毒の樹(日本国憲法)を斬り倒せ
令和2年1月20日(月)
これから「日本国憲法」を点検する。
前提(1)
昭和二十年九月二日、
我が国は、アメリカ、イギリスら連合国に対し、
「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、連合軍最高司令官の制限下におかれる」
と明記された「降伏文書」に調印し、
同二十七年四月二十八日のサンフランシスコ講和条約発効までの間、
連合国の軍事占領下に置かれた。
即ち、我が国には、次の連合国の軍事占領下の間、国家主権はない。
昭和二十年九月二日から同二十七年四月二十七日
安倍内閣は、
平成二十五年四月二十八日、
天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、
憲政記念館において、政府主催の
「主権回復を祝う会」を開催して、上記期間、
我が国に主権が無かったことを公的に確認した。
前提(2)
この「日本国憲法」と題する文書は、
昭和二十一年二月、
我が国を占領している連合軍総司令部(GHQ)民政局の
チャールズ・ケーディス大佐以下二十五人の部員によって起草され、
同年十一月三日の明治節(明治天皇お誕生日)に、
大日本帝国憲法の全面的改正として公布され、
同二十二年五月三日の
東京裁判開廷一周年に当たる日に、施行された。
前提(3)
上記の我が国占領統治の期間、
①戦勝国八カ国九政府は、日本人約一千名を戦犯として処刑した。
②GHQは、極東国際軍事裁判を行い皇太子の誕生日である
昭和二十三年十二月二十三日に東条英機以下七名を絞首して殺害した。
③GHQは、信書、通信を含む厳重な検閲を実施し日本国民から真実を知る機会を奪い批判を封殺した。
その検閲指針は、
1、SCAP(連合国最高司令官司令部)に対する批判
2、極東国際軍事裁判(東京裁判)批判
3、SCAPが日本国憲法を起草したことに対する批判
4、検閲制度への言及、
ら30項目である。
④GHQは、ポツダム宣言6項
「日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する」
という統治方針に基づいて約二十万人の国民を公職から追放した。
⑤GHQは、
WGIP(War Guilt Information Progrum)
に基づいて、
A、日本が邪悪な戦争をした悪い国であること
B、その戦争は日本国内の邪悪な軍国主義者と善良な日本国民の戦争でもあったこと
という観念を日本国民が持つように
放送、出版等のあらゆる言論の場及び教育の場を利用して洗脳工作を実施した。
この前提(1)、(2)で明らかなことは、
「日本国憲法」の起案は、日本国民ではない外国人によって行われ、
起案はもちろん、帝国議会に於ける審議、公布、施行の何れの時にも、
我が国は、被占領状態にあり、
国家主権、即ち、「天皇及び日本国政府の国家統治の権限」は剥奪され
連合国最高司令官の下におかれ、
その間、GHQによる前提(3)の残虐にして狡猾な施策が実施されていた。
よって、次に、
真性の憲法条文としてではなく、
「日本国憲法」と題する文書を起案したGHQが、
我が国を占領統治する目的、
即ち、
日本を二度と再び脅威にならないように弱体化すること、
なかんずく
WGIP(War Guilt Information Progrum)
を、如何に
「日本国憲法」の文言に盛り込み(忍び込ませ)、
日本の弱体化とWGIPを未来永劫固定しようとしたか、
という観点から、
「日本国憲法」の各条を点検する。
(第一) 前文、第一条、及び第九条の点検
日本国憲法「前文」は以下の通り。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、我が国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、
①政府の行為によって、再び戦争の惨禍がおこることのないようにすることを決意し、
ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、
②これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、
③平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いずれの国家も。自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
以上の、空虚な偽善的、カルト的文言には
GHQの、WGIPを固定化する為の「毒」が次の通り含まれている。
①と③の文書を統合すれば、
「日本国民は国の主権者であるが、
この主権者のつくる政府は、再び戦争の惨禍を起こす恐れがあるので、
日本国民は自分たちの政府よりも、
平和を愛する諸国民(連合国)の公正と信義に頼って安全と生存を保持せよ」
ということだ。
これはまさに、我が国の独立自尊を剥奪するものではないか。
次に、③は、
言うまでもなく、
戦前の日本は人類普遍の原理に反する野蛮国家だったと規定している。
従って、この文章は、GHQのWGIPを固定化する為の
日本の「戦前と戦後の切断」=「国家と民族の記憶の剥奪」=「歴史教育の禁止」
を正当化し固定化する為の「毒」である。
この「前文」の①、②、③の毒を前提にして
チャールズ・ケーディスは次の九条を書いたのだ。
九条(戦争放棄)
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
この九条を、ケーディスが書いた通り英文で読めば一層明確になるのだが、
第一項と第二項で「主語」が異なる。
第一項の主語は「日本国民」であるが、
第二項は、軍隊と交戦権を誰が禁じているのか?
