母逝去

2018-12-25 11:22:26 | 日記
母が逝きました…

次女の元から母を連れ…帰って来てもうすぐ五年…

一年も経たず一度めの脳梗塞で倒れ…又一年後、二度目の脳梗塞で倒れ寝たきりに…

それでも家で介護していたけれど訪問医も匙を投げて…

療養病院に入り一年半…心臓が悲鳴を上げながらも乗り越えて…

12月10日深夜、病院から電話…一度危なかった状態から又横ばいに…
毎日行くたび、目を開けてくれて…

又持ちこたえてくれたな…なんて…少しくホッとした12月15日13時30分頃…又急変して…

余り苦しむこともなく逝ってしまいました13時50分でした

長過ぎた闘病…

悩んでも何もしてあげられないジレンマ…

最期を待つだけの日々…

娘の気持ち…やっと楽になれたね…
やっと皆んなに会えるね…

91歳と2ヶ月…

12月17日…ささやかな家族葬で送りました


葬儀が終わり…私は風邪をこじらせて寝込みました

年末です
今週中に母のいろいろな手続きごと…終わらせなければなりません

母が亡くなったら、直ぐに待ち受ける葬儀の準備…

家族葬ですから大したことはしないにしろ…
一様喪主ですから…大変でした

アッという間の一週間…

私に出来ることは灯りと花と線香を絶やさず…

胃ろうで食べることも飲むことも出来なかった母の好きな物を作って供えることだけ…

何だか私の根治を確かめて逝ったような気がしています

もう大丈夫…そう言ってくれてるような気がします

信じて…前を向かなければ…

でも…何が有っても独り…
母を残す心配はなくなりました

これからは夜爪も切れます…






根治しても…

2018-12-13 23:44:28 | 
悶々とした1週間を過ごした

自分の体に何が起こっているのか…

不安だけで1週間過ごした

でもこの1週間後に婦人科の最終結果で癌が根治したことを知ったのでくよくよしていてはダメだと又前を向いた

放射線のただれなどの回復が早かったこと

癌が放射線だけで根治したこと

そして24ミリ有った大腸ポリープが手術後の生検時、10ミリ以下になっていたこと

膣内に癒着が起こっていないこと

乳がんの放射線治療の際もただれなど起こらなかった

私はハイパーサーミアの効果が大きいと感じている

大腸ガンも良性ポリープだということで4ヶ月放置した

大腸癌も進行が遅いらしいが…だからといって小さくなることはないだろう

放射線が骨盤内全体に当たっているので放射線の効果も有ったと思う


全てが同時期だったおかげ⁈で早期⁈で他の癌の検査に引っかかって…

他の治療をしたから新たな癌をそれによって抑えて⁈…

そしてあまり悩む暇もなく次から次へと検査や治療や手術が進んで…

同じ病院だから…がんセンターだったから…
私には良かったと今は心から思える

だから乳腺科は今も悩みの種だけれど…
そこからのスタートだから…そう思える


昨年夏から始まった怒涛の日々は今年最後の乳腺科、婦人科、消化器内科の診察でとりあえず全て根治、経過観察に入る予定だった


有る月曜日…乳腺科の診察…血液検査とエコー検査で問題無し!…次は来年

水曜日…まず婦人科依頼の全身のCT撮影

その後消化器内科、念のためにの大腸
内視鏡検査の結果…問題無し!で一年後

その後婦人科のCTの結果…婦人科問題無


問題は乳腺科で起こった…
検査結果が…右腋窩に腫れ、乳がんの再発の疑い

大腸の時もそうだったが、今回も婦人科の検査で見つかった
婦人科K医師は二度も言いにくいで有ろう他臓器の癌の疑いを患者に告げなければいけないし、他の科の予約を入れたり、該当の科へ連絡を入れたり…本当にご苦労をおかけした

