四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

永遠不滅の生き方を提供!

150年前の名門は今でも名門である。 それが世界の常識 国母和宏へ!

2010年02月12日 06時18分54秒 | 事件・事故・自殺
日本では明治維新(1868)で古き文化や家柄が消滅してしまったように考えるが、ヨーロッパや古い社会では150年前の家柄は今でも引き継がれれているのである。

日本では社会制度の急激な変化故に、武家のしきたりが死んでしまったが、一分では家訓というものが引き継がれているところもある。

先ず何よりも礼に始まり礼に終わる。
これは外部の者に対してもそうするが、身内に対してもそうするのである。

躾は身体を美しくすること、生身の裸も姿勢を良くし、衣服を付けた時もそうするのである。

帯はきちっと締め、丹前が引き締まる思いが大事である。
腹を切られても醜く腸が出ないほどに引き締めなければならない。

様々な作法をこなすことが身のこなしにつながり、特に言葉遣いは煩雑すぎるほど煩雑であった。
それだけ言語能力があり漢文に秀でていたのである。

アメリカのだらしなさ、特にWASPではなく黒人文化(ソウル)に影響された人々がおかしな自己主張をしている。

そもそも日本は他国の文化を排除する立派な国の文化があるのである。

母なる国の文化があるにもかかわらず、国母和宏は自らの名前の意味さえも知らないのである。

まあ、その内立派な人間になるときが来るだろう。
世間は厳しい、自分勝手は中々許されない。

相撲では品格を言われている最中、オリンピック選手代表として出場するにはそれなりの責任がある。出たくとも出られない人たち、練習を精一杯したにもかかわらず出られない人もいる。
自分だけが特別の才能があると思っていても世界は広い。

多くの人たちが応戦し、それをしっかりと眺めようとする。
時にはわざわざバンクーバーまで行く人がいる。
わたしはアボッツフォードに航空ショーを見にわざわざ行ったがそれはかなり遠い旅路であった。

がっかりする人間と大したことではないと思う人間がいるだろうが、軍隊なら上官から厳罰(首チョン)に処せられる。天皇陛下もご覧になっているということも考えておいた方がよい。
国民の健康と幸福を望まれているのである。

天皇陛下も妃殿下もご病気である。それを励ますのは君である。
寒い北の大地でご両親が喜ばれているところへ、がっかりするようなことが耳に入っては吹雪の雪氷よりも痛い思いをされるであろう。

私以外はみんな見てる。そういう場所がオリンピックである。




子供が生まれてくる。赤ん坊が生まれてくる。
その赤ん坊はすでに何をやるかどういう人生をたどるかは、はたして決まっているのであろうか?

國母和宏 反省しない人間に反省を強いても仕方ない 松浪健四郎元落選議員に相談しろや!

2010年02月12日 05時43分03秒 | 事件・事故・自殺
國母和宏選手の腐った魂に乾杯! ただし、徳入りドリンクで一緒にのう!

石狩挽歌で育ったのか、やはり鰊が好物なのか、若いヤンシュなのか?
キップのよい兄さんだ。

それでも恰好いいと思う女の子も男の子も沢山ファンがいることだろうし、
どうせ東海大学の学生何や空、あんまりイワンでもようわかっとる。

帰国パーティはちゃんとしてやるわい、のぉ~。

私の知人は東海大学で教えています。
みんな良い学生らしく、教えても教えても反応がないということです。
馬耳豆腐という字を思い描きながらメールを打っているようです。
仕方がないなぁ~。
母なる国が攻められている。

本当に好きなことをやっていれば自己制限を強いられる。
その時には自ずと人間が立派にならねばならないと気づくときである。


公開処刑にふさわしい

2010年2月9日、スノーボード・ハーフパイプ代表としてバンクーバーに向かう際、日本選手団公式スーツを崩し、腰パン・ネクタイ緩め、またブレザーの前は閉めず、ドレスシャツの裾も出し、更にはドレッドヘアに鼻ピアス、サングラスという独特のスタイルで成田空港に現れ、「結果よりも内容。(滑りを見て)格好いいと思ってもらえればいい。最近のスノーボードはすげぇダセえから」と持論を展開し、そのままバンクーバーに向けて出国した[7][8]。公式ユニホームの着こなしに対し、日本オリンピック委員会(JOC)の日本選手団公式服装着用規定[9]を乱した上に、出国の様子を見た人々から全日本スキー連盟に抗議が殺到。JOCは日本代表選手団の橋本聖子団長を通じスノーボード萩原文和監督に厳重注意、國母は選手村入村式出席を自粛した[10][11][12]。2月10日、ハーフパイプ陣の記者会見にて「気持ちは何も変わっていない。自分にとって五輪はスノーボードの一部で、特別なものでない。」「自分の滑りをすることしか考えていない」と意気込みを語り、服装の乱れについても「反省してまーす。」と発言した[13]。しかしこの際に舌打ちしつつ「うっせーよ」と小さく呟いたのがマイクに拾われており、反省の色は全く見られなかった。



アスリートのためのコアトレ―100のエクササイズ12の処方箋アスリートのためのコアトレ 2 ―必ず強くなるセルフコンディショニング


子供が生まれてくる。赤ん坊が生まれてくる。
その赤ん坊はすでに何をやるかどういう人生をたどるかは、はたして決まっているのであろうか?

