四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

永遠不滅の生き方を提供!

国母和宏選手問題CNNで世界へ配信 じわじわと世界に恥をさらしていく

2010年02月14日 15時05分12秒 | 事件・事故・自殺
世界では日本の評判が大変悪い。
相当な悪評判はかなり以前から始まっている。
とにかく日本離れが加速している。

中国・韓国・インドの台頭などでもそうだが、ころころ変わる政治首脳陣、国際化の規格から逸脱する態度、おれおれ的な態度で協調性がない。政治家のトップがころころ変わることで人との繋がりがない。日本の事はアメリカに聞けというのが世界の主流である。

アメリカの前線基地は沖縄であるということはヨーロッパも中東でもよく知られている。
イラクの人間は沖縄に日本の住民が住んでいることをしらない。
完全な米軍基地の島だと思われている。

乱れきった日本社会は安部譲二先生が言うように一億三千万人総ヤクザになってしまったことが原因だろう。
本家本元がいうのだから疑いようがない。

ヤクザリセッションを読むと政治も経済もヤクザが日本を支配している。
ヤクザは中学生・高校生をヘッドハンティングする場合『コシパン』から狩っていくという。

『コシパン』は制服を脱ぐと暴走族などに変身する。
ヤクザは目の付け所が違う。シャープの社員よりもシャープに狩り上げる。

ヤクザの世界の事を知りたければ、政界のマツケンこと松浪健四郎落選議員に聞いて見るのがいち判早いようである。参議院選挙後は改めて菊の金バッチを表に付け、裏には梅の黒バッチを付けているという。

国母和宏選手も早くまともな着こなしをしないと、ヤちゃんに狩られちゃう。


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CNN.com

国母和宏選手は18歳の殺人者と同じような服装をしていないか? このことも検証したい。

毎日.jp

殺人:18歳少年、2女性刺殺 少女一時連れ去り、身柄確保--宮城・石巻

 10日午前6時40分ごろ、宮城県石巻市清水町1、南部かつみさん(46)方で、男が室内にいた男女3人を包丁のような刃物で刺し、別の女性1人を車で連れ去り逃走した。刺された男女のうち女性2人は病院に運ばれたが死亡、男性は軽傷。刺した男は同県東松島市の少年(18)とみられ、殺人容疑で行方を追っていた宮城県警は同日午後、少年の身柄を確保した。

 県警によると、死亡したのは南部さんの長女美沙さん(20)と、次女沙耶(さや)さん(18)の友人で石巻市内の高校生、大森実可子さん(18)。他に友人の男性(21)が軽傷を負った。少年は以前に交際していた沙耶さんを連れ去り、黒っぽい乗用車に乗せて逃走した。現場では凶器が見つかっていない。

 南部さん方は南部さんと母親、美沙さん、沙耶さん、沙耶さんの子供の5人暮らし。県警石巻署によると、少年は以前から沙耶さんに嫌がらせや付きまとい行為を繰り返しており、沙耶さんや家族から相談を受けていた。9日午後6時過ぎにも「少年が部屋で暴れている」と110番通報があり、署員が南部さん方に駆けつけたが、少年は立ち去っていたという。

 現場は同市中心部のJR石巻駅に近い新興住宅街。近隣住民らによると、周辺は10年ほど前に宅地造成され、南部さんもそのころ引っ越してきたという。JR仙石線の線路で遮られるため車や人の行き来は少ない地域。【鈴木一也】


子供が生まれてくる。赤ん坊が生まれてくる。
その赤ん坊はすでに何をやるかどういう人生をたどるかは、はたして決まっているのであろうか?