私はあわてた…
乳腺科は月曜日に検査している…が、H医師じゃなければ不安にはならなかったと思う

直ぐに乳腺科に回ったが…会議だとか理由をつけてすぐに対応出来ないと看護士から聞いた

後日電話をしますとのこと…

病院を出てちょうど来たバスに乗った

間も無くスマホのバイブが鳴った

途中バスを降り電話に出た

Hからだった

不安な様子は手に取るようにわかった

でも「大丈夫だと思うけど…不安なら診るけど」…

Hが明日と言うのを来週にした


結果は問題なかった

私は「本当に大丈夫ッ?と念を押した」

「だから大丈夫って言ったでしょう。よく有ることなんだよね〜」とH

不安になっていたくせに…

「又次CT撮ったら又再発の疑いって出るんですか」と私

「大丈夫!今回の結果が有るから次は大丈夫」とH

「………」


再発や転移…一度癌になれば漠然とした恐怖が時折押し寄せてくる

一年が過ぎ、三年が過ぎ、五年が過ぎ…私は転移した

でも癌が多過ぎて7年目の転移に特別を感じている余裕はなかった…毎日毎日、目の前の乗り越えるべきことに必死だった

そしてしんどかったけど幸運にも全て根治という結果に辿り着いた

今日で…今日からは少し忘れて少しだけでいいから忘れて穏やかな日々を過ごしたい

そんな願いを「再発の疑い」…そのひと言が砕いた

そして漠然とした怯えが現実のものになった

その後に間違いでしたと言われても…

一度感じたリアルな恐怖が忘れられない

「又これから今度はこれと(再発、転移)闘うんだ…」

疲れた…何のせいか?又白血球が3000切った

風邪ひいたなぁ〜…治らないなぁ〜…寝てもしんどいなぁ〜…なんて思っていたら…免疫堕ちてた…

もう悩むなと思考が又フリーズした


来年は…出来ることなら…しばし…癌を忘れたい

大腸内視鏡手術…良性ポリープから癌へ

2018-12-13 10:37:48 | 
私は…大腸内視鏡検査、手術の前段階…前日から食事制限をして第1下剤を飲み、翌朝から1.8リットルの第2下剤を飲んで腸を空っぽにする行為がかなり苦手だった

前日のお昼から検査食になる
ウエハースやゼリー…夕食はお粥、お味噌汁、豆腐ハンバーグを湯煎して食べる

味気ないし不味い…

夜8時からは水分のみ…そして第1下剤

苦しみは深夜2時くらいから始まる

下痢も一度で終わればいいけれど朝まで続いた

睡眠不足の体に追い打ちをかけるように第2下剤を飲む

スポーツドリンク味だというが私は苦手な味で…それ以降スポーツドリンクさえ飲めなくなった

1時間くらいで全部を飲み終えなければならないが…飲むのも苦痛だ

そこから数時間…トイレから出られなくなる…

苦行のようで有る

私は最初の検査で一度この苦行を経験しているが
今回は以前にも増して辛くて…予定の時間までに病院に行けなかった

病院に電話を入れたら「午後からの手術なので大丈夫です。気をつけていらしてくださいね」と言ってくれた

もうフラフラである(笑)

やっと下痢の方が落ち着いてお昼前に入院が出来た
消化器内科病棟は乳腺と同じフロアでナースステーションには見知った顔があった…

体調を気遣ってくれて…ホッとした

一泊二日…前と同じトラベルカートで…
実は病院の硬い枕が合わなくてmy枕持参で有る
病院の枕の中、何が入っているんだろう?
硬くてゴロゴロで…痛くて眠れない…

午後というか予定より遅れて夕方⁈
手術室に呼ばれた

行きはやはり看護士さんと世間話をしながら…というか…カルテで今までのことを把握しているから…大腸が良性ポリープで良かった〜〜なんて話しもしながら…

医師は30代後半⁈の女医だった
「我慢したらいいでしょう」と言った医師ではなかっただけで嬉しかった

消化器内科医Tは「遅れてごめんなさいね〜」と優しかった
あまり痛みもなく上手かった

内視鏡手術が終わり…帰りは車椅子と決められているらしい…

母を乗せて車椅子を押した経験は有るが…
あまり乗り心地は良くなかった…おそらく精神的に…

今後どんなことでも車椅子には縁のない生活をしたいものだ

翌朝、血液検査をして問題がなく、主治医の了解が出ておかゆの朝食が出た…T医師の回診後退院した…この時は同室の方など病室の景色が思い出せない⁈…

2週間後…消化器内科の待合いにいた

勿論…不安はなく待っていた

予約なのに…かなり待たされた

前の患者さんが出て来た…診察が長いということは、お話しが長いということは…

1時間くらい待たされた…待たされ過ぎたせいか少しいらない妄想をした…少し不安になった

不安が的中した………

T医師は検査結果ではなく他の話しからはじめた…

内視鏡手術の翌日、家に帰った午後…膀胱に鋭い痛みと血尿が出た…私は慌てて消化器内科に電話を入れた
そこから婦人科に連絡がまわり…結果、膀胱炎みたいだから近くの病院を受診するように言われた

その話しでひと盛り上がりした
下剤地獄時に菌が尿道感染したらしい
処方されたクスリが30分で効いた


話しに一区切りついて、ひと息間が空いて…

「生検の結果、ポリープの中に癌が有ったんですよ。でも中に有って浸潤していないので再手術も有りませんし…ただ癌だったので3ヶ月後念のため内視鏡検査しましょうね」とT医師

「大きさは?…」私

「大きさ…書いてないけど…ポリープの中に本当に小さい…」とT医師

「私の膣ガン知ってます?子宮体癌肉腫の膣転移になっていますが、同時期にPET検査で大腸も見つかって癌かもと疑われた時…大腸癌の膣転移かもって話しが出たんですけど…」

