私は、良行さんと先生を同時に愛してきました。
先生の愛と、良行さんの愛は、違います。
男同士の友情や信頼は、私には、計り知れません。
でも私に向かっている時の、二人が互いを思う気持ちは、素敵だと思いました。
自分の分身のように互いが思っているのです。
先生と一緒に居る時間、どれだけ、良行さんの名前が出ることか・・・
「彼なら、どう思うと思う?」
「彼なら、こうするだろうな!」
「彼に見られていると思えよ!」
「君を通して、彼が見えるね。」
事あるごとに、名前が出るのです。
同じように、良行さんとの時間には、先生の名前がよく出る
「正隆を思いなさい。」
「正隆だったら、こうはしないだろ?」
「正隆を喜ばせろ!」
「正隆にも見せたいな。」
いつも、そこには、彼等がいる。
居ないもう一人をいつも意識することで、どちらかに偏るということが無かった。
いつだって、同じように、好きと言え、愛しているといえるのです。
互いの存在を知らないまま、逢瀬していれば、絶対どちらかに、傾いてしまいます。
心のバランスも、体のバランスもね。
でもその点、私は恵まれていた。同時に二人を愛し、二人に愛されている。
それが、緑柱玉の世界の土台なんだけどね。
そこで、二人の愛の違いだったね
それを、良行さんが、知りたいかどうかは、わかんないけれど、
私が感じていることを書くんだよ。
私は、先生にぞっこん。先生の言葉を借りれば「ソウルメイト」魂が同化しちゃう
自分が先生と同化してしまう。盲目とでも言いましょうか・・・
そんな私が見るのですから、平等じゃないのかもしれないけれど、
先生の愛は、私を受け入れてくれる。そして良行さんの愛は、先生と、私を受け入れてくれる。
そういうと、先生は、嫌がるかもしれないけれど、いつだったか、
「良行君の目が、僕の心を冷静にしてくれるんだよ。」
って、言ったことがあります。
良行さんの中には、威厳、厳格、緊張、脅威と、上げたら限が無いほどの、厳しい部分があります
その厳しさは愛情だって分かるまでには、時間が要りましたよ。
分かってしまえば、懐が深く、まったく迷うことが無いという安心が生まれます。
これって、凄いことだと思います。
だから、どちらも好き、どちらも愛してるといえるけれど、愛の種類がぜんぜん違う。
だから、比較する対象ではないので、比較は出来ませんが、確かに違いはあるのです。
違いがあっても、良し悪しではないということです。
でも時として、男の人は、自分と他人との違いを気にしているのかなぁと、思うときもあります。
現実、私は、違いを体で知っている。
口に出して、どう違うといったことはありません。
比較するのはよくないと思っているし、比較するものではないけれどね。
でも、違いは、はっきりとあるんだよ。
それは、どっちがいいとかいう問題じゃなくてね、それぞれが違う良さって意味だよ。
男性が、比較された感想を聞くことって、そうは無いと思うんだよ。
聞きたいのか、聞きたくないのか、それさえ、分からないけどね。
でも、複数と関係していれば、確かな違いは、見えてくるわけでしょ。
男の人の気になるところが、何処かは、分からないけれど、接し方とか、キスだったり、言葉使いだったり、テクニックだったり・・・人、それぞれ違います。
キスの仕方、唇の柔らかさから、味も違えば、香りも違います。
巨根願望があれば、大きさだって気になるだろうなぁ。
大きさって、気になるのかなぁ。私は、あまり、気にしたこと無いけどね。本当だよ。
大きさではなく、性能だよ!
感じたいだけだったら、玩具でも良いじゃない。
自分ですれば、一番良い場所に一番いい感触で感じさせてくれるわけだからね。
違いがあるって事は、事実で、その違いは、同じ事は誰も出来ないということね。
違うって事は、違うよさがある。
悪いと思う短所は、長所になるって事じゃない?
