「日本代表ロコ・ソラーレ」本橋麻里の決断!【カーリング】
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■ 『from 911/USAレポート』 第761回
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2月14日はバレンタインデーで、アメリカでは盛大に祝います。まず、未婚、既
婚を問わずパートナー同士としては「愛情を確かめる日」であり、特に異性間カップ
ルの場合は、男性が女性に贈り物をするのが普通です。加えて、「バレンタイン・デ
ィナー」のためにレストランが予約で一杯になるとか、女性に贈る「真紅の薔薇一ダ
ースの花束」が、この日だけプレミアム価格になったりもします。
子供たちにはどうするのかというと、幼稚園から小学校低学年などでは、宗教タブ
ーの「ゆるい」、従って聖者バレンタインゆかりのこの日を祝うことに抵抗のない土
地柄ですと、「愛情」という概念を教える機会とされています。ですから、そうした
地域では小さな子供が「親への愛」とか「友人への愛」ということをカードを交換さ
せたりして理解させるのです。
そのような華やかな日付が、今年、2018年の場合には凄惨な事件のために闇に
包まれることとなりました。
フロリダ州の南東部、フォート・ラーディエール近郊と言ってもいいパークランド
という町で、公立高校に武装した男が押し入り、殺傷力の強い「AR15タイプ」の
「アサルトライフル」を連射し、17名が死亡という事件が発生したのです。
事件の舞台となったのは、フェミニスト運動家であるマージョリー・ストーンマン
・ダグラス氏の名前を冠した学校です。というのは、この学校の位置は、彼女が自然
の保護を強く訴えた半島内部の湿地帯の東端に近いからです。そうした命名の経緯が
示すように、リベラルな風土の土地柄にあり、学校自体のレベルもかなり高い学校の
ようです。
報道によれば乱射犯は、ボストンバックに銃器を隠し車で平然と学校に乗り付ける
と、まず学校の火災報知器を作動させて生徒たちを戸外に誘き出したそうです。そこ
から乱射を始めて殺害をしながら生徒たちを今度は校舎内に追い詰めたのでした。校
舎内では、施錠して教室に籠城していた生徒たちに対して、ドアの小窓から銃弾を浴
びせて殺害するなど、行動は凶悪そのものであり、あくまで無差別な殺害が目的だっ
たようです。
その上で、自分も高校生の一人になりすまして、一緒に手をつないで避難する格好
で脱出し、そのまま逃走しようとしたのです。報道によれば、誰にも気づかれずに
「まんまと」逃げ果せて、一旦はサンドイッチ店で冷たい飲み物で一息つき、その後
はハンバーガー店で40分休んでいました。その後は、自宅の方へ歩いているところ
で身元が露見すると抵抗することなく身柄を拘束されています。
この身柄確保の経緯に関しては、「生徒を偽装して避難の列に紛れた」以降は武装
を解いていたことがあり、そして恐らくは犯人の身元を確定しつつ、犯行時の衣服な
どを手掛かりに、追い詰めていった捜査員の「お手柄」ということもあったようです。
身柄確保にあたっては銃撃戦や乱闘などは発生せず、「ノー・インシデント」で拘束
されています。この種の大規模な乱射事件としては、これは非常に稀なケースです。
公判などを通じて、本人への徹底的な追及がされ、事件の詳細が解明されることが望
まれますし、可能となるかもしれません。
ちなみに、犯人の素顔ですが、19歳の白人男性で、以前に父親を亡くしており、
また昨年の11月に母親もインフルエンザが重症化して死去、天涯孤独になった中で
友人一家の家で暮らしていたそうです。その一方で、銃への執着が強く、試射してい
る光景を隣人に見られたり、動物を殺害しているというクレームから警察の訪問を受
けたこともあったということです。事件のあった高校に通学していましたが、重大な
違反行為があったことから放校処分になっていました。
このような乱射事件としては、昨年2017年の10月1日にラスベガス市で58
名が殺害された事件が記憶に新しいところです。このラスベガスでの事件では、そも
そも西部という土地柄から銃保有のカルチャーが根強いこと、被害にあったのが「カ
ントリー音楽の音楽祭会場」だったことから保守カルチャーが強く被害者や遺族など
の多くが銃保有派であったことなどから、悲惨な事件であったにも関わらず、銃規制
の論議は不発に終わりました。