「それは無いですね…大腸は単発です」

その時は聞かなかったけれど、どちらが先かの話なのかな⁈

厳密に言えば子宮体癌肉腫の膣転移も100%決まったわけでは無いらしい…

子宮体癌肉腫が有ったからその膣転移だろうなんだとか…

膣も単発癌の可能性も有る
その場合…膣腺癌…らしい

大腸癌から膣転移も有る…

DNA…遺伝子検査をすれば分かるらしいが…
治療方針に変わりは無いのでそこまでしないらしい…現代医学ってそんなものなのか…


乳がんと子宮体癌肉腫の膣転移とそして大腸癌と
同時期にこの体の三箇所に癌を発症するなんて…

前を向いていたつもりだったが…目に見えない大きな不安に又動けなくなった






腔内照射3回目

2018-12-12 11:48:44 | 
3回目は病室も変わり…
この部屋ではほとんど交流はなかった

唯一挨拶をしなかったのがお向かいさん
少し大変そうで…看護士さんとの会話が漏れ聞こえて来て…
私よりかなり重篤な状態で放射線治療をされてるようだった

子宮頚がんの進行度が高かったのか⁈

腔内照射は4回みたいだ…

抗ガン剤もしたとかするとか…

高熱も出たみたいで、食事も食べられないみたいだ…

それでも関西弁バリバリの女性にしては野太い声で冗談も言っていた


2回目までの結果を受け婦人科医Kは皮膚科の先生に診てもらえるように話しをつけてくださっていた
良く気の利く良い先生だ

2回目の回復が盛りぐすりの効果か…順調だったので感謝して今回は見合わせた

3回目の腔内照射もグッスリ眠っている間に終わった
翌朝の放射線科医Sの診察…「言い方は悪いですけどカスのようになってますね!後は婦人科の方で検査すると思うので…お疲れ様でした」

やったーッ!

2回目の入院時いつも横たわっていたお向かいさん…まだ退院許可が出ていなくて…報告がてら励ましに行った!

週末退院が決まってあとは外来で抗がん剤をすることになったらしいが…抗ガン剤の効果がイマイチみたいだった

方法はひとつじゃ無いから…私の放射線の結果に彼女も希望の光を見たのか…3日前見た時より明るく大きく頷いた

良い結果が出て気持ち良く退院したが…その日は内視鏡手術の予約を入れるために消化器内科に予約を入れておいた

癌じゃ無いということでいろいろな医師に回された
ここはがんセンター…良性のポリープなんだから仕方ないかな〜…今日は機嫌が良い

はじめて見る顔の医師は「放射線治療終わったんですね。では5日後にしましょうか」

「エッ、放射線でただれてて痛いんですけど…部分麻酔も無しですよね」私

「麻酔なんかしませんよ。あなたが我慢したらいいことじゃ無いですか」と医師

エッ…小さく声が出たが医師のあまりの発言に自分の耳を疑った…

医師がどういう気持ちになったか私には皆無だけれど…
「じゃあ、〇月〇日でいいですか?予約入れますから」

今度は1ヶ月以上も先である

ああ〜〜…この医師が内視鏡手術をするのだろうか…ああ〜〜イヤだ!イヤだ!

でもとりあえず放射線治療の痛みは回復出来てからの内視鏡手術になったので良しとしよう…

3回の腔内照射の跡はさすがにひどかった
膣内の腫れが外側にも盛り上がり痛みを伴った

膀胱、膣、肛門…そしてその周りの皮膚…トイレに行くたびに痛みが走った

トイレに行くたびにおしりふきシートや体拭きシートを駆使して清潔を保ちそのあとリンデロン軟膏を盛った

その効果か排尿時、排便時のキツイ痛みは2〜3日で普通の痛み⁈に変った

リンデロン軟膏盛りは次の婦人科、放射線科の診察まで続いた

3週間後…婦人科で膣内の生検とMRI検査をした
放射線治療の跡を目視して…
「クレーターみたい!くぼんでるから細胞取りにくいわ」と婦人科医K

そして1週間後…
「MRI検査の結果にも生検にも癌細胞は有りませんでした!凄いね〜、良かったわ〜!」と婦人科医K…

ひとしきり医師、私、看護士…みんなで結果を喜んで…でも私にはもうひとつの不安が有った

抗ガン剤で有る
まだK医師からは一度も抗ガン剤の話しは出てはいなかったが今までの経験上考えざるを得なかった

「先生、今後の治療は…抗ガン剤とか…?」

「抗ガン剤必要無し!1ヶ月に一度、しばらくは癒着が有るかも知れないので洗いに来てね。しばらくは経過を診て行きましょう。ホント、お疲れ様」

K医師も正直、こんなにきれいに癌細胞が無くなるとは思ってなかったし、小さくは出来ても残ることは少なくはないという

膀胱の裏、膣口に近い場所…婦人科としては不運な場所が放射線科としては幸運な場所だったのかも知れない

そしてこの結果に貢献したもうひとつの治療…
ハイパーサーミア温熱療法!
この効果については又別途まとめて書きたいと思っています

そして…大腸内視鏡手術のお話しは又明日


















腔内照射2回目

2018-12-11 08:42:00 | 
私は知恵がついた(笑)

