2021年夏期のアニメ『Sonny Boy』の放送が、あと1回を残すのみになった。監督は夏目真吾、制作はマッドハウスで、監督自身の脚本によるオリジナル・アニメである。私は毎期、十数本のアニメを見てきているが、この『Sonny Boy』ほど意味不明のアニメはほとんど知らない。この意味不明さの前には、『エヴァ』など幼児向け絵本並みの分かりやすさだ。
実はこの作品、途中で切るつもりだったのだ。録画だけはしていたものの、なかなか見る気が起きず、見たのは4話まで録り溜めた後だった。もちろん事前にPVなどを見て「今期はこれを見よう」と選んだ作品だから、それなりに期待して見始めたものの、2話に至っては眠気をこらえるのが大変で、「ああ、こりゃあもう切るしかないな」と思った。ところが3話を見て、相変わらずのイミフながら、この作品の見方が分かったような気がして、その後はずっと楽しく見続けている。今はむしろ、終わってしまうことが悲しい。
『Sonny Boy』とは、一言で言えば“令和の『漂流教室』”だ。
『漂流教室』は楳図かずおの代表作の1つで、ある小学校が丸ごと異世界に飛ばされてしまう。得体の知れない怪物たちのうごめくその世界を前にして先生たち大人は次々と死に、生き残った児童たちが幾多の困難を乗り越えながら、その世界の秘密に気づき、力強く生き抜いていくという話である。1972~74年に連載されたその『漂流教室』を私はリアルタイムに読んでいたクチだが、今でもほとんど古さを感じることなく読める作品だと思う。
その『漂流教室』が、あの楳図かずおの絵のタッチと相まって、息苦しいまでにグロテスクで絶望的な空気感をまとった作品だったのに対して、この“令和の『漂流教室』”である『Sonny Boy』は、そのタイトル通り、どこまでも明るくポップで透明で、でも底なしの空虚さを漂わせた、「今」という時代の空気感を見事に切り取った作品になっている。
実は夏目真吾は2019年冬期にアニメ『ブギーポップは笑わない』を制作していた。上遠野浩平の原作小説は、那須きのこ、西尾維新などのクリエイターに多大な影響を与えたという伝説的な作品で、アニメ化されるのはこれで2度目となるが、その期の覇権アニメになるのでは、と期待も高かった。ところがいざ蓋を開けてみたら、これが全くの期待外れに終わってしまった。そりゃあそうだ。『ブギーポップ』は20世紀末に当時のオカルト・ブームなどを背景に書かれた作品で、それを2010年代の終わりに見せられても、ただただ場違いなだけだったのだ。だから夏目にとって、この『Sonny Boy』は『ブギーポップ』のリベンジ・マッチというべき作品だったのかもしれない。
それにしても『Sonny Boy』の、「頭では何が言いたいのか分からないのに、体の(あるいは心の)深い部分でははっきり分かる感覚」の何と心地いいことか。この手のアニメでは皆やたらと考察したがるが、『Sonny Boy』に関して言えば考察することに意味はない。それより、このイミフなアニメに自分の中の何かが動くなら、その瞬間をしっかりと捉えることだ。「考えるな、感じろ」というのが、このアニメを見るのに最もふさわしいあり方だと思う。
その心地よさをもっと感じたい。だから私は『Sonny Boy』にdon't say goodbye.
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