一方で、今度の事件は少々事情が異なります。まず、事件の起きた地域はフロリダ
の中でもリベラルなカルチャーを持っていました。ですから、直後から「銃規制を訴
える」動きが強い形で起きています。例えば、娘を殺された母親がマイクを握って
「トランプ大統領!今すぐ行動の時です」と銃規制を訴えるビデオは各局が繰り返し
て流しています。また、追悼行事などでも銃規制を訴える動きは非常に強いのです。
同級生を殺された高校生たちは、最初はSNSで、そしてTVの取材にも応じる形
で次々に銃規制を訴えるメッセージを発信しています。これを受けて、CNNなどの
リベラルなメディアは、かなり強い調子で「今度こそ銃規制を」という主張を繰り返
しています。
その報道に関して言えば、14日の当日は試行錯誤的な姿勢が見られました。例え
ば、冒頭申し上げたように、この日はバレンタインデーであったわけですが「バレン
タインの惨劇」というようなセンセーショナルな表現は控えられていましたし、平昌
五輪優先の報道体制を敷いていたNBCなどは、事件自体を大きく扱わなかったので
す。
ですが、一夜明けた15日から16日にかけては、そんなことは言っていられなく
なりました。NBCも定時のニュースでは、五輪色を取り外して事件のことを大きく
扱うようになり、そして3大ネットワークでは銃規制論がかなり展開されていたので
した。
これに対して、政権の側はかなり異なったニュアンスで臨んでいます。例えば、
15日(木)にTV演説を行なったトランプ大統領は、丁重に「悔やみの言葉」は述
べたものの、事件については「あくまで精神疾患の問題」だという表現に終始してお
り、「銃(ガン)」という言葉自体を避けているようでした。
また同じく共和党のライアン下院議長は「悲劇の直後に政治利用する形での論議に
は応じない」という「いつもの」論理を、いつも以上に強硬に述べており、銃規制論
議に対する警戒感を露わにしていました。「今度という今度は、銃規制論議が避けら
れない」という機運が、動き出すのを何としても抑えたいというニュアンスがそこに
はありました。
では、今回こそ銃規制論議は前進するのでしょうか? そう簡単ではないと思われ
ます。2つ議論したいと思います。
1つは、根底にあるものとして、銃規制派の世界観と銃保有派の世界観が「完全に
分裂している」という問題です。規制派の世界観は単純です。銃が野放しになってい
て、例えば今回の19歳の男は、精神科に通院していたり、警察からの監視を受けて
いたりしたのに、全く自由に銃が購入できたことなどを批判して、例えばクリントン
政権時代の1994年に制定された「アサルト・ウェポン規制法」などの実施を要求
するという考え方です。
また銃の普及の背景には、銃火器と弾薬の製造メーカーからできた産業の利潤追求
の動きがあり、その利己的な動機を受けてNRA(全米ライフル協会)という強力な
組織経由で、保守政治家の多くは政治資金の提供を受けている・・・そうしたかなり
単純化された一種の陰謀説が当たり前のように信じられているわけです。
その一方で、保有派の世界観は全く違います。彼らの根底にあるのは「恐怖」と
「反権力」です。この人々はどうして銃を持ちたがるのでしょうか? それは自分た
ちが強い人間で、銃を持つに値すると思っているからではありません。また銃を持つ
ことで強くなれるという誇大妄想にかられているのでもありません。
そうではなくて、怖くてたまらないのです。大規模な入植地などで、隣家まで車で
10分以上かかるように点在して住んでいると、悪漢に襲撃された場合に警察を呼ん
でいる時間はありません。ですから、中西部の農業地帯や山岳地帯では、警察力への
期待はなく、その代わりにトラブルの仲裁と処理のプロとして保安官がいる以外は、
基本的に自家武装して治安を守り、犯罪を抑止したり犯罪者を制圧するというカルチ
ャーがあるわけです。
これは世界的に見て、特殊な開拓の歴史と特に大規模農場が成立することで、コミ
ュニティが拡散しているという地理的事情が生んだものです。問題は、「そのような
地理的、歴史的条件がない」、つまり都市やその近郊に住んでいるにも関わらず、開
拓時代のカルチャーに染まっていて、自分で武装していないと「怖い」という心理状
態に置かれている人々があるということです。
つまり「恐怖」がこの問題の全てなのです。例えば、銃の携行の権利という問題が
あります。要するに、買い物や通勤など「出歩く際」に銃を携行するなどというのは、
規制派の住む海沿いでは狂気の沙汰であるわけですが、この「恐怖心」に染まった人
びとにとっては、当たり前の感覚なのです。銃を持たないで、外出するなど怖くてで
きないというわけです。
更に、銃携行の誇示権という問題もあります。自分は銃を持っていることを「見せ
びらかしたい」わけで、その権利を保証せよという話ですが、これこそ規制派の州の
人間からしたら、トンデモない話です。護身用に持っていたいのなら、せめて隠し持
っていて欲しいのであって、民間人に「携行を誇示」などされたら、今度はこっちが
怖くてたまらないというわけです。
ところが携行誇示派の論理は違います。俺は銃を持っていると「誇示していれば悪
漢に襲われることはないだろう」という感覚がまずあり、その奥には「銃を誇示して
いないと襲われるかもしれないから怖い」という感覚になっているのです。この感覚
は、規制州の人々にはまず絶対に分からないでしょう。カフェを世界展開しているス
ターバックスは、この「携行誇示」と戦っているわけで、そのこと自体は信念があっ
て良いと思いますが、そのスタバに対して怒っている人は、「俺はスタバで銃を誇示
して人々を怖がらせたい」から誇示したいのではなくて、「誇示していないと撃たれ
るかもしれない」という不安感からそう言っているだけなのです。
精神病歴のある人への販売禁止問題も同様です。今回の狙撃犯に対して、どうして
何も問題なく合法的に銃の販売がされたのか、多くの規制州の人々は疑問を持ち、怒
りを抱いているわけです。ですが、保有派の論理からすると、「うつ病やアルコール
問題などで引っ掛かった人に銃を買わせるな」というのは、「うつ病やアルコール問
題のある人には、暴漢の襲撃を受けたら死ねというのか?」ということになる、そう
した感覚を持っているわけです。
この問題に関しては、このフロリダのように規制の緩い州がある一方で、もう一つ
「ループホール(抜け道)」として、ガンショー(銃の即売見本市)などや、ネット
での個人間の直取引などは「犯歴や精神病歴のチェックを省略」できるという状況が
あるわけです。規制派は、すぐにでもこの「抜け道を塞げ」と主張しているわけです
が、保有派からすると「せめて即売会などでは誰でも買えるようにしておかないと、
一部の人たちには死ねと言っているようなものだ」という「反対の論理」を持ってい
るのです。
基本的に全国レベルで見ると、規制派が優勢です。特に人工密集地である太平洋岸
と、大西洋岸の北東部では圧倒的に規制派が強く、大手のメディアの多くは銃規制論
に賛成です。ですが、保有派の人々は、そうした「都市部に住んで偽善的な思想に染
まっている」勢力が、メディアや政界を牛耳っていることには激しい反発を抱いてい
るのです。
つまり、彼からすると、武装というのは「生命財産の防衛」という権利であると同
時に、中央政府に対する「精神的自立=反骨精神」の象徴という面もあるわけです。
「反骨」などというとカッコいい内容を考えますが、正確に言えば連邦政府を軽視す
る一種のアナキズムであり、政治や治安という問題に関して常識的な発想法を持つ人
からしたら、虚無的な思想にも見えるかもしれません。ですが、そのような「中央政
府に抗して武装する権利」が憲法で許されているということを、自分の国家観、価値
観の源泉にしている人はかなりの数いるわけです。
2点目としては、こうした「絶望的なまでの価値観の違い」の一方で、政治が極め
てちぐはぐな対応しか取れていなかったという問題です。この点に関しては、オバマ
政権の8年というのは事態が一気に悪化した期間であったということが言えます。オ
バマという人は、勿論自身としては銃規制を進めたいという発想法を持った人でした。
ですが、2008年から09年にかけて経済が非常な落ち込みを見せる中で、オバ
マは「銃規制には曖昧な立場」を取り続けたのです。オバマの思考回路としては、恐
らくは「銃は規制したい」と思いながらも「仮に黒人大統領である自分が強引に銃規
制を進めて、反発した白人がヘイトクライム的な格好で銃を使った暴力を拡大させた
ら」事態は「収拾がつかなくなるばかりか、人種分断が激化してしまう」ということ
を恐れたのだと思います。
私はそのような思考回路というのは理解できるのですが、問題はその態度が悪い結
果を産んだということです。オバマの側からすれば「規制を我慢しているのだから、
せめて普及の加速するのはやめて欲しい」そう心の底から願っていたのでしょう。で
すが、銃保有派の側からすると「オバマというのは、リベラルで黒人だから必ず銃規
