Micです
余震続く中、冬→春物へ服や靴を整理しております。
今日は夏みたいで、日射しと風
が気持ちいいですね~
。
さて、無事に?「無理強いしない在り方」いってみたいと思います。
最近、「無理強いしない」ってムズカしいなーと感じることありき。
以前、話題の出た「無条件の愛」に匹敵する位、私には難しいと感じるときがあります。
オーラソーマを知る前にも「無理強いしない」という言葉は聞いていたけれど、システムを学ぶようになってから、たびたび「これってどういうことなんだろう?」と自分に問う場面がありました。
先日、PPSコース時、生徒さんがプレゼン後、こんなことをおっしゃってました。
[自分がオーラソーマに出会って感じたオーラソーマのよいところを、「あれもこれも…」と考えて準備をしたのだけど、規定の10分間でそれを全部伝えるのは時間的にもオーバーしてしまう。「あれもこれも…」という自分の思いは、お客さんへ「無理強いしてる」のかなと気づきました。]
この言葉を聞いて、私は「素晴らしいな」と感じたのですが、このことを「自分で気づく」のがすごいなとも思いました。
私たちはしばしば、「良かれと思って」やったことが「裏目に出た」り、「余計なお世話」になったりして、人間関係を複雑にしてしまいますよね。
思いが純粋であればあるほど(ギブアンドテイク的でない)、裏目に出たときのショック
は大きいもので。それが回数重ねると、気遣うこと自体がいやになったり、怖くなったり、相手を責めたり、自分を責めたり…と、条件付きの緊張パターンが強化されます
。
そう考えると「無理強いしない」在り方というのは、「自分心を手放して、いかに相手目線で物を考えられるか」ということにもなろうかと。「無私無欲」ともいえますかね。
先ほどの「良かれ」という純粋な思いも、一見良い風に見えますが、言い方変えると<自分目線でみたときの「良かれ」>であって、実際のところ相手にとって本当に良いかは本人にしかわからないのですよね。(ココがムズカしいところなのレスよ
)
だから、「自分はよいと思う」思いが強すぎると、それは押しつけになってくる→人はプレッシャーを感じ、心地悪くなって反発するわけですね。
ここにはスペースの問題も絡んでくると思います。
「ほどほどの距離感」は自分や相手にもスペースやゆとりを与え、考える余地や緊張や過剰な期待(こうなって欲しい)を手放す可能性を生みます。
そして本当に「無理強いしない」でいられるには、相手や自分・流れを信じてないと難しいのかなって思います。
相手(や自分・流れ)を心底信頼して、「あなたなら自分でできる・見つけられる」「恐れる必要はない、乗り越えられる力が必ずある、大丈夫」と、その人の光を見続けられれば、自然と「無理強いしない」でいられるのかなって。
てことで、「無理強いしない在り方」を求めていくと、超一級の「プラクティショナー」になれそうですね。
というか、超一級の人になれるでしょう。
モチロン、これは私の勝手な意見ですが。
「無条件の愛」同様、コレもシェアリング価値アリアリなテーマだと思います。
みなさんは、どう思いますか?
Love, Light and Harmony!