Facebookに川村修一先生がアップした症例報告を受けて書いたブログ記事の2回目。一応、『詞(ことば)1』の続き。BGMは前回に引き続き、映画『攻殻機動隊 Ghost in the Shell』OSTから「謡3 Reincarnation」。
川村先生の症例報告は、五十肩をキネシオロジーの筋反射テストで選んだ『随 かんながら 神ー意識の扉を開く鍵ー』(阿部敏郎著、ナチュラルスピリット刊)に載っていた「随神(かんながら)」という詞を朗読してもらって治した、というものだった(実際の詞は次のようなもの)。
<今、ここにいるのは、”私”であって、”私”ではなく、すべての生きとし生ける者としての”我々”なんだ。それも、今、この瞬間に、眼下に拡がる、青い地球に生きるすべての生命、過去に生きたすべての生命、そして、これから生まれてくるであろう、すべての生命を含んだ”我々”なんだ。>
ここ最近わかった(と自分としては思ってる)こととして、
「あらゆるものは情報に還元される」
ということがある。物質も非物質も全て含めて、最終的に行き着くのは「情報」ではないかと。
一般的には「物質」とか「事柄」というものが実体/現実としてまずあって、その付属物というか影として「情報」がある、というふうに考えられているが、それを逆に「情報」の側から見てみると、むしろその「情報」こそが実体/現実で、「物質」とか「事柄」の方が影だと言える。
身体もまた生物学的実体としてじゃなく「情報」構造体として見ると、病とは「情報」の不具合として見ることができ、それを修正、修復することによって生物学的実体の側を変えることができる、と考えられる。
そして言葉/詞とは「情報」の乗り物であり、「情報」の運び手である。
「1」でも私は呪法セラピーと名付けたメソッドを使っていると書いたが、言葉/詞が治療ツールとして使えることは、だから当然のことなのだ。
言葉/詞が運ぶ「情報」は、そこに書かれた詞の「意味」だけではない。「情報」には文字の形もあり、文字列の並びもあり、(朗読するなら)音の響きもあり、このケースではその何が作用したのかはわからない。
けれども、例えばキネシオロジー的に食品や薬を調べる際も、術者も患者もそれがどんなふうに作られ、その中に何が含まれているか知っている必要はない。言葉についても、それと同じことが言える。
キネシオロジーにおける筋反射テストとは、「情報」のマッチングをしているのだと私は考えている。だからキネシオロジーをベースとした治療とは、たとえ外見的には物理的な働きかけをしているものでも、実際に行っているのは「情報」へのアクセスと介入なのだ。
(ただし、そのモノ、コトのどの「情報」にアクセスにアクセスしているのか、術者には知ることができない。
ある程度まで意識的な選択や知識によってアクセスする「情報」をコントロールすることはできるが、そうすると術者の持つ思い込みや偏った?知識によるバイアスの影響を受けやすくなるため、個人的にはあまりやらない方がいいと思う。)
ところで「情報」とは何か? それは別の言葉で言えば「意味」そして「物語」と言い換えることができる。つまり治療とは「その人がモノ、コトに与えた意味、その人の紡ぎ出す物語に介入し、それを書き換える行為」に他ならない。今回の川村先生の症例は、それを「随神」という詞を使って行った、ということなのである。
というわけで、この症例についての私の考察はここで終わるが、「情報」あるいは「意味」、「物語」に介入することのできるツールは別に言葉/詞だけではない。それについて更に知りたい方は、続けて「象徴体系を使った治療システム 4」へとお進みあれ。
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