知人のブログで
なぜ、高校生はゆとりだから仕方ないというのか」
という疑問が書かれており、もともとそういうことに不安を感じているちゃもとしてはヒートアップしてしまった次第です。
そもそもゆとり世代とは
戦後に起こったスプートニックショックで理系教育への熱が高まり、国も教育に多額の助成金を使っていたところに話を遡らなくてはならない。
簡単に説明すると、戦後興った現在にも至るテクノロジー戦争は凄まじく、敗戦もあってもともと「人材こそが資源である」とかいう日本の教育への需要が高まった昭和30年代、まさに「詰め込み教育」と言われた時代で、昭和40年前後に行われた理系の学力調査ではトップクラスの実力を示していたころ、日本の教育は日本の社会が求める資質を備えた人材、技能の変化に対応しうる基礎的な知識と技能、規律、勤勉さ、忍耐力、集団の中での協働作業能力を身につけた人材を提供できていた。
しかし、
それと同時に問題視されたのは「児童の探究心や創造力の欠如」学校の授業についてゆけない「落ちこぼれ」の増加。
「詰め込み」による学校での勉強を補完するために、多くの子どもが「塾」に通ったまさに受験戦争。
また、一方で校内暴力、青少年非行、青少年の自殺、シンナーなど薬物依存などの問題の深刻化し、教育方針によって「国の宝」のはずの子どもの命を圧迫する時代となっていった。
さらに問題となったのは、ひとたび厳しい入学試験をクリアすると、学生に厳しい勉学はなく、学生は生涯の中で最も気の抜けた時間を過ごし、中途退学をポイポイだす大学の「レジャーランド化」進行。
それにより、日本の教育は進路変更を余儀なくされたわけで。
簡単にいうとその進路変更が行われ始めた昭和40年代後半からいわゆる「ゆとり世代」はスタートしています。
とどのつまり、1970年、昭和40代後半に小学生はすでにゆとり世代の仲間入りを果たしているわけです。
まずここで、「ゆとりだから仕方がない」という言い訳が世間一般には通用しないということを把握していただきたい。
現在2011年-1970年(仮にゆとりスタート時)+7歳(小学一年生の年齢)=48、ということは現在一生懸命立派に働いている人も多くいる48歳から現在の子どもまですべてがゆとり世代だってことになります
そう、これを書いている僕自身も立派なゆとり世代。
だからこそ言う、「ゆとり世代」という言葉を逃げに使うなと
ゆとり世代でも、成功している人は多くいるし、立派な人もたくさんいる。
同じ人間なのに「どうせ無理」と言い訳をして、はじめから努力をしないから何もできるようにならない。
自分から努力をしてないくせに大人につけられたレッテルを堂々と被って、自分たちのための努力を果たさない子たちに憤りを通り超えて本気で心配する。
そのままだと日本という国がなくなるし、君たちは近い未来に人工知能に使われる時代が来るぞ
日本には残念なことに資源がないし、今までの日本を支えていたのは戦後のハングリー精神からの負けず嫌いの反骨精神だから、それがなくなった軍隊を持たない日本はいつ都合よく他国に乗っ取られてもおかしくない。
もともと人を疑いにくい国民性なだけに詐欺にも宗教にも染まりやすい。
そんな乗っ取りやすい金を持った発言力の弱い便利なこの国で、「仕方ない」「どうせ無理」を繰り返し、己の可能性すら自分で叩き潰し、大人のせいにして成長しない子どもを見ながら不安を感じるのは僕だけじゃない。
どうして無理なのか。
何か無理なのか。
なぜ、悔しくないのか。
毎日毎日悩むことはないけど、口に出さない程度にぜひ考えようよ。
このばかばかしくも美しいこの国の現状を変えられるのは誰かでも大人でもなくて僕らしかいないんだって、臭いと思っても、ダサいと思っても、青春してると思っても、本当にそれしかねぇんだよ。
このブログを書く際に年号等に自信がなかったのでhttp://www.jica.go.jp/jica-ri/publication/archives/jica/field/pdf/200311_01_02.pdfこちらの情報を使わせていただきました。