スピリチュアル系にはさまざまな「教え」があるが、その中でも私がずっと前から疑問に思っているものがある。それは
「潜在意識は否定形を理解できない」
という教えだ。「アファメーションする時は『私は○○しません』のような否定形の言葉を使ってはならない。潜在意識は否定形を理解できないので、このような言葉を使うと、逆に○○という状態を引き寄せてしまう」とか。
スピ系に類するさまざまなところでこの言葉を目にしてきたが、どうにも納得できない、という気持ちが常に自分の中にあった。「潜在意識は否定形を理解できない」というのは本当なのか──誰がいつ言い出したのか? その根拠は何なのか?
ある時、ヒマに任せてそのことついてネットで調べてみた。すると「誰がいつ言い出したのか?」はわからなかったが、「その根拠は何なのか?」についてはすぐに答えが得られた。判で押したような同じ答えが。
「『○○について考えないでください』と言われると、つい○○のことが頭に浮かんでしまうはず。そのことから潜在意識は否定形を理解できないということがわかる」
というのが、それだ。
確かに、例えば「今は富士山について考えないで」とか「ピンクの象のことは思い浮かべないで」などと言われると、富士山やピンクの象のことが頭に浮かんでしまう。けれど、それが本当に「潜在意識は否定形を理解できない」ことの根拠になるのだろうか?
こんなことを考えてみた──。
あなたが「ここでは騒がないでください」と言われたとしよう。すると、あなたがその言葉に従うにせよ逆らうにせよ、あなたの頭──あるいは意識──の中では、まず「ここでは騒がないでください」というが、では「ここ」とはどこで、そしてどの程度なら「騒がない」と言えるのかを明確にするための処理が行われるはずだ。
例えば「ここ」が一般的な病棟の中であれば、いきなり発声練習を始めたりトランペットを吹いたりしたら「うるさい、静かにしろ」と怒られるだろうが、普通に会話するくらいは許されるだろう。しかし「ここ」が図書館なら、中で世間話なんかしてたら周りから非難の目で見られるし、職員から注意されることもある。「ここ」がドラマを撮影中のスタジオの中なら、物音一つ立てられないはずだ。
つまり、「ここでは騒がないでください」と言われたら、そのことに対して自分が求められていることの枠組みを自分なりに明確にするための処理が行われなければならない。でないと、その後の行動がトンチンカンなことになってしまうから。
では、話を戻そう。「○○について考えるな」と言われると、つい○○のことが頭に浮かんでしまう、ということだった。これも上の例に倣って考えてみれば、「○○について考えるな」と言われた時、まずしなければならないのは、当面の間、思考の枠から外すべきものを明確にする、ということではないだろうか。そのために、一時的にその○○のことを意識に上らせることが、それほど不自然だろうか。
実際、一時的に意識に上ったその○○のことは、すぐに消えてしまうはずだ。「ほら、今あなた、『考えるな』と言われたはずの○○のことを考えてるでしょ」などと言われさえしなければ。
そう考えると、「『○○について考えるな』と言われると、つい○○のことが頭に浮かんでしまう」というのも、意識の中の情報処理の過程で自然に起こることで、これをもって「潜在意識は否定形を理解できない」と結論づけるのは相当に無理がある。
何より、やはりスピ系でよく言われることに、「『できない』という気持ちが『できない』という現実を作り出す」といったことがあるが、もし「潜在意識は否定形を理解できない」というのなら、「こんな凄いこと、自分にはできない、できない、できない、…」と思えば思うほど、その人はどんどん「できる」ようになって、圧倒的な成功を収めていなければならないはずだ。
これと同じように、「アファメーションで『○○したい』『○○になりたい』などと言うと、それは『まだ○○できていない』『○○になっていない』と同じ意味になって、『まだできていない自分』を引き寄せてしまうから、必ず『○○しました』『○○になりました』と完了形にしなければならない」ということを言っている人もいるが、そんなのもただの俗説だ。
そもそも、アファメーションの文言が否定形になってないか、ちゃんと完了形になってるか、なんて気にしてたら、どんなアファメーションを唱えたところで時間のムダにしかならない。だって、その人は自身が本当に望んでいることではなく、「アファメーションの仕方が間違っていて、実現しなかったらどうしよう」というところに自分の意識が一番強く向いているのだから。
そして、こんな奇妙な「教え」がはびこる裏には、自分の頭で考えることを放棄して、うそ臭い根拠に「あの○○さんがそう言ってるんだから間違いない」みたいにコロッとダマされる、権威に弱く、従順で洗脳されやすい連中が大量にいる、ということがある。
そういうわけで、私はしたり顔で「潜在意識は否定形を理解できない」なんて語る人とは、できるだけお近づきにならないようにしている。もちろん、そういう人が私のほしい知識や技術を持っているなら、その人から学ぶことになるが、その人とはそれ以上関わりたくはない、と思うのだ。
わかりやすく書いてくださってありがとうございます!
