序論に引き続いて、さっそく本論に。
今回のBGMは「般若心経」。
呪法セラピーは、体の問題のある部分に向けてある言葉を送ることで、その状態を改善させる方法である。言葉を送る仕方は、対象となる部分に意識を向けて、ある言葉を繰り返し唱えたり(ここでは必ずしも声に出して唱える必要はない)、その言葉を書いたテープを貼ったり、その言葉を書いた紙を水などに波動転写して飲ませたり、といった方法を用いる。
呪法セラピーは音素療法と同じように言葉や文字を媒介とするが、両者は根本的に異なるものだと考えている。
音素療法とは、ある「もの」や「こと」にはそれに対応する音(おん)がある、というところから出発し、その音を使って体の状態を調べたり、それを治療したりする方法である(と私は理解している)。
例えば私の手持ちの資料では、「ゆ」という音は経絡の中の手の太陰肺経に、「ねるる」という音は漢方の葛根湯に対応する音素、ということになっている。つまり音素療法を使えば、「ゆ」という音を使って肺経が正常かどうか調べたり、「ねるる」という音を使ってその人に葛根湯が効くかどうかを調べることができる。
ここで注意しなければならないのは、「ゆ」や「ねるる」はあくまで肺経や葛根湯に対応する「音」であって、「ゆ」や「ねるる」という言葉が肺経や葛根湯という「意味」を持つのではない、ということ──つまり「日本では肺経を『ゆ』、葛根湯を『ねるる』と呼び習わしてきた」などということはない、ということである。
音素療法で重要なのは、あくまで「音」だけであって、その音が表す言葉の意味は問題にされないのだ。
それに対して、呪法セラピーでは「音」と「意味」の両方が作用する。
例えば、私の採集した言葉のリストの中には「般若心経」が含まれている。ここでは、その「般若心経」の中で実際に臨床でも使ったことのある「色不異空 空不異色」という一節を例に、そのことを考察してみよう。
この「色不異空 空不異色」で、「色(しき)」とは外的世界、外界に存在する「もの」、「空(くう)」とは内的世界、内界に存在する「もの」を意味する、と一般には解釈されるが、術者も患者も別にその本質的な意味を理解している必要はない。呪法セラピーでは、ただ体のある部分に向けて「色不異空 空不異色」と繰り返し唱えたり、「色不異空 空不異色」とテープに書いて貼ったりすれば、それでいい。
では、テープに「色不異空 空不異色」と書く代わりに「シキフイクウ クウフイシキ」と書いたらどうなるか? これは「色不異空 空不異色」と書いた時と同じように効く(100%同じかと聞かれると、その度合いを定量的に測ることができないので何とも言いがたい部分はあるが)。
これは文字を介さず心の中で「色不異空 空不異色」と唱えても効く、ということから考えても理解できる。この場合、文字は消えて「シキフイクウ クウフイシキ」という「音」だけがそこに届くことになるからだ。
では、テープに「色不異空 空不異色」と書く代わりに「式不異空 空不異式」と書いたらどうなるか? これも「音」にすれば「シキフイクウ クウフイシキ」と読むことができるが、効かない。「意味」が変わってしまうからだ。
では、今度は「外界は内界と異ならず 内界は外界と異ならず」と書いたら? それが「色不異空 空不異色」の「意味」だとしても、これもまた効かない。「音」が変わってしまうから。
つまり、呪法セラピーでは「音」と「意味」の両方が揃っている必要がある。言い換えれば、呪法セラピーとは言葉の「音」と「意味」を組み合わせて体に作用させる方法、という言い方もできるだろう。呪法セラピーが音素療法とは異なる理由がそこにある。
というわけで今回はここで終わるが、せっかくなので一言付け加えるなら──治療家やセラピストなら「般若心経」くらいは覚えておきましょうね。
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