日本人の衣服の考え方 オリンピック選手国母和宏選手の服装の乱れ

2010年02月14日 14時45分21秒 | スポーツ
服装の乱れは精神の乱れである。これは現代社会ではあまり考察されない問題になっているが、特に学校ではかなりのルーズな服装でも放任されている。但し、旧帝大などの進学校では規律は厳しい。また、旧貴族の家系や皇族の間ではまさに服装そのものと行事との関係は嚴格である。


武家の末裔に育ったものは服装については厳しく育てられたものである。
特に剣道をやると剣道着や防具の乱れ、防具の置き方、正座の仕方がとにかくやかましく言われる。

今の女の人などはテーブルでご飯を食べ、椅子かソファーにもたれながらテレビを見るだろうが、昔の女の子たちは正座でご飯を食べたものである。

未だ卓袱台(ちゃぶだい)で食事をするところもあるだろう。
そうすると掘り炬燵でないかぎり、足は正座かあぐらを汲むことになる。

スポーツでも服装は極めて重要である。乱れた衣服で試合をすれば必ず成績が悪くなる。
陸上や水泳はことの他、衣服そのものがスピードと関わってくる。また、スポーツ選手の精神的な面にも影響がでる。

日本には文武両道アスリートはいないと言われているが、今回この国母和宏選手は顔からして人をおちょくっているようなところがある。今までこの選手に付いていたコーチなどは何も言わなかったのだろうか? と思うのである。日本人の感覚があまりにもずれてしまったのは、教育内容に拠っているからだと推察する。幼稚な教育は植民地にありがちな事である。首長国にしてみれば植民地の人間に頭腦を与えることは極めて危険な事になる。そのため、バカが多く輩出する事が望ましく、利口なものは排出するに限るのである。

日本が豊田や本田で恥を掻き、新人の政治家たちが世界へ出て恥を掻き、オリンピック選手までが恥をさらすようではどうしようもない。

中国の格言はこういう。「人は衣服で身分を現し、動物は皮で強さを現す。」
虎には虎、獅子には獅子、麒麟には麒麟の柄がある。
「虎は死して皮を残すが、人を死して名を残す。」
この国母和宏選手は髪の毛まで調子に乗っているが、自分の名前をここまで辱めて先祖や親、これからの子孫にまで迷惑を掛けることになる。ただし、このような選手はオリンピックが終わる前に名前も消滅するのであろう。一端始まる心の動揺は中々治めることが難しい。

スポーツ選手は所詮はスポーツ選手如きで、人間という思想(思想界ではない)に影響を及ぼすことはない。しかし、本当のスポーツマンは人に大きな影響を残すものである。

あらゆる根幹(基軸)には思想があり、思想(言葉・思考)こそは人間である。
大帝国にはこれらの思想の根幹があり、この根幹こそが国家である。
つまり、最近言われる言語力の弱さがチームの弱さであるという意味に於ても思想は重要であり、できるだけ文武両道の精神でもって肉体運動に励むのが正しいのである。

そのためにも規律を保つ服装の乱れはチームを乱していく、自分勝手な考えで団体を組むべきではなく、厳重に処罰しなければ、今後も乱れは収まらないであろう。

規律を乱させる根本原因は日本のマスコミにある。マスコミはそれを助長させる機関である。取材・編集の幼稚化がこのマスコミに巣喰う以上、是正はここから始めなければならない。

良家の子弟までが乱れっぱなしでは、日本はますます弱体化するであろう。
他の選手までが余計なことを考える始末になった。
成績が振るわないことの原因に起因しているとは考えられないが、選手たちの全体の流れに栄光がすでに出ていると見える。団長や監督でさえ、帰国後あるていどの非難は覚悟しなければならない。

日常をどてらでさまよっていた坂口安吾に文句はない。


FNN

バンクーバー五輪開幕まで2日 国母和宏選手、服装の乱れを理由に選手村入村式参加自粛

バンクーバーオリンピックの開幕まであと2日となった。日本選手団は、選手村への入村式を行った。その入村式で、スノーボード・ハーフパイプの国母和宏選手(21)は、服装の乱れを理由に参加を自粛した。
入村式は、橋本聖子日本選手団団長ら30人が出席して行われた。
しかし、スノーボード・ハーフパイプ代表の国母選手が不参加だった。
欠席の理由は、全日本スキー連盟が成田空港を出発した時の国母選手の服装が乱れていたため、出席を自粛した。
荻原文和監督は「成田空港で国母が服装が乱れていた。非常に残念です」と話した。
そして、国母選手はこのあと、ハーフパイプ代表の公式記者会見に出席した。
記者から入村式のことを質問されると、国母選手は「(服装の指摘は納得できた?)反省してます。競技には影響ありません」と話した。