世界四大文明の内二大文明は不死身であった! 中国・インドの台頭

2010年02月12日 04時22分30秒 | 社会問題
世界四大文明は今では妄想のように言われている。
つまり世界文明に近い他の文明も存在し、今では六大文明と言われているらしい。
しかし、メソアメリカ文明もアンデス文明も滅んでしまった。

エジプト文明もメソポタミア文明も滅んでいるが、インドと中国は太古の思想を継続し、今なお古代の風格を残しながら発展している。ヒンドゥー教の継承、儒教の継承など枢軸の時代のたまものである。インドでの仏教は勢力が衰えているとは言え、ヒンドゥー教は仏教の親でもある。ただし、仏教の唱える平等思想からは遠く離れている。その平等思想の中でも菩薩にはそれぞれ位があるから仏教すなわち平等思想ではない。ただ、恐ろしいことにはこれらの古代から継承される国家の手威力とその人口の多さがこれからの世界を変えないはずはないのである。

中国が13億人、インドが12億人。これらの国が巨大化すればアメリカやロシアやヨーロッパはどう逆立ちしても敵うことはないであろう。

このまま世界四大文明後継のの二大大国が世界を動転させるとすれば、全く価値の異なった新しい世界が現出する。

また世界の気候が変動する時にも、世界の地図は塗り替えられるのである。

日本は中途半端な気持ちではいけない、よくよく覚悟して学習しなければならない。
何事においても自ら考えるということの重要性を自覚しなければならない。

25億の人口の巨大な2国家がエネルギーと食量の争奪合戦を展開するだけに、われわれ国民はすべからく餓死を覚悟しなければならない。



世界四大文明

ここで四大文明は、メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明をさす。なおメソアメリカ文明、アンデス文明などのアメリカ大陸の文明は含まれていない(なお、これらを含めて六大文明ということもある)。



インダス文明はよりパキスタンに近い方であるが、インドとパキスタンは共にインドであり、パキスタンはインドから独立したのである。
インダス文明参照



子供が生まれてくる。赤ん坊が生まれてくる。
その赤ん坊はすでに何をやるかどういう人生をたどるかは、はたして決まっているのであろうか?

明治維新(1868)は早急な社会改革で200年で国家滅亡の歴史の根源

2010年02月12日 01時17分43秒 | 事件・事故・自殺
日本は性急な社会変化に成功し、一見近代化をアジアの何処よりも達成したかのようであった。

遅れてきた大巨人は自国の文化を破戒することもなく、ゆっくりと近代化を行ってきた。但し最近の目に余るほどの変革によって伝統文化や建築物がどんどん破壊されているのは警鐘に値する。

しかし、この国はそれにも関わらず『孔子』という映画を中国全土に普及させ、自国の基軸思想を世界に照射させている。

明らかにわれわれの文化も「儒教」による基軸思想を根底に持っている。
しかし、そういう考えは西洋思想に持って変わられたが、われわれの精神にギリシア・ローマの思想文学やキリスト教は根付くことはなかった。ただ、表面的にはあらゆる面でキリスト教徒の如きである。

暦は西洋キリスト教暦(グレゴリオ暦)を用い、クリスマスを楽しみ、バレンタインを祝い、カボチャのお化けまで崇拝するところまで来ている。

バレンタインをチョコレートのことだと思っている人々は多いであろう。

聖書を持つ人は少ないのではないか? わたしは海外旅行するたびにホテルから聖書を貰ってきた。聖書は只で貰えるし、メイドはワゴンに予備の聖書を載せている。宿泊客がそのまま持ち帰ることがあるからだ。それはキリスト教にとっても良いことなのである。私が持っている聖書は30冊を超えている。自分で買ったものの方が多い。ギリシア語・ラテン語・広東語・北京語・現代語訳・モルモン教聖典・イタリア語・フランス語・スペイン語・オランダ語・ドイツ語・ポーランド後・ルーマニア後・英語など日本の聖書は訳がころころ変わるため文語訳を基本にしている。13歳の時にわたしを籠絡しようとしたキリスト教のおねえさんが呉れたもの、中学の同級生の多田宏子さんから貰った分厚い聖書などと、何故か聖書には縁があり、英語の勉強と文語の勉強にも訳だったのが聖書である。字の読めない人間には先ず聖書を与える。すべての漢字にルビが降っているからである。

話は横道に逸れた。バレンタインディが間近に迫っている。これは恐ろしいことである。チョコレートが貰えなかった男たちが落ち込む日である。恐怖のバレンタイン・血のバレンタインである。チョコレートで口の周りを黒くしたものは倖せで、口の周りを自分の舌をちょん切って真っ赤に染めたものは、悲しいとしか言いようがない。

カボチャで頭を割られる日まで作ってしまったが、子どもたちは聖書の一行も知らないであろう。
なぜなら聖書は日本の学校では教えることはない。その代わりアメリカのカボチャのことは教えているようである。ついでい七面鳥の食べる日も知っているようである。

漢文では「論語」の一行くらいは聞いたことがあるであろう。
「珍文漢文鮮矣仁」(漢文はよくできるほどりっぱである)

今の物売りは孔子の教えに背いている。これは明治政府がそういう方向にもたらした爲である。
皆お愛想たっぷりで整形までして姑息に物を売ろうとする。

これは人間としての恥を殊更さらしているようなものである。

こういう状態が常套化するとそのまま国家の失墜に関わってくる。
それが大企業や政治家がそうである場合より一層国家の信用に関わってくるのである。

春節を祝うアジアの人々にはまだまだまともな感覚がある。


子供が生まれてくる。赤ん坊が生まれてくる。
その赤ん坊はすでに何をやるかどういう人生をたどるかは、はたして決まっているのであろうか?