ケーディスの国アメリカではないのか!
この一点においても、
これは「日本の憲法」ではなく
アメリカの「日本占領統治原則」であることが明らかではないか。
article9
Aspiring sincerety to an international
peace based on justice and order,
the japanise people forever renocence
war as sovereign right of the nation andthe theat or use of force as means of
setting international dispute.
In order to accomplish the aim of
preceding paragraph,land,sea and
airforce as well as other war potential,
will never be maintained,
the right of belligerency of the state
will not be recognized.
次に、
一条(天皇)
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、
この地位は主権の存する国民の総意に基づく。
この第一条は「嘘」だ。
天皇は、そもそも国民が存在する前に、
次の天照大御神の天壌無窮の神勅によって天皇になられた。
天照大御神 天壌無窮の神勅
豊葦原の千五百秋の瑞穂國は、是吾が子孫が王(きみ)たるべき地(くに)なり。
宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就きて治(しら)せ。
行矣(さきくませ)。
寳祚(あまつひつぎ)の隆(さかえ)まさむこと、當に天壌の與(むた)窮りなかるべきものぞ。
従って、新帝は、
昨年十一月の十四日と十五日に天照大御神をお迎えして大嘗祭を行われたのだ。
このGHQが書いた第一条は、人民共和国憲法である。
この第一条を得意げに掲げて、
その時、何処の馬の骨か分からない習近平を無理矢理
天皇陛下に会わせたのが、民主党政権だったことを想起されよ。
(第二)次に、マッカーサー憲法の人権規定を点検する
この人権規定には、
前文と第一条と九条の偽善と毒に勝るとも劣らない
GHQの欺瞞と愚劣な意図が潜んでいる。
まことに無念であるのが、
厳しい検閲を実施しているGHQが、
二十一条で「検閲禁止」を謳い、
事後法で東条英機以下七名を絞首して殺したGHQが、
三十九条で事後法の禁止を謳っていることだ。
これこそ、世紀の欺瞞、偽善、卑劣!
これを恭しく受け取って「日本の憲法」だと思い込まされた日本、
まことに無念である。
しかし、現在に至っても自らの憲法を回復しようとしない日本、
民族の「誇り」と「民度」が問われている。
次に、歴史的に奴隷制度のない日本に、
十八条の奴隷禁止を書き込んだGHQのアホは誰だ。
しかし、我が国の最高裁は、この十八条を徴兵制禁止の根拠規定と押し頂いた。
最期に、マッカーサー憲法の人権規定の危険性を指摘したい。
それは、
我が家、家族、民族の歴史と伝統から如何なる影響も束縛も受けない
「砂粒のような個人」を
「個人の尊厳」即ち人権が確保された理想的状態としていることだ→十三条、二十四条
東日本大震災で、世界が感嘆し賞賛したのは、
日本人の危機に臨んで家族のように助け合う民族性であった。
マッカーサー憲法の人権規定は、
この日本人の民族性の根底にある家の解体と伝統の破壊を促している。
イギリスには次のような法格言がある。
「我が家は城である。雨や風は入ることができる。しかし、国王は入ることは出来ない。」
この格言は、人権は家によって守られるという思想である。
さすがイギリス。良い格言を伝えている。
アメリカンフール(アメリカバカ、大正期には日本でもよく言った)には、
この知恵がない。
さらに、
十四条の平等規定と華族その他の貴族の制度の否認
そして二十条の政教分離は、
一条と四条(天皇は国政に関する権能を有しない)と相まって
天皇の否定を促すものである。
平成から令和辺の御代替わりにおける
