芸能人のご家族が亡くなると、コメントなどが発表されたり、インタビューや、たまたま見たブログなどにその時の想いが書いてあったりする。
そうすると、一ヶ月経ったけど哀しみの底にいるとか、半年経ったがふとした時に涙が出てくるとか綴ってあったりする。
人と比べても意味がないことだが、私など当日(正確には翌日)も葬式の日も、用事が一通り終わった後は普通に Twitter やってテレビも視たければ視ただろうし食事も普通だったろう。普段と変わらない生活をしてた。
冷たいように思われるだろうし、実際白い目を感じたこともある。あからさまに何か言われたりはしなかったが(ほとんどの人には親切にしていただきました。ありがとうございます)。
だって別に哀しくないんだもん…。哀しそうにできるほど器用でもない(別に楽しくもなかったですが)。
今にして思えばいかに小さい頃から自分一人で生きてきたかという証左だと思われる、当人にしてみればそれが当たり前すぎて何が理由かなんてわからない。
もちろん食事の世話とか一通りの身の回りのことなどはしてもらってた。一見して虐待されてるようには見えなかったろう、どころか、母は多分よくやっていたのだろう、第三者的には。
だけど私は心理的に放置され続けた。どんなに目の前でのたうち回って苦しんでても泣けばいいと思ってるの一言で済まされいくら泣き叫ぼうが壊れた時計が鳴り止まないくらいにしか思われない。気持ちを持った人間だと扱われない。ただ幼いというだけで。
恨んでるとか許せないとか言うのとは違う。あの人を好きとか慕わしいとか思う理由もきっかけもなかったのだ。だってそう思いませんか。
泣いた時に抱っこして背中ぽんぽんなんてしてもらったこと一度もない。無視されるか怒鳴りつけられるか正論で説教されるか。言ってることは正しいかもしれないが、私の気持ちは一顧だにされたこともない。彼女の中にはそんなものは存在したことがなかった。
思い起こせばもちろん優しく(?)されたこともないわけではないが、それはこっちがある程度安定してる時に限られ、辛いから泣いてるのに泣けばとにかく𠮟られた。そういう生活が続くとヘンに優しくされると逆におもねってる、すり寄ってこられるようで気持ち悪く白々しく感じるのだ。
もう、2、3歳の物心着いた時には私には母との生活は苦痛にしか感じなかった。叱られればもちろん、優しく(??)されても苦痛なのだ。
私にはそんな母よりも家族よりも、画面の向こうから楽しませてくれ、時に慰め、励ましてくれる芸能人の方が、時に下手すると実在しないアニメキャラの方が心理的に距離が近いのかもしれない。彼らは私を傷つけないし追い詰めない。
家族や親しい人が亡くなって辛いと言う方。それはもちろん辛いと思う。別にそれを羨ましいとか恵まれてるとか言うことは私にはできない。自分を不幸だと思ってるわけでもない。
でもその辛い気持ちを淋しく思って見てる人間がどこかにいると思えば、今まであなたが守られてきた証しと思って多少は慰められないだろうか。
こういうことを書いていると自分がひどくわがままな娘と思われてそうで、今のとこ何も言われたことないんだけど、まぁ妄想かもしれないけどそう思われてそうで、いたたまれなくなって記事を消してしまったりする。でも我慢できなくてまたこうして書いてしまった。これも後で消したらすみません。
自分の生い立ちや経験について文章にしたいという欲求自体は失くしてないです。ただ乾酪庵(このブログ)ではしません。そのうち今までの記事もまとめて引っ越すかも。
お約束できる話ではないので忘れてもらっていいですよ。