本当にその通りだと思います。
否定系が理解できないなら、私は今ごろ億万長者です。
コメントありがとうございます。
>否定系が理解できないなら、私は今ごろ億万長者です。
私も同じです。
「●●しちゃだめだ」「●●な自分から抜け出したい」
といった場合、
●●している自分をとてもリアルにイメージできます。
これは●●しうる自分を認めることになります。
ということは、否定形による言い聞かせでは
セルフイメージは現状と変わりません。
逆に過去の自分の望ましくないイメージを
受け入れてしまっているため、
「失敗をしてしまいがちな自分」というセルフイメージを
さらに強化することになるのではないでしょうか。
潜在意識=セルフイメージに基づいて無意識化で情報の取捨選択を行い、記憶の引き出しや対応(習慣やくせい)プログラムを発動させる存在
とするならば、
「●●するなんて自分らしくないな、むしろありえない」という違和感、●●している自分をまったく想像できない、
という認識状態に書き換える必要が出てきます。
想像できない、は否定形ではなく「無」です。
これが、「否定形は理解できない、」
というよりは「否定形を言い聞かせることで現在の脳の働きを変えることは非効率」
ということになるのではないでしょうか
「潜在意識は否定形を理解できない」
というのは、
潜在意識の働きの基準になる
「臨場感を伴ったセルフイメージ」
には、否定形という文法がもともとない、
あるのは「自分はこういう存在である」という「有」の構文だけ。
というと、シンプルになるかと思います。
コメントいただき、ありがとうございます。
いわゆる「一般にスピ系で教えられていること」を再確認させていただいたような気がします。
ですが、既に様々な脳科学の実験によって人は否定形を潜在意識の中でちゃんと認識できていることは実証されているので、その点を議論することはもう意味がないでしょう。
また
>潜在意識=セルフイメージに基づいて無意識化で情報の取捨選択を行い、記憶の引き出しや対応(習慣やくせい)プログラムを発動させる存在
というunknownさんの潜在意識の定義は一般的な意味の潜在意識の定義とは異なり、失礼ながら、まるで「潜在意識は否定形を理解できない」というテーゼを成り立たせるためのこじつけのように見えます。
数学では、ある定理を成り立たせるために定義を決めていく、というのはしばしば行われることですが、それは数学が純粋に概念だけの世界だから許されること。これは現実世界の話なので、自説を正当化するために勝手に定義を変えるのは本末転倒です。
もちろん、unknownさんが「アファメーションは否定形ではダメだ。否定形でアファメーションしたら、真逆の結果が返ってくる」と考えて、否定形を使わないというのは自由です。unknownさんがそう信じている限りは、それが現実になるのでしょうから(というのがスピ系の教え、ですよね)。
またずっと疑問に思ってることなのですが、もしも否定形でアファメーションしたら、それとは真逆の結果が返ってくる、のでしたら、「金持ちにはなれない」とか「幸福になれない」とアファメーションしていると、金持ちで幸福になってしまう、ということになりますね。でも実際に「金持ちにはなれない」とか「幸福になれない」とアファメーションしたらどういどうなるのでしょうか?
これはあくまで私個人の考えですが、アファメーションは否定形にせず云々といった「言い方の形式」ではなく、その言葉が自分にどんな感情を引き起こすかが大事なのではないか、と。
例えば「金持ちになるぞー、おー!」アファメーションしても、心の底で「そんなの無理に決まってるだろ」という感情が湧いてくるなら、その言葉はマイナスに作用するだろうし、「金持ちにはなれない」とアファメーションすることで、むしろ開き直って変な力みが取れて頑張ろうと思えるなら、それはプラスの効果があるような気がします。