京アニで腕を振るった山田尚子(なおこ)監督によるアニメ『平家物語』の放送が終わった(FODでは2021年秋期から配信していたようだが、テレビ放送されたのは2022年冬期である)。原作は古川日出男によって現代語訳された『平家物語』。アニメでも、もちろん歴史劇は頻繁に描かれているが、現代語訳されたものとはいえ、このような古典中の古典を原作/原案にした作品は、私には今回の『平家物語』以外ちょっと思い浮かばない(注1)。
それにしても『平家物語』といえば、例えばNHKなら大河ドラマ枠で45分×45回くらいかけてやる話だ。それをアニメとはいえ25分×11回でやろうというのだから、相当な工夫が必要になる。そこで今回、山田尚子が用いたのが、琵琶奏者の娘、びわというオリジナル・キャラと、眼の設定である。
京で琵琶奏者の父親と暮らしていたびわは、その父が平家の禿(かむろ 注2)に殺された後、奇縁により平清盛の嫡男、重盛に引き取られて、その息子たちと一緒に重盛の館で育つことになるのだが、生まれながらにその片眼は先(さき)=未来を見ることができる。一方、重盛は今は亡き者たちの霊が見える片眼を持っている。つまり、びわと重盛が一緒にいるだけで、そこには過去、現在、未来という時間が重層的に存在していることを視聴者に感じさせることができる。それはあの時代よりずっと未来にいる我々が、結末まで含めて成り行きを知った上で『平家物語』を見ている、ということを思い起こさせる。
合わせて、平家の傍らでその栄枯盛衰をつぶさに見てきたびわは、後の世に彼らの姿を伝えるため、それを琵琶で弾き語る存在になる(すなわち『平家物語』の作者の一人になる)。だから『平家物語』の古川本は約900ページもある大部だが、アニメではあくまでびわが見聞きしたものを物語として描くということで、平家の栄華から滅亡までを軸に、源氏側の物語は大胆に省略されている(とはいえ、実は古川本でも源氏側の存在感は全体的に薄いのだが)。そして物語の最後、アニメに登場したさまざまな人たちの声で『平家物語』の冒頭の一節、
祇園精舎の鐘の声
が繰り返し読み上げられ、そこから原作を含めたこの作品のテーマである“諸行無常”が明確に浮かび上がってくる。
そしてもう1つ。古川本にはないアニメ『平家物語』ならではの特徴として挙げたいのが、描かれる世界の美しさである。絵の美しいアニメは、それこそ掃いて捨てるほどあるが、この作品の持つのそれは、そうしたものとは違う、もっと心の奥底にまで差し込んでくるもの。羊文学によるOP「光るとき」の中も
何回だって言うよ 世界は美しいよ
君がそれを 諦めないからだよ
という歌詞が出てくるが、実は「世界は美しい」という言葉はOPで歌われるだけで物語本編には一切出てこない。けれどこのアニメを見ていると、本当に世界は美しいと感じるのだ。
確かに世界には、戦乱や殺戮や暴力や貧困や差別や腐敗や、その他あらゆる悲惨さ醜悪さが存在する。それは『平家物語』が描く800年前も、今も、そして恐らく800年先も変わることはない。それでも世界は揺るぎなく美しいだろう──このアニメを見ているとそう思う。それこそが“万古不易(ばんこふえき)”である。だからこそ、この世界は生きる意味があるのだ。この先もずっと。
そこで戸惑う でも運命がcalling calling 呼んでいる
ならば全てを生きてやれ
“諸行無常”と“万古不易”──その対極がこのアニメには内包されている。こうして、このアニメは『平家物語』のダイジェストやアニメによるイミテーションなどではなく、新たな『平家物語』そのものになったのである。
(注1)ただ、2022年冬期はシェイクスピアの『ヘンリー6世』、『リチャード3世』を原案にしたマンガ『薔薇王の葬列』がアニメ化された。
(注2)禿とは当時、平家が京の都に放っていた者たちで、平家の悪口を言うなど、平家に批判的な者たちを捕縛、投獄したり殺害したりする役割を持つ。