(02/11 12:00)



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追記:国母和宏選手は東海大学の学生らしいが、一応納得できた。
これで日本人と豊田の嘘・捏造はリンクされ、G7の管代表が蚊帳の外であったことを含めて日本の信用性は完全に失墜したのである。

東海大学の学生たちは一体どう思い、教師たちが学生に何を教えてきたのか、そして理事長たちは普段から教育の理念をどう考えてきたのか、恐るべきデッドゾーンである。

国母和宏選手ならびに理事長は即刻坊主にし、世界に向かって謝罪すべきである。

イタリアの世界遺産に落書きをした学生たちはわざわざ現地へ行ってお詫びしたではないか!

ところが盛大な壮行会を東海大学では行っていた。

國母和宏選手のオリンピック壮行会

國母和宏選手のオリンピック壮行会を開催しました

第21回オリンピック冬季競技大会(バンクーバー五輪)に出場する、国際文化学部地域創造学科3年次生の國母和宏選手の壮行会を2月4日に札幌キャンパスで開催しました。

國母選手は2006年のトリノ五輪に17才で初出場、2大会連続となる今回のバンクーバー五輪ではスノーボードの男子ハーフパイプ競技に出場します。2009年2月の第24回ユニバーシアード冬季競技大会ではスノーボードのハーフパイプとビッグエアで金メダルを獲得したほか、11月のワールドカップ・ハーフパイプ第2戦でも優勝するなど大きな注目を集めており、壮行会には学生や教職員、報道陣など約180名が詰めかけました。


壮行会では、東海大学スキー部監督の相原博之准教授(国際文化学部)が國母選手を紹介。「これまで東海大学からは4大会連続で学生がオリンピックに出場し、すべての選手が入賞以上の成績を残してきました。いつも練習している滑りができれば良い結果を残せると思うので、大いに期待しています」と述べました。テレビ会議システムで湘南キャンパスから出席した高野二郎学長も「國母選手の出場は学園のすべての人にとっても名誉であり、誇りあること。活躍を期待しています」と語りました。このほかにも、西村弘行副学長や学生代表の佐々木秀年さん(国際文化学部4年次生)からも激励の言葉や学生有志からの寄せ書きが送られました。


國母さんは「今は体調をしっかり整えてレースに臨むことだけを考えています。前回のトリノ五輪では不本意なパフォーマンスしかできなかったので、今回は自分のスタイルで納得のいく滑りをしたい」と語っています。

■バンクーバー五輪に参加する学園関係者について
http://www.u-tokai.ac.jp/TKDCMS/News/Detail.aspx?code=news&id=3208




学長就任。

東海大学の新学長に高野二郎教授が就任しました

2009年度第2回の学校法人東海大学定例理事会および評議員会を9月25日に東京・霞が関の東海大学校友会館で開催し、10月1日付で理学部の高野二郎教授(学長代理=前職)を新学長に選任しました。松前達郎学長の任期満了に伴うものです。

高野教授は1964年に東海大学工学部を卒業して同年4月から東海大学に勤務。学科主任や理学部長、学長室長、副学長など要職を歴任し、2003年10月から07年9月まで東海大学学長を務めています。専門は有機化学、環境化学、大学教育などです。

なお、新たに副学長(国際担当)として教養学部の山田清志教授(国際戦略本部長=兼任)が10月1日付で就任しました。国際担当の副学長の就任は国際活動のさらなる活性化を見据えたものです。山田教授は1980年に早稲田大学法学部を卒業して88年から東海大学に勤務。法学部、教養学部で教鞭を執りながら大学の国際部門で要職に就き、米国・ハワイ州にある東海大学パシフイックセンターの所長(現職)などを務めています。専門は経済法などです。

また東海大学の田中康夫副学長(企画・キャンパス連携担当)、松前義昭副学長(教育研究担当)、安達建夫副学長(事務担当)、加藤雅史副学長(九州キャンパス担当)、西村弘行副学長(北海道キャンパス担当)は、それぞれ同日付で再任されました。