この病院の入院は午前9時半と決まっているが…
事情が有れば事前に了解を得て自由がきく
まして入院当日は私の場合ほぼ何もすることがない

お仕事を理由にお昼前にゆっくり入院することが出来た

たまたま1回目と同じ病室に案内された
勿論全て違う方々だった

今回は皆さん抗がん剤の1回目を入院でやられている方々だった

お隣は手術を終え、しばらくして今回再入院で抗がん剤をされていた

お向かいの方は卵巣ほか骨盤内で転移がみられて癌を小さくして手術を考えているとのこと

もう一人の方はご挨拶だけでお話しはしていない

お隣は手の指先に多少のシビレが出たらしいが副作用が少なく食事も出来てお元気だ

彼女は自分から情報収集されるタイプみたいでウイッグをどれにしようか…少し楽しげにも見えた

私がはじめての手術、抗がん剤で精神的に一番しんどかったのは髪の毛が抜けはじめた時だった
なんとも表現出来ない苦痛だった

洗顔や歯みがきや…鏡の前にいるのに鏡を見ない…わかるかな〜…

私はウイッグは使わなかった…
外出する時は大きめのツバ付き帽子にショートに見えるよう毛先を付けて…室内ではニット帽を着用していた
仕事も休職していたし…あまり必要性を感じなかった

でも彼女もきっと手術も終わり、抗がん剤もあまり副作用もなく順調な経過に頑張ろうと前を向かれていたのだろう
私の方が先だったがきっとお元気に退院されたことだろう

お向かいの方は50代くらいかな〜…抗がん剤の副作用も強くいつも横たわっていた
食事も食べられないみたいだ

彼女はいろいろなことを後悔していた
ここに来るまでのことを含めいろいろなこと

私はハイパーサーミアの話しをした
抗がん剤の副作用を軽くする効果もあると聞いている
何より免疫機能が上がる…
諦めないで方法はひとつじゃ無いと励ました


2回目の腔内照射…
1回目と同じだが…ただひとつ病室に帰って…血圧が上がらない…

でも私はあまり変化を感じていなかった…
夕刻…看護士さんも忙しい時間帯だから私からひとりでトイレに行くからと大丈夫と言った

普通だった
それは突然来たーッ!
トイレから出て病室に向かって歩いていると突然意識が無くなり倒れた
そこに丁度やっぱり心配だったのか看護士さんがこちらに向かって来ていて私の体を支えた
そしてナースステーションが近かった
看護士さんが大きな声で助けを呼んで又々たまたまいた男性医師が駆けつけた
車椅子で病室に運ばれた
病室に戻り数分後…血圧は正常値に戻っていた

私の意識がなくなったのも数十秒だったと思う

迷惑かけちゃって…反省…

問題は同室の方々…放射線治療に行って帰って来たかと思ったら大騒ぎ…
病室にも近かったので男性医師の「大丈夫ですかッ?わかりますかッ?早く車椅子ッ‼︎」なんて声が聞こえちゃっているし…
翌日まで気を使わせたみたいです

2回目になると放射線やけどが増す
夜はじめて放射線医Sが病室に来た
順調に進んでいる事を告げ帰って行った

婦人科医も様子を見に来てくれて又薬の処方をお願いした

塗るというより患部を覆うように盛るといった感じ
婦人科医はそれでいいからね…と言ってくれた
自分自身の体だが見る気にはなれない
とにかく1日何回も盛った

週に6本出してくれたが使い切った
その甲斐あってか1週目より2週目の方が次の入院までの回復が早かった

3回目はさすがに仕事をしている場合ではないだろう、と10日間休みを入れた

退院の朝…放射線医Sの診察が有った

触診と目診…目診ってどうするかわかりますか?
小さいんだとは思うのだけど鏡を入れるらしいのね…私の場合は診察時癌の位置が膣の上になるから中々見えない
だから見つけるのも大変だった訳で…

めちゃくちゃ痛いのね…
まして放射線やけどや器具を入れてた訳だから…

子宮頚がんだけの場合は麻酔もかけず…凄い痛いらしい…
今もそうかはわかりませんが…

あと1回…頑張るぞ〜…
そんな事を思いながら病院を後にした