私は一人だよ。でも、先生と良行さんの前では、同じ顔じゃないと思う。
向き合う人が違えば、私も変わるんだもん。その違う顔を、居ないもう一人の名前が出ることで、一瞬顔をのぞかせる。これもまた違いだよね。
先生の愛と、良行さんの愛は、違います。
男同士の友情や信頼は、私には、計り知れません。
でも私に向かっている時の、二人が互いを思う気持ちは、素敵だと思いました。
自分の分身のように互いが思っているのです。
先生と一緒に居る時間、どれだけ、良行さんの名前が出ることか・・・
「彼なら、どう思うと思う?」
「彼なら、こうするだろうな!」
「彼に見られていると思えよ!」
「君を通して、彼が見えるね。」
事あるごとに、名前が出るのです。
同じように、良行さんとの時間には、先生の名前がよく出る
「正隆を思いなさい。」
「正隆だったら、こうはしないだろ?」
「正隆を喜ばせろ!」
「正隆にも見せたいな。」
いつも、そこには、彼等がいる。
居ないもう一人をいつも意識することで、どちらかに偏るということが無かった。
いつだって、同じように、好きと言え、愛しているといえるのです。
互いの存在を知らないまま、逢瀬していれば、絶対どちらかに、傾いてしまいます。
心のバランスも、体のバランスもね。
でもその点、私は恵まれていた。同時に二人を愛し、二人に愛されている。
それが、緑柱玉の世界の土台なんだけどね。
そこで、二人の愛の違いだったね
それを、良行さんが、知りたいかどうかは、わかんないけれど、
私が感じていることを書くんだよ。
私は、先生にぞっこん。先生の言葉を借りれば「ソウルメイト」魂が同化しちゃう
自分が先生と同化してしまう。盲目とでも言いましょうか・・・
そんな私が見るのですから、平等じゃないのかもしれないけれど、
先生の愛は、私を受け入れてくれる。そして良行さんの愛は、先生と、私を受け入れてくれる。
そういうと、先生は、嫌がるかもしれないけれど、いつだったか、
「良行君の目が、僕の心を冷静にしてくれるんだよ。」
って、言ったことがあります。
良行さんの中には、威厳、厳格、緊張、脅威と、上げたら限が無いほどの、厳しい部分があります
その厳しさは愛情だって分かるまでには、時間が要りましたよ。
分かってしまえば、懐が深く、まったく迷うことが無いという安心が生まれます。
これって、凄いことだと思います。
だから、どちらも好き、どちらも愛してるといえるけれど、愛の種類がぜんぜん違う。
だから、比較する対象ではないので、比較は出来ませんが、確かに違いはあるのです。
違いがあっても、良し悪しではないということです。
でも時として、男の人は、自分と他人との違いを気にしているのかなぁと、思うときもあります。
現実、私は、違いを体で知っている。
口に出して、どう違うといったことはありません。
比較するのはよくないと思っているし、比較するものではないけれどね。
でも、違いは、はっきりとあるんだよ。
それは、どっちがいいとかいう問題じゃなくてね、それぞれが違う良さって意味だよ。
男性が、比較された感想を聞くことって、そうは無いと思うんだよ。
聞きたいのか、聞きたくないのか、それさえ、分からないけどね。
でも、複数と関係していれば、確かな違いは、見えてくるわけでしょ。
男の人の気になるところが、何処かは、分からないけれど、接し方とか、キスだったり、言葉使いだったり、テクニックだったり・・・人、それぞれ違います。
キスの仕方、唇の柔らかさから、味も違えば、香りも違います。
巨根願望があれば、大きさだって気になるだろうなぁ。
大きさって、気になるのかなぁ。私は、あまり、気にしたこと無いけどね。本当だよ。
大きさではなく、性能だよ!
感じたいだけだったら、玩具でも良いじゃない。
自分ですれば、一番良い場所に一番いい感触で感じさせてくれるわけだからね。
違いがあるって事は、事実で、その違いは、同じ事は誰も出来ないということね。
違うって事は、違うよさがある。
悪いと思う短所は、長所になるって事じゃない?
私は一人だよ。でも、先生と良行さんの前では、同じ顔じゃないと思う。
向き合う人が違えば、私も変わるんだもん。その違う顔を、居ないもう一人の名前が出ることで、一瞬顔をのぞかせる。これもまた違いだよね。
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