東海大学の学長のご挨拶 ワースト偉人伝の風格

東海大学では、2004年11月、「NewVision~東海大学の21世紀」を策定しました。

現代は、グローバル化が進行し、地球規模で人間や社会のあり方が問われています。また、知識・技術は日進月歩の状況にあり、しかも既存の学問の枠組みを超えた総合化、学際化が顕著になっています。

そうした時代を担う皆さんに要求されるのは、総合的な視野と、柔軟な発想力の獲得です。技術者には、専門分野を修得することはもちろん、今、世界で起こっていることに関心を払うことが求められます。人文社会系の学生にとっても事情は同じです。科学・技術に無関心では、経済も政治も、そして世界そのものも理解することはできないからです。

東海大学は、建学以来、そうした時代のニーズを先取りした教育を推進してきました。「現代文明論」をカリキュラムのコアに据えるとともに、多彩な「文理融合科目」を開講。さらに、文系の学生は理系科目を、理系の学生は文系科目を必ず学ぶ教育システムを採用しています。加えて、自分の専攻のほかに、もう1つの“ミニ専門”を体系的に履修する副専攻制度も設けています。この教育システムによって、豊かな人生観、世界観、歴史観、および複眼的な思考力、柔軟な発想力を涵養することができます。


「NewVision~東海大学の21世紀」は、こうした東海大学の教育理念・方針を継承しつつ、次なる時代を見据えた教育改革を志向するために掲げられました。

まず教育面では、2004年秋に「東海大学ブランド21プロジェクト」を発足させており、学生の多様な能力を啓発し、自己実現を支援するための体制構築に向けて、検討が進められています。  研究面では、突出した研究拠点を形成する構想が進行しています。東海大学には、21世紀COEプログラムに採択された「ヒト複合形質の遺伝要因とその制御分子探索」や糖鎖科学など、世界的に評価が高く、強みを発揮している分野が少なくありません。これらの分野の研究体制を強化することで、全体的な研究のレベルアップ、底上げを図りたいと考えています。また、2008年度からは、東海大学、九州東海大学、北海道東海大学が統合され、これまで以上に有機的な研究活動が展開されています。

さらに、教育、研究に加えて、社会貢献も今後の大学の大きな柱になっています。東海大学は、創立当初から産官学連携に力を注いでおり、生み出された知的財産を社会に還元する活動にも積極的に取り組んできました。文部科学省の選定を受けて「知的財産戦略本部」(2008年度からは「研究支援・知的財産本部」)も誕生しており、産官学連携事業はさらに本格化しています。

このように、東海大学は、学生のあらゆる学びの意欲に応える高度な教育・研究環境を実現しています。かつて創立者の松前重義博士は、若者たちにこう語りかけました。「若き日に汝の希望を星につなげ」。皆さんは今、未来に向けて様々な夢を持っていることでしょう。私は、若者の夢とは、漠然としたものでいいと考えています。時には迷い、方向転換があってもいい。大学の学びの中で、夢が次第に明確になり、大きく育っていく…。その場を提供することが、大学の使命であり、東海大学にはそれだけの懐の深さがあると、私は確信しています。

東海大学 学長 高野 二郎



気の毒なのは高い授業料を払って真面目に勉強している学生であり、真面目にアスリートとなろうとしている学生である。親にまで恥を掻かせる学長は学生たちの何を見ているのであろうか?

わたしのように地位も金も何もないものは、訴えられても検察に尋問されても真実な気持ち以外持ち合わせがないので、精神病院でいじめられても、刑務所で拷問されても愛の言葉しか出ない。議員バッチも弁護士バッチもなにもないのである。そういえば旧ソ連へ行ったとき、ガキがボールペンを欲しいと言って、真鍮のバッチと交換した。そのときのバッチが今もある。ちなみに私は一×である。

                                 2010-02-12 05:29:00
子供が生まれてくる。赤ん坊が生まれてくる。
その赤ん坊はすでに何をやるかどういう人生をたどるかは、はたして決まっているのであろうか?

