BGMとしてアニメ『PSYCHO-PASS』のOSTから「Sono Juukou wa Seigi wo Shihaisuru」とともに。
21日の夜はキネシオロジー交流会に参加してきた。この交流会も今回が第3回。今回はfacebookで告知した数時間後には参加者が定員に達し、その後に申し込んだ人はキャンセル待ちになってしまうほどで、そのうち参加権がプラチナ・チケット化してダフ屋が現れるんじゃないか、というくらいの勢いだ。
ちなみに私は、キネシオロジー交流会でありながら相変わらずクラニオのリクエストばかりで、まわりがキネシオロジーのセッションをしている中、ひたすらクラニオをやるという、ちょっと不思議なポジションにいた。
そして今回は、3回目にしてCBS(クリニカル・バイオホログラフィック・システム)から川村修一先生が初参戦参加。CBSのセミナーで、川村先生は松原次良(じろう)先生の右腕として前半の講義を担当しているが、その勉強量は松原先生と並んで脅威と言うほかない。
(自称を含めて)勉強熱心な治療家はたくさんいるが、その多くは治療テクニックや治療法を勉強しているに過ぎない。しかし、松原先生や川村先生が猛勉強しているのは解剖学、生理学、生化学、栄養学といった基礎医学であり、その並外れた知識ベースの上に治療テクニックや治療法があるから、その使用効果や応用範囲は他の追随を許さない。
実際、セミナーの時「治療法なんて知らなくても、機能的な解剖、生理がわかっていれば、テクニックなんて自分でいくらでも作り出すことができる」という話を、私も何度も聞かされた。
キネシオロジーには非常に精緻な体系というかシステムを持っているものもあるので、その体系/システムを学び、その流れに沿って一連の手続きを忠実に行えば、誰でも一定レベル以上の結果を出すことができてしまう。
それは、それだけその体系/システムが優れていることの証(あかし)でもあるのだが、逆に言えば、優れているのはその体系/システムであって、それを使っている個人ではない、ということでもある。
けれど、いかに精緻に作り上げられた体系/システムも所詮は「人の造りしもの」だから、それには自ずと限界がある(と私などは思う)。だから最初はその枠組みの中でワークしていてもいいが、どこかの時点でその枠組みを超えていく必要があるのではないか、と思うのだ。
そして、そこで必要になるのは、どこかの誰かが作った安手の治療法やテクニック(失礼!)なんかではなくて、圧倒的な勉強量に支えられた確かな知識なのだろう。
今回の交流会では、最初の自己紹介で何人かの人が「構造的なものをもっと勉強したい」と言っていたのが印象的だった。わかってる人は、やっぱりわかってるのだ。
つけ加えて自分のことを言えば、私は体系/システムそのものには、もう特に興味はない。私が興味があるのは、そうした体系/システムを作り出したアイディア、発想の方だ。
数学に例えるなら、知りたいのは公式そのものではなく公式の導き方。もっと言えば、その公式を導くのに使った発想をどこから、どのように得たか、である。
公式しか知らなければ、それを忘れてしまえばそれっきり。しかし、導き方を知っていれば、忘れても自分で導き出すことができる。更に、それを導くまでの根底にあるアイディアがわかっていれば、それをアレンジして用いることで別の公式や定理まで導き出せるかもしれない…と、そういうことだ。
ただ残念ながら、そうしたことを教えてくれるセミナーはほとんどない(講師自身が体系/システムを知っているだけで、その根底にあるものを知らないのだから、当然ではあるが)。
──といったことは本来、松原、川村先生に迫るくらいに勉強している人が言うべきことで、私のように勉強らしい勉強をほとんど/全くやっていないようなヤツが偉そうに語っていていい話ではない。
なので、上に述べたことは自分のことを棚に上げ、自戒を込めて書いたものであることを最後にお断りしておく。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます