母は東日本大震災で亡くなったわけではなくて、
翌年の3月11日に、天に召されました。
ですから8年目の命日になります。
イヤでも忘れられない命日は、母の自己主張かな?と
思ってなりません。
さみしがり屋さんだったから・・・
幼いころ両親を亡くして、親の愛情を知らないで育った。と
常々話していました。
と言っても、8人兄弟の下から3番目で
お姉さん達がいたのでそうでもないのかな~と思うけど
満たされないものがあったのでしょうね。
私達3人の姉弟には、しっかり愛情を注いで育ててくれましたけれども・・・
私は今の歳になっても母親の愛情は、忘れられない懐かしいものです。
亡くなった後の方がより、母親のことを想うようになりました。
父も亡くなりましたが、不思議と母ほどは思い出さないもので
ごめんなさい~ という感じです。
まあ、父は好き勝手に生きてきた人ですから。
かわいそうだけども、仕方ないかな・・・・
しかし今日は良いお天気です。
母の誕生日は11月3日でいつも「晴れの特異日よ」と
得意げに話していてました。
命日が3月11日と、誕生日の逆の数字でまるで何かの
ゲームみたいですね。
お母さん!
貴女の命日は決して忘れませんからね!!
いまでもちゃんと心の中にしっかりと生きています。
「ふるさと」・・とは弟が決めました。気に入っている言葉です。
何々家の墓、としなかったのは皆ここのふるさとに戻っていくから・・と。
晴れ女だった、母の思いが届いてるかのような青空。