北大路魯山人の本歌取り 本物を超えることはなかった男

2010年02月14日 09時34分25秒 | 美術・建築・工芸
魯山人の料理論・書道論・陶器論・文章論などいろいろ分野の事に著述を持つので魯山人を知りたければこのような著作も参考になる。

漱石と同じ慶應3年生まれである。

以前、東京の世田谷美術館で魯山人展があったが、魯山人の作品と本家の作品が一緒に並べられたことがあった。それはそれは驚愕したものである。なぜ驚愕したか? 魯山人の作品はほぼ本家そっくりであり、さらに魯山人の作品は稚拙でありすぎた。尾形乾山などは似ても似つかない陳腐なものであった。本家の作品がなければ魯山人の作品も極めて立派に見える。芸術新潮の特集で魯山人を扱ったときに、本家と魯山人の作品を事細かに比較したことがあるが、魯山人の稚拙さが目茶目茶に解析されてしまった。やはり魯山人の篆刻なども相当おおざっぱであった。

魯山人を見たければ笠間日動美術館・分館春(0296-72-0958下市毛1371-1)へ行けば旧居ごと見ることができる。

あらゆるものを本歌取りしたが、独自性を発揮したのは料理である。
魯山人の料理は参考になる。今の日本料理とは根本から異なっているので、偽料理人に騙されてはならないことを学ぶであろう。

魯山人の素材へのこだわりは天下一品である。魯山人は極めて厳しい言葉で料理人を侮蔑している。それを知りたければ、魯山人の著作を読むことである。

書は岡本良信に師事した。(岡本一平の父・岡本太郎の祖父である。)

魯山人

1959年(昭和34年)に肝吸虫、つまりいわゆる肝臓ジストマとも呼ばれた寄生虫による肝硬変のため死去。



タニシが好きでそのタニシを生で食べるのでこういう死に方をした。

お茶の世界を知りたければ益田鈍翁(孝)と松永耳庵の所蔵品を見なければならない。東京国立博物館には益田鈍翁のもと茶室があり、耳庵の所蔵作品が見られる。
その他では箱根・小田原を訪ねてみるとよい。(武相荘と格の違いが分かる)
箱根・小田原茶室

魯山人は改めて書いて見る。
ノートは沢山取ってある。

ちなみに魯山人の飲むビールはキリンのみであった。
ピカソとも面談し、ピカソを上から見下ろしている姿はいかにも偉そうである。
魯山人は長身でピカソはちびである。
パリの三ツ星レストラン「ツールダルジャン」にわさびと醤油を持ち込んでシェフたちに日本のソースの味を教え込んだともいう。

益田鈍翁(孝)が死んでから、日本の芸術界はどんどん衰退した。
なぜなら富豪たちが美術品を購入しなくなったことが影響しているからである。
益田鈍翁(孝)と近付くには美術に興味を持つだけでなく、名品と呼ばれるものを所有していなければならなかったのである。

耳庵の所蔵作品の逸品は、小林秀雄や青山二郎並びにその子分の白洲正子などの考えや所有物とは相手にもならぬものであり、有名な批評家もカヤの外に置かれていたのである。
東京国立博物館へ行けば長治郎やのんこうの作品が見ることができる。これらは耳庵の寄贈品である。


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子供が生まれてくる。赤ん坊が生まれてくる。
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バンクーバー冬季オリンピックのオープニングを見る

2010年02月14日 00時37分27秒 | スポーツ
わたしがオリンピックの開会式を見るのは一体どこの国のどのような選手が出ているかを知るためである。

一国から1人だけ出場している国も少なくない。3人という国も少なくない。
この少人数でメダルを取る確率は少ないであろう。

つまりメダルを目的にしていない国も選手も多くいると言うことである。
かと言ってメダルを目指していない選手がすべてメダルに遠いと言うわけではない。
競技では何が起こるかは分からない。スピードスケートで先頭グループが全員転倒して、最後の選手が金メダルを取るということもある。

だれも予想しなかった中学生が金メダルを取るということもあった。今では15歳以上でないと出場できないが、14歳の年齢で出場できた時期があったらしい。

競技のすべてを見ることができる人間はほとんどいない。
日本では日本人選手が出ている競技は放映されるが、他国の選手だけの競技は放送されない。

結局オリンピックの全体像というものは捉えがたいのである。すべての競技をDVDにして販売するかしなければ、全体像は分からないが、それでも撮影する角度によっては部分をしか見ることができない。

カメラ角度は無限に存在する。それが空間であり、無限に存在する空間の位置にカメラを同時に据えることも出来ない。

結局、固定的な角度から捉えられたカメラが流す映像によってそれらを知るのみである。もちろん固定といっても完全に固定されたという意味ではない。

相撲などどちらの力士が先に土俵を出たのか分からないときに、何台ものVTRが撮影した映像から検証する場合がある。複数のカメラの映像でさえはっきりしない場合がある。時間的に同時に着地するはずはないのであるが、なぜなら今や表示時間でさえ100分の1秒が可能であるし、1000分の1秒以下でも可能である。たとえば「アインシュタインの目」などで使われる超高速ビデオカメラで撮影していれば判定は可能なはずである。

多くの人々はバンクーバー冬季オリンピックをテレビ画面を通して見ている。問題は実際は何を見ているのかである。

わたしはたしかに何かをみているのだが、実のところ何も知らずに見ていることに気づいた。
カーリングの試合は何度か見たが、いつもあれは床の上でやっていると思っていた。
古いTVで画面が小さいせいもあるが、床の上をお掃除しながら丸い磨かれた石を滑らせているものだと見ていたのである。それにしてもなにゆえに冬のオリンピックなのか分からなかったのである。

そしておねえさんたちが、モップらしきものを持ってお掃除するのは、石に風を当てているのだと考えていた。

けっきょくその程度の考えてみているのである。それ以上に興味も湧かなかったが、メンバーのお姉さんの誰がたしか人気があるとか、お顔を見比べて、そういえばこの子可愛いとか、大変アホな見方しかしていないのである。

とにかくどの競技にしてもポッカリと空を見るような見方しかしていない。
せいぜいしっかり見るのはキム・ヨナの演技が美しく見えること位である。

宙をくるくるひらひら舞うのは、たしかに自分にはできないすご技である。
それで出来ることが何か特別の意味があるのだろうかなどと考えてしまう。

時にはそんなことを今やらなければならないのだろうかと思ってしまう。

北京オリンピックの前には四川大地震があり、バンクーバー冬季オリンピックではハイチ大地震があり、どうもそちらの人たちの救助に全力を尽くす選手たちがいることの方が美しく見えるような気がする。

なぜ、大災害とオリンピックが秤にかけられないのであろうか?

自分の親兄弟友人知人が瓦礫のしたで苦しんでいるときに、静にしろうるさいと、苦しみもがいているときに、お前たちの救済はオリンピックが終わってからにしてやる。と言って、オリンピックが終わってから、救済する頃には親兄弟友人知人はとっくに死んでいるが、悪かったのは俺だ、成仏してくれと言っても、既に成仏してくれている。

実際人間の価値判断はこんなものだと思う。

バンクーバー冬季オリンピックに参加した国は史上最多の82カ国であるらし。
世界の3分の1の国しか参加していないことになる。

参加していない国はTVを通してオリンピックを見ることは無いだろう。
ハイチの避難民は歓声を上げながらオリンピックを見ているのだろうか?

慥かに私も何も出来ない、赤十字にはお金を送金しないようにしている。赤十字活動にはかねがね疑問を抱いているからである。

出すなら自前活動のNPOやNGOに募金をと訴える人もいる。
これはネットで捜すことも難しくはない。

オリンピック応援募金も行われている。

募金は何に使われるかははっきりとは分かっていないので困惑するところである。

多くの電気は発電所から都会に届く間に電線の熱となって消失する、ただ消失電気がないと使用される電気までもが消失されてしまう。

そういう意味では多くの募金は活動費や組織の飲食代や諸経費によって消えていく。
図体が大きいほどこの消失は増大することは確かであるようだ。



子供が生まれてくる。赤ん坊が生まれてくる。
その赤ん坊はすでに何をやるかどういう人生をたどるかは、はたして決まっているのであろうか?