天皇と皇室の、さまざまな儀式で明らかなように、
天皇は、神々に祈る存在であり祭祀すなわち神事の主催者である。
これは、GHQの雇われ者の西洋一神教流の政教分離とは相容れない。
我が国は、北畠親房が記した「神皇正統記」冒頭の通り、
「神の國」
であるからだ。
それは、
次のように書き始められている(口語)。
「大日本は神國である。國常立尊がはじめてその基を開かれ、
天照大御の御子孫が永遠無窮に之を統治せられる國である。
斯くの如き國體、斯くの如き歴史は、全く我が國独特のものであって、
外國には類例がない。
即ち我が國を神國というふ所以である。」
以上の通り、マッカーサーの「日本国憲法」は、
精強な日本を弱体化させ、
永久に武装解除されたままの状態に固定化するために書かれた文書である。
この文書を「憲法」だと日本人に思い込ませて置いておけばGHQの意図は達成される。
その為に、彼らは、
最も実現困難な改正規定を書き入れた(九十八条)。
とはいえ、
これらのGHQの意図は、日本人が彼らの詐術に引っ掛かって、
いつまでも、この文書を「憲法」と思い込んでいるときだけ達成されるだけだ。
しかし、既に前提(1)、(2)、(3)で明らかなように、
この日本国憲法は、我が國に主権が無いときに、
占領統治していた外国人が勝手に書いたもので
我が日本の「憲法」ではない。
「無効」だ。
ところが、安倍晋三総理が、
この文書を「憲法」と思い込んで、
改正を自分の「使命」と公言していることも事実だ。
しかし、
GHQの罠に嵌まっていながら、
その「罠の改正」!?
を「使命」と思えば思うほど深く罠に落ちていく。
そして、そのうち、
その「使命」を実現するために、コミンテルン日本支部とも連携するであろう。
「毒の樹」は切り倒して捨てねばならないのだ。
「毒の樹」の産み出すものも「毒の実」だからである。
そこで、この際、整理しておきたい。
一体、我らは、
次のどの國を日本だと思っているのか、と。
(1)マッカーサー憲法の中の日本
(2)神武創業之日本
(3)天壌無窮の神勅「豊葦原の一千五百秋の瑞穂國」の日本
安倍氏は、(1)の日本の中で栄達を遂げ(その意味で敗戦利得者)、
憲法改正とか戦後体制からの脱却とか日本を取り戻す、とか言っておる。
笑止なり。
お祖父さんは「改正」とは言わず「自主憲法制定」と言われたのだ。
しかし、これに対して、
平成から令和への御代替わりのなかで、
天皇陛下は、
神武創業之日本、
豊葦原の一千五百秋の瑞穂國の日本が
神秘の中に厳然と存在していることを我らの眼前に示された。
諸兄姉、我らは、
天壌無窮の神勅「豊葦原の一千五百秋の瑞穂國」の日本
神武創業之日本
を我らの國日本と思って生き抜こうではないか!
最期に、マッカーサーに命令されて「日本国憲法」を書いた
二人の人物を紹介しておくのも、その程度が分かるので、何かの意義があろう。
一人は、九条を書いた憲法起案チーム主任
チャールズ・ケーディス(1906~1996、東欧系ユダヤ人)
アメリカの対ソ冷戦戦略を決定したジョージ・ケナン(1904~2005)は
ケーディスに言った。
「あなた方は、日本を共産化してソ連に進呈しようとしていたという噂がありますよね」と。その通り、日本国憲法は、GHQとコミンテルンの合作である。
また、R・アイケルバーガー中将は、
ケーディスに関して言った。
「彼は日本人に手本を示した。空疎な理想主義者は奢りと腐敗に溺れ自滅するという手本だ」と。
もう一人は、婚姻と両性の平等二十四条、文化的な最低限の生活権二十五条、、勤労の権利義務二十七条を書いた
ベアテ・シロタ・ゴードン(1923~2012、ウクライナ系ユダヤ人)
彼女は、二十三歳で日本の憲法を書いたことが自慢で、
日本の男女平等を、自分がつくったと、婆さんになっても言っていたという。
そして、自分が死んだら集まったお金を日本の「九条の会」に寄付してくれと言い残した。やはり「日本国憲法」はコミンテルンとの合作だった。
daitou大東亜戦争の真実を。西村慎吾先生の推薦。
奥本康大、葛城奈海 著、「大東亜戦争 失われた真実」ハート出版を次の通りご紹介する。是非、読んでいただきたい。西村眞悟昭和天皇が崩御されて三十年が閲した。そして、......
