婦喧嘩をし、肉親で争い、友達同士で喧嘩することもあるでしょう。みな同じハートを持ってそれらの争いが全て和解されればよいのですが、決裂し、離婚、裁判、絶交ということの方が多いのではないでしょうか。私たちはどうしたら互いの違いを尊重しつつ、平和的に一致できるでしょうか。

 なぜ人は平和を望みつつ、争うのでしょうか。聖書の創世記の人の創造を読むと、人は神様と交わり(つながり、人格的関係をもつこと)を持つために創造され、神の似姿に造られ「極めて良い」ものとして最初は造られました。しかし、人は自分で善悪を決めたいと、神様から離れた生き方を選び、神様との関係が断絶し霊的な交わりが失われています。自分を創造した神の存在を否定する(これを聖書では罪といいます)ようになると、それが人間関係にも影響します。最初の人は神から離れるとまず、パートナー(女)に責任転嫁をし、最初の彼らの子供たちの間では、兄が弟を殺しました。嫉妬したからです。つまり人同士の信頼関係も損なわれてしまうのです。それ以来今に至るまで、善い心をもちながらも、自分の望むことを他者に配慮せず追求するようになり、自分の利益や思いが優先し他者と争う、それが家族・民族・国家同士の戦争となっています。人のハートは完全でないことがわかります。

 私は壊れたハートは、神様によって、つまり神様が救い主として、神様と私たちの関係を修復し(私たちの神を信じないという罪を赦し)、和解させてくださるイエス・キリストの十字架によってのみ修復される、平和を真に求められるハートに変えられると信じます。神様の創造は、イエス・キリストを信じる信仰が与えられ、その人がキリストのような神の似姿*1に(つまキリストのような平和と慈愛の性質に)変えられて、完成されることを将来に見据えておられるからです。

 私は「祈りのことばをささやき続けたい」と思います。「平和の歌」を叫んでデモ隊を組み、警察と衝突となったら、結局戦いと同じです。祈りなんて、意味がないという方がいるかもしれません。しかし私たちキリスト者が祈るのは、私たちの祈りを聞いている神様に力があることを信じるからです。私たちの信仰は、「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」*と聖書に記されているとおり、信仰による祈りとは、わたしたちが神様に祈って望んでいること、つまり未だかなえられていない、目に見えていない事が、神様によっていつかかなえられ、事実になることを確認して祈っているからです。人が各々自分の願いを祈るのではなく、人が平和の神の御心(思い)を祈るから聞かれると信じます。神の思いは片寄りがなく、愛と平和と憐みがベースであり、キリスト者はそれを聖霊によって何が神の思いかを教えられます。まずはすべての人々が神様の愛をキリストを通して受け取り、キリストにある平和を共に祈り求める人が増えることを、祈っていきたいと思います。

「キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、 十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。」  エフェソの信徒への手紙 2章14-16節

*1 コリント信徒への手紙2 4章4節

*2 ヘブル人への手紙 11章1節

 

 


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