平成最後の夜である。明日からは令和が始まる。こういう感じは昭和の終わりにはなかったものだ。
昭和から平成への移り変わりは唐突なものだった。
そのずいぶん前から昭和天皇は体調を崩され、ニュースはほぼ毎日、その日の昭和天皇の容態を伝え続けた。何しろもうかなりの高齢だったから、そう遠からず「その日」が来るだろうことは誰もが予想していた(私はその当時、会社員をしていたが、課長級以上には「常に黒の上下を用意しておくように」と会社から通達が出ていたらしい)。
それでも病状は一進一退で、何となく昭和天皇が病で伏せっているということに慣れてしまった状態で年末、年始を迎え、正月気分も抜けつつあった1/7、朝のニュースで、昭和天皇の容態が急変し、慌ただしく病院に向かう皇族方の姿が報じられた。そして昭和天皇の崩御を受けて、テレビに小渕官房長官(当時)が「平成」と書かれた額を掲げ「新しい元号は『平成(へいせい)』であります」と語る、あの有名なシーンが映し出された。
その時、我々は、昭和が昨日で終わり、今日からは平成になったのだ、ということを知ったのである。
とはいえ、明治に制定された「一世一元の制」によって元号の変更は天皇の崩御=死によって行われるものだから、世間にも「ヽ(^◇^*)/ ワーイ、今日から平成だー」みたいな感じはなく、むしろ「天皇が崩御されたのだから当分の間、歌舞音曲は控える」といったことが何となく周りに暗黙の了解としてあったように思う。
テレビでは、どの局も昭和の時代を振り返る特番を流していた(ので、レンタルビデオ店では貸し出しが一気に伸びたらしい)が、そんな中でも当時の日本はバブル経済の上り坂で、多くの人が「平成になっても多分このまま『黄金の国、日本』が続くのだろう」と漠然と思っているような、そんな時代の空気感のせいか、平成は一体どんな時代になるのだろう、ということが真剣に問われていたような記憶はあまりない。
それはまぁともかく、そんなふうに平成はある日、突然始まり、浮かれたようなムードもなく、昭和天皇の大喪の礼などの一連の行事が粛々と進む中、静かに定着していった。
それに対して、天皇の崩御=死ではなく譲位によっる改元は、同じ改元でもそれまでの元号がいきなり断ち切られ、突然否応なく新しい元号に変えられる、といったものでない分、雰囲気が全く違う。天皇が退位する意向を明らかにした時、安倍官邸はそれを阻止しようと様々な画策を行ったようだが、生前退位になったことは結果として非常に良かったのではないだろうか。この改元前夜の祝祭的な雰囲気は、昭和の終わりにはなかったものだから。
さて、私はといえば、平成最後の夜でも特に変わらず、今は笠原乾吉の『複素解析』のp.119を読んでいる。
これ、読み始めてもう3年になるのにまだ半分程度しか進んでいなくて歯がゆいのだが、令和になっても読み続けることになる。今夜のうちにp.120まで進められるといいのだけれど。
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