なにげな言葉

なにげない言葉を あなたに伝えたい
迷宮・緑柱玉の世界の独り言

責めることを野蛮というのは、偏見・・愛なのです

2012-11-01 | なにげな言葉
古いメールを読んでみた。

変化
君に出会う前は、責めの描写で立たなかった
トイレから出られない

この文面、覚えてる?
私は、この文章を読み、にやっとした。

責められるの、嫌いじゃない。
私は、主人との関係で、責められる事を知ったと主張すると、
主人は、私の影響だという。
私に言わせれば、正隆さんの影響だよ。

私は、さむさんに責めて欲しいとは、言ってないけれど、
やっぱり、責めは、伝染して行っていたんだなってね。
責めに関するイメージは、変わった?

責める、サディスティックなsをサービスのsと言うよね
確かに、そうだね。
見た目、感じているのは、私だもんね。
サービスされてるね。

縛られたり、苦しめられるのとなど望んでいない。
しなくてもいいんだよ。
責めたり、苦しむのもSEXの形の一つだから、望まれればするし、
破壊的な心が目覚めれば、責めて欲しいと望むんだから、
何も、特別な事をしているとか、変態というのではないなって思うけれどね。

世間では、
ボンテージなどは変態と思われているなって、つくづく思う。

私がね、温泉に入っている時サムさんは、トイレにいくと言ったでしょ
その時、私に頂戴って言ったでしょ?
ダメだって言って、トイレに行ってしまったけどね。

その言葉だけを、取れば、なんていう事をと思うんだろうけど
側に居たいと思ったら、
此処でして!
もしくは、
一緒に行く!
私の中には、
私に頂戴!
と言う考えしかなかった。

変態の一言じゃないよ。
究極の選択なんだよ。

愛なんです。
愛があれば、のぞむことに違和感はないのです

このメールの頃から時は経っているけれど、
心境の変化ありました?
好み、思考、嗜好は、時と共に変化するから、どう、変化したんだろうねぇ。

私は、穏やかになっています。

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