Facebookで5月6日のタイムラインにアップした記事です。
前回からの続きです。
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たまたま、『安井かずみのいた時代』を読んでいたからなのだが、畏れ多くも故 加藤和彦のようなレジェンドと自分を重ね合わせる理由はなんだろうか?
「才能ある強い女性が現れたら、すべてをなげうって献身するというのが、彼の恋愛スタイルです」(玉村豊男)。
「女性のほうからアプローチしてくる」(太田進)ほうが自然でうまくいくというのも、僕と同じタイプだからだ。
(吉田拓郎以外の)多くの人達が口を揃えて言うように、この夫妻が皆が羨む「最高のカップル」だったことは言うまでもないだろう。
安井が加藤に「支配」されるように見えたのも、安井が加藤を「支配」していたからだろう。
100%自分に関心を向けなければ我慢できない。
元々、フォーク・クレセイダーズだった加藤は、エスタブリッシュの世界に染まるような人間ではなく、職人的な音楽家であった。。
安井によってエスタブリッシュでハイソな世界の住人になったというわけだ。
38歳で7歳年下の加藤と結婚した安井の苦労も、常人の想像以上であったと思う。
年上ゆえに、プロポーションの維持を含め常に美しくあろうとする努力。
自身の加齢と夫の浮気への恐怖もあったろう。
大好物のたらこを、夫が嫌いという理由で全く食べなかったほどだ。
自分だけの我儘を通す「女王様」なんかじゃない。
「男に気を遣うということは、ひいては自分に気を遣うということなのである。(中略)女は懸命にその男との愛と人生を守るのである」(安井かずみ『女の楽しい結婚方法』)
結婚後、ゴージャスで奔放な生活を共にした多くの友人達との交誼も途切れた。
夫は、レコーディング中でも妻と二人だけの食事のため夕方にはスタジオを後にし、レコーディング佳境の年末年始には二人でハワイにいってしまう(桐島かれんをヴォーカルにしたミカバンド再結成時)。
外を歩くとき二人は必ず手をつなぐ。
加藤にとっての悲劇は、結婚後17年目の1994年3月、あまりに早く安井がこの世を去ったことだ。
最善の医療措置を施し、全ての仕事をキャンセルし献身的に看病をした加藤を知る僅かの人以外は、妻の四十九日を待たず新しい恋人の存在を明らかにし、一周忌を待たず再婚した加藤に皆、驚いたのも当然だろう。
「僕は絶対強い女性じゃないとダメなんだ。何かを持ってる人じゃないと好きになれない」(加藤和彦)
それでも新しい恋人のオペラ歌手 中丸は、「最高のパートナー」であった安井かずみとは別のタイプだったそうだ。
中丸と再婚し安井の遺品を処分しまくった加藤も、僅か5年で中丸と離婚した。
安井の死から15年、中丸との離婚から10年後の2009年10月、「ただ消えたいだけ」と遺書を残し軽井沢で自死するまでの間、加藤の女性関係は途切れることがなかったという。
それでも自死する約半年前、安井の命日に加藤は、「今、ZUZUの墓参りしてきたんだよ」と言ったそうだ(内田宣政)。
もし、加藤・安井夫妻が70代、80代まで健在であられたら、と考えるのは意味はないとはいえ、どうしても考えてしまう。
「ZUZUが生きていたらって? “森瑤子のデブ”は想像できても、‘’ZUZUのデブ”はあり得ない。だからあのまんま、スレンダーでカッコいいバアサンのはずですよ」(大宅映子)
加藤和彦と北山修 あの素晴しい愛をもう一度(ライヴ)
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sinoue0212@goo.jp
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▼『コンテンツを求める私たちの「欲望」』
電子書籍(無料)、閲覧数 36,949、PDFダウンロード354突破しました!
私の思想=文化マーケティングの視座が凝縮されています。
http://p.booklog.jp/book/43959
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たまたま、『安井かずみのいた時代』を読んでいたからなのだが、畏れ多くも故 加藤和彦のようなレジェンドと自分を重ね合わせる理由はなんだろうか?
「才能ある強い女性が現れたら、すべてをなげうって献身するというのが、彼の恋愛スタイルです」(玉村豊男)。
「女性のほうからアプローチしてくる」(太田進)ほうが自然でうまくいくというのも、僕と同じタイプだからだ。
(吉田拓郎以外の)多くの人達が口を揃えて言うように、この夫妻が皆が羨む「最高のカップル」だったことは言うまでもないだろう。
安井が加藤に「支配」されるように見えたのも、安井が加藤を「支配」していたからだろう。
100%自分に関心を向けなければ我慢できない。
元々、フォーク・クレセイダーズだった加藤は、エスタブリッシュの世界に染まるような人間ではなく、職人的な音楽家であった。。
安井によってエスタブリッシュでハイソな世界の住人になったというわけだ。
38歳で7歳年下の加藤と結婚した安井の苦労も、常人の想像以上であったと思う。
年上ゆえに、プロポーションの維持を含め常に美しくあろうとする努力。
自身の加齢と夫の浮気への恐怖もあったろう。
大好物のたらこを、夫が嫌いという理由で全く食べなかったほどだ。
自分だけの我儘を通す「女王様」なんかじゃない。
「男に気を遣うということは、ひいては自分に気を遣うということなのである。(中略)女は懸命にその男との愛と人生を守るのである」(安井かずみ『女の楽しい結婚方法』)
結婚後、ゴージャスで奔放な生活を共にした多くの友人達との交誼も途切れた。
夫は、レコーディング中でも妻と二人だけの食事のため夕方にはスタジオを後にし、レコーディング佳境の年末年始には二人でハワイにいってしまう(桐島かれんをヴォーカルにしたミカバンド再結成時)。
外を歩くとき二人は必ず手をつなぐ。
加藤にとっての悲劇は、結婚後17年目の1994年3月、あまりに早く安井がこの世を去ったことだ。
最善の医療措置を施し、全ての仕事をキャンセルし献身的に看病をした加藤を知る僅かの人以外は、妻の四十九日を待たず新しい恋人の存在を明らかにし、一周忌を待たず再婚した加藤に皆、驚いたのも当然だろう。
「僕は絶対強い女性じゃないとダメなんだ。何かを持ってる人じゃないと好きになれない」(加藤和彦)
それでも新しい恋人のオペラ歌手 中丸は、「最高のパートナー」であった安井かずみとは別のタイプだったそうだ。
中丸と再婚し安井の遺品を処分しまくった加藤も、僅か5年で中丸と離婚した。
安井の死から15年、中丸との離婚から10年後の2009年10月、「ただ消えたいだけ」と遺書を残し軽井沢で自死するまでの間、加藤の女性関係は途切れることがなかったという。
それでも自死する約半年前、安井の命日に加藤は、「今、ZUZUの墓参りしてきたんだよ」と言ったそうだ(内田宣政)。
もし、加藤・安井夫妻が70代、80代まで健在であられたら、と考えるのは意味はないとはいえ、どうしても考えてしまう。
「ZUZUが生きていたらって? “森瑤子のデブ”は想像できても、‘’ZUZUのデブ”はあり得ない。だからあのまんま、スレンダーでカッコいいバアサンのはずですよ」(大宅映子)
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安井かずみがいた時代 (集英社文庫) | |
島崎 今日子 | |
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