「大東亜戦争 失われた真実」
ハート出版
を次の通りご紹介する。
是非、読んでいただきたい。西村眞悟
そして、この三十年で、
昭和天皇がおられる皇居を拝して御楯とならんと
死地に赴いていった大東亜戦争の無量の将兵達も、
ほとんど亡き戦友のもとに逝った。
ところが、これとは正反対に、
戦後のGHQの巧妙なワー・ギルト・インフォーメーション・プログラム(WGIP)・占領政策によって
国民の心に植え付けられた自虐史観は、
我が国内外で執拗に拡大再生産され、
それに呪縛された総理大臣は、
英霊の祀られた靖国神社に参拝しない。
次に七十年後に精神において完敗するのか。
武士にとって勝敗は戦の常であるが、
精神における敗北は魂が腐る永遠の敗北、
即ち亡国だ。
その屈辱、耐えがたい。
一人の男が現れた。
奥本康大氏だ。
そして、彼を送り出したのは、
父の奥本實帝国陸軍大尉だ。
奥本大尉は、
昭和十七年二月十四日、敵の飛行場と製油所を制圧する為の
スマトラ島パレンバン落下傘降下挺進作戦に参加した挺進第二連隊第四中隊第三小隊長で、
殊勲甲の武勲をたてた勇者である。
奥本實大尉は、
戦後、体験した戦闘の膨大な記録を残しながら、
自ら何も語らず、
ただ息子である康大氏に
戦死した戦友の慰霊を一心に行う後ろ姿を見せながら
九十歳で戦友のもとに逝かれた。
そして、
父を見送った康大氏は、
父の行っていた慰霊を、
父の名代として行うことに意義を見いだしたのだ。
これ、
血を同じくする父子の生死を超えた魂の呼応である。
高山正之氏と共に
「なぜ大東亜戦争は起きたのか?空の神兵と呼ばれた男たち」(ハート出版)を出版した。
この書によって,
奥本實大尉のパレンバン空挺降下による
飛行場と製油所制圧の戦闘を記録した手記が世にでたのだ。
奥本大尉と部下総勢たった五人は、
パレンバンのジャングルに降下し、
遭遇した三十倍の人数のオランダ軍を
敢然と拳銃と手榴弾だけで攻撃し撃退した。
そして、その日、
落下傘降下挺進作戦の目的を達成し、
当時の我が国の
年間石油消費量五百万トンの六割を確保したのだ。
私は、この
「空の神兵と呼ばれた男たち」
を読んで、
これは尊い「書碑」であると思った。
「大東亜戦争 失われた真実」(ハート出版)を出版された。この中で葛城奈海女史は、
パラオのペリリュー島とアンガウル島
さらにサイパンとテニアンという
玉砕の島の戦跡を訪れた記録の後に、
まるでこれらの島で
祖国を思い玉砕していった英霊の思いが乗り移ったように、
現在の我が国の「戦後体制」に安住する情況に
激烈な叱責をおこなっている。
そして、奥本康大氏は、
戦闘では負けたが戦争では勝利した大東亜戦争の大義を語り、次に、父の空挺部隊の戦友達の、
知られざる特攻である
レイテの高千穂降下部隊と
沖縄読谷の義烈空挺隊の玉砕について書いた。
そして戦後を
父と同じように忸怩たる思いで生き抜いた勇者達のことを語るとともに、
英霊を裏切っている現在の我が国の情況に
腹にこたえ心にしみる警鐘を鳴らしている。
奥本氏の文章を読み始めてすぐ、
不思議な思いがわいてきたのだ。
それは、これを書いているのは康大氏だけではなく
父の奥本實大尉だとの思いだ。
この思いは多分的中している。
また葛城女史の玉砕の島の紀行文を読んで、
しみじみと英霊を思った。
貴公ら、よかったなあ、
綺麗な真の祖国の女性が会いに来て、と。
貴公ら英霊は、
ほとんど独身の若い男ではないか、と。
