2021年春期アニメが佳境に入っているところで、今回はTBSのアニメイズム枠で放送中の『BLUE REFRECTION RAY/澪』(長いので以下『BRR』)を取り上げたい。
私はゲームを全くやらないのでよく分からないが、この『BRR』は元々ゲームとしてあった『BLUE REFRECTION』という作品(の世界観?)をベースに、新たなプロジェクトが立ち上げられ、その一環として制作されたアニメのようだ。そして『BRR』は、女子高生たちがある指輪の力でリフレクターと呼ばれるものに変身し戦う、というジャンルとしては広い意味での「魔法少女もの」に属する作品で、J.C.STAFFが制作している。
ところがこの『BRR』、驚くほど何の話題にもなっていない。私は春アニメも既に何本か切っている中、この作品は最後まで見るつもりだし、ストーリーもアニメーションも(陳腐だとか多少不安定だといったことはあるものの)そこまでヒドいとは思わないのだが、例えばYouTubeなどを覗いても『BRR』についてのリアクション/考察/解説といった動画は、ほぼ見つからない状況だ。
「誰も語らないのなら俺が語ってやる」みたいな強い思い入れがあるわけでもないが、『BRR』を見ていてちょっと思うところがあって、それを述べたいと思った。
リフレクターは2つの陣営(というかグループ?)に分かれ、そこに更に、生き別れになった姉妹が別々の陣営に分かれているとか、陣営内部の複雑で歪んだ人間関係とか、世界がリセットされる/された(?)といった要素が加えられているが、物語の根幹をなすのは「少女たちの抱える(生きづらさという)苦しみ」である。
一方の陣営は、リフレクターという力を得た者がその「苦しみ」の結晶である「フラグメント」を引き抜くことで少女たちの心を解放するのだ、と主張し、主人公のいるもう一方の陣営は、「フラグメント」=「苦しみ」もまた、その人の大切な一部であり、それを引き抜くことは、その人をその人でなくしてしまう、と主張する(実際、フラグメント(fragment)とは「欠片」という意味だ)。
そして、この「苦しみ」についてのストーリーラインが、私の中で『BRR』が放送される前の3月にNHK Eテレ「100分de名著」で放送された『14歳からの哲学』の回の講師の言葉とずっと共鳴し続けている。
「100分de名著」は通常は毎月1冊の本を4回かけて解説するが、3月は東日本大震災から10年ということで「災害を考える」というテーマで毎回1冊ずつが取り上げられ、この『14歳からの哲学』はその第4回で取り上げられた。文筆家で哲学者の池田晶子の著書で、彼女は2007年に46歳の若さで癌で亡くなるが、2003年に出版された『14歳からの哲学』はその闘病生活の中で書かれたものだという。
講師を務めた批評家の若松英輔は番組の中でこう述べている。
今、自分の中にかつて「知らない」と思ってたこと、池田さんは「思い出せ」と言ってましたね。池田さんにとって真理というものは、どこかで私たちが作るものではなくて、発見するものだったということです。君が真理だから、どこも不安に思う必要なんてなんだ。君の中に真理が眠ってるんだから、それをしっかりと感じて思い出すんだ。そうすれば君の中で「考える」ということが自然に始まってくるんだ、と。自分の中にあるんだ。みんな自分の中に。
そして若松はちょって声を詰まらせながら、東日本大震災から10年経った今、明日の朝を迎えられないくらい苦しんでる人たちに、この池田の言葉を贈りたいとして、語る。
自分が真理だ、ということが本当に分かれば、人は苦しめると思うんです。で、池田さんの哲学っていうのは、苦しみを減らしてくれるんじゃないんですよね。むしろ、苦しみが意味だということを教えてくれる──何かそういう哲学なんじゃないかと思ったりしますね。
『BRR』と3月の「100分de名著」(あるいはその第4回の『14歳からの哲学』)は全く関係ないはずだが、両者は全く同じ場所を目指しているのではないかと思う。それは『BRR』のEDで、「私の孤独 私のものだ 理解は出来ない 奪えはしない (中略)大嫌いな自分と生きる 暗い辛い最深を信じるの」と歌うACCAMERの「最深」からも感じられる。下に公式がアップしているFull Ver.の動画を貼っておこう。
『BRR』は、10話までの段階ではまだ明らかにされていない要素もあって、物語が今度どう形に収斂していくのは分からないが、願わくば「苦しみが意味だということを教えてくれる」ようなラストになっていたら、と思う。
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