制をするだろう」という恐怖に駆られていたわけです。
また規制が厳しくなれば弾薬の調達、特に「多弾マガジン」の購入は難しくなりま
す。そこで、多くの人が「銃と弾薬のまとめ買い」に走ったのでした。結果的に、2
009年の就任以降、オバマ時代になったことで銃の販売は爆発的に伸びているので
す。
そんな中で、2012年の12月にはコネチカット州のサンディ・フック小学校乱
射事件が発生しました。オバマは涙を流して銃に関する議論の開始を訴えました。で
すが、恐怖に駆られたのは銃保有派も同じだったのです。彼らは「こんな事件が起き
てしまって、しかも大統領がオバマだから」ということで「今度という今度は銃規制、
特にアサルトライフル規制が始まる」と思って、駆け込み需要のようなことが発生し
たのです。
結果的に、オバマが曖昧な態度を取り続ける中で、銃、特に連射能力と強い貫通力
を持った「AR15」とか「AK47」と言った軍用自動小銃(と言ってもいいでし
ょう)が、この8年間に爆発的に普及してしまったのです。但し、普及というのはや
や語弊があり、銃の保有世帯の比率は長期低下傾向にある中で、保有家庭が買い増し
しているというのが実態のようです。
ちなみに、ここ数週間、レミントン社やコルト社と言った銃製造の老舗企業が経営
破綻していますが、これはオバマ時代の全くの正反対の効果、つまり「大統領がトラ
ンプだから、銃も弾薬も規制はないだろう。だったらいま買う必要はない」という買
い控えによって、一気に銃不況が起きたからでした。
それはともかく、問題は、銃は油を刺して手入れをしていれば「腐らない」という
ことです。ですからオバマの8年間に販売された膨大な数の自動小銃的な火器と、多
弾マガジンを含む弾薬は、社会に出回ったままなのです。
規制派は、銃が社会にあふれていると、保有派は仲間がいて心強いだろうと思うか
もしれませんが、これは違います。銃保有派にとっては、社会に銃が溢れているとい
う事実は脅威なのです。「こんなに社会に銃が溢れている」のであれば「悪漢が襲っ
てくる際に強力な重火器で襲ってくる可能性は大きい」、であるならば「家族を守る
ため」には「自分たちも高性能な火器で武装し、十分な弾薬を用意しておかないと」
不安でならない、そう思っているのです。
ということは、本当に銃社会を克服しようと思ったら、販売規制を行うだけでなく、
強権での「銃器狩り」をやらなくてはならないのです。既存の膨大な数をそのまま放
置しておいて、新規販売だけを止めても問題の解決にはなりません。
この点で興味深いのは、ニュージャージー州やペンシルベニア州が実施している
「バイバック」キャンペーンです。例えばニュージャージーの場合は、一年に数回、
期間を決めて「銃を政府に供出するとキャッシュが貰える」というキャンペーンをや
っています。短銃は一律100ドル、アサルトライフルなどの重火器は200ドルと
いうことで、「身分証明も、合法保有の許可証も不要」ということで、とにかく「そ
の地域に出回る銃を減らす」という試みです。
全国的に一定期間はそのような措置を行い、その後に「強制的に銃を放棄させる」
という「銃期狩り」をやらなくては、銃保有派の「恐怖心」の低減は難しいというこ
とになります。そこで大事になるのは信頼関係であり、仮に「悪いヤツは保有し続け
る」のであって、「正直に供出して放棄している自分はバカ正直」なので「政府に騙
されるな!」的な反骨感情に火をつけてしまっては、失敗するでしょう。
いずれにしても、「銃保有の背後にある不安感情」の問題、「禁止を匂わせると反
対に普及してしまう」という政府への信頼の欠如、そして「難しくても社会に出回る
銃器狩りをしないと、保有派の不安感は拭えない」一方で「保有派に銃を放棄させる
ことが可能なのか?」という問題など、議論の内容は多岐に渡り、しかも大変に複雑
なものだと思います。
そこまで思考が届かないままで、「即時に販売規制をすれば」保有派は黙り、犯罪
は減るというのは余りにも短絡過ぎると言いますか、ほとんど誤りであると言っても
過言ではないでしょう。これまで銃規制論議が進まなかったのは、ここに原因がある
と言えます。
こうした重苦しい現実を直視し、保有派と反対派が「仲良く議論する」のは難しい
にしても、相互の中にある感情的な動機について、相互理解を進めるということがな
ければ、銃規制論議というのは進まないのだと思います。
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