「大東亜戦争 失われた真実」
ハート出版
を次の通りご紹介する。
是非、読んでいただきたい。西村眞悟
そして、この三十年で、
昭和天皇がおられる皇居を拝して御楯とならんと
死地に赴いていった大東亜戦争の無量の将兵達も、
ほとんど亡き戦友のもとに逝った。
ところが、これとは正反対に、
戦後のGHQの巧妙なワー・ギルト・インフォーメーション・プログラム(WGIP)・占領政策によって
国民の心に植え付けられた自虐史観は、
我が国内外で執拗に拡大再生産され、
それに呪縛された総理大臣は、
英霊の祀られた靖国神社に参拝しない。
次に七十年後に精神において完敗するのか。
武士にとって勝敗は戦の常であるが、
精神における敗北は魂が腐る永遠の敗北、
即ち亡国だ。
その屈辱、耐えがたい。
一人の男が現れた。
奥本康大氏だ。
そして、彼を送り出したのは、
父の奥本實帝国陸軍大尉だ。
奥本大尉は、
昭和十七年二月十四日、敵の飛行場と製油所を制圧する為の
スマトラ島パレンバン落下傘降下挺進作戦に参加した挺進第二連隊第四中隊第三小隊長で、
殊勲甲の武勲をたてた勇者である。
奥本實大尉は、
戦後、体験した戦闘の膨大な記録を残しながら、
自ら何も語らず、
ただ息子である康大氏に
戦死した戦友の慰霊を一心に行う後ろ姿を見せながら
九十歳で戦友のもとに逝かれた。
そして、
父を見送った康大氏は、
父の行っていた慰霊を、
父の名代として行うことに意義を見いだしたのだ。
これ、
血を同じくする父子の生死を超えた魂の呼応である。
高山正之氏と共に
「なぜ大東亜戦争は起きたのか?空の神兵と呼ばれた男たち」(ハート出版)を出版した。
この書によって,
奥本實大尉のパレンバン空挺降下による
飛行場と製油所制圧の戦闘を記録した手記が世にでたのだ。
奥本大尉と部下総勢たった五人は、
パレンバンのジャングルに降下し、
遭遇した三十倍の人数のオランダ軍を
敢然と拳銃と手榴弾だけで攻撃し撃退した。
そして、その日、
落下傘降下挺進作戦の目的を達成し、
当時の我が国の
年間石油消費量五百万トンの六割を確保したのだ。
私は、この
「空の神兵と呼ばれた男たち」
を読んで、
これは尊い「書碑」であると思った。
「大東亜戦争 失われた真実」(ハート出版)を出版された。この中で葛城奈海女史は、
パラオのペリリュー島とアンガウル島
さらにサイパンとテニアンという
玉砕の島の戦跡を訪れた記録の後に、
まるでこれらの島で
祖国を思い玉砕していった英霊の思いが乗り移ったように、
現在の我が国の「戦後体制」に安住する情況に
激烈な叱責をおこなっている。
そして、奥本康大氏は、
戦闘では負けたが戦争では勝利した大東亜戦争の大義を語り、次に、父の空挺部隊の戦友達の、
知られざる特攻である
レイテの高千穂降下部隊と
沖縄読谷の義烈空挺隊の玉砕について書いた。
そして戦後を
父と同じように忸怩たる思いで生き抜いた勇者達のことを語るとともに、
英霊を裏切っている現在の我が国の情況に
腹にこたえ心にしみる警鐘を鳴らしている。
奥本氏の文章を読み始めてすぐ、
不思議な思いがわいてきたのだ。
それは、これを書いているのは康大氏だけではなく
父の奥本實大尉だとの思いだ。
この思いは多分的中している。
また葛城女史の玉砕の島の紀行文を読んで、
しみじみと英霊を思った。
貴公ら、よかったなあ、
綺麗な真の祖国の女性が会いに来て、と。
貴公ら英霊は、
ほとんど独身の若い男ではないか、と。