フです。
6/3,4と一泊で福島に行ってきました
Mic先生、お誕生日のメッセージ有難うね
福島市にはダンナの実家があり、義理の父・母をはじめ、兄弟や甥姪、親戚が沢山暮らしています。
震災後、自分の体調もいまひとつだったこともあり、はじめて訪れました。
たまには嫁らしいこともしようと、エプロンやビニール手袋なども持参していったのですが、殆ど片づける事もなく・・・
義理の母の話相手になることくらいしかできませんでした。。
福島市は原発の避難区域にも入っていないし、街の様子や人々は横浜と一見それ程変わらないように見えます。
でもね、少し車を走らせるとあちこちの家の屋根瓦が崩れて、ビニールシートがかかっていたり、災害派遣の自衛隊の車が前を走っていたりします。
乳児をかかえる従姉妹たちは、個人で線量計を購入しているとも聞きました。
ダンナにきいたところ、立ち入り禁止区域になっている海側の地域までは車で約一時間強くらいとのことでした
その距離が信じられないほど、みんな普通に生活しています。
今までは、季節ごとに福島で採れる美味しいフルーツを送って戴いていたのですが、『嫌がる人もいるかもしれないから、今年からは食べ物はやめておくね』なんて、逆に気を使ってくださいます。
厳しい現実の中でも、みんな自分の生まれた土地を愛し、現状を受け入れながら明るく逞しく暮らしてるの。
強いな・・って思った。
改めて、私の立場で出来ることってなんだろう??と考えるいい機会になりました。
私達が泊まっていた夜も地震があり、福島震源で震度5弱だったかな? 福島市は震度3になってましたが結構揺れて、ダンナと二人で飛び起きてしまいました
でも、他の家族は朝になってもだーれもその話をしない。。。
もうそれくらいの地震、なんとも感じないほど慣れちゃっているのです。
それも辛いものがあるなぁと心が痛みました
昼はキラキラと光る水田が美しく、夜はカエルの合唱が聞こえ、野菜や果物も美味しい、人も優しい。
自分も自然の中の一部として生きていることを思い出させてくれるし、いつもの「急かされている感じ」からも解放されます。
<うつくしま ふくしま>と言うキャッチがあるくらい、いい所なんです、本当に
これからも長期的な支援と、風評に惑わされない福島への理解がとても必要です
どうぞ宜しくお願いします
ナダ子はばあちゃんち(私の実家)でお留守番でした。
最初いじけてたらしいけど、リビングの絨毯で思う存分爪を砥ぎ、壁や冷蔵庫によじ登り、やりたい放題の我がままぶりを発揮してばあちゃんを困らせていたようです。。。すみません。。
話は変わりますが、誕生日だったこともあり、携帯を機種変しました。
スマートフォンにしましたよ~
しばらくはメールの返信すら苦労しそうです。。早く馴れなくちゃ
~フ~