まずはマクラから。前にも同じようなことを書いたような気がするので、内容がかぶっていたら申し訳ない。(_o_)ペコ
治療において何が本質か?──これについては各人各様の答があると思うが、私は「治療家が身体、あるいは心身というものをどう捉えているか」だと考えている。
例えば「身体とは解剖学、生理学的な物理・化学的実体だ」と捉えれば、身体はそのように感じられるだろうし、「身体とは経絡やチャクラといった形で表されるエネルギー・システムだ」と捉えれば、身体はそのように感じられるだろう。この場合、同じ相手を見て/診ても、両者には全く違ったものとして感じられるはずだ。ただし、それはどちらかが正しく、どちらかが間違っているということではなく、全く違う身体観、あるいは世界観の中でものを見ているから、全く違う形で認識されるというだけのことにすぎない。
私の場合は治療家などという商売をしているが、ある時から自分は人体の解剖、生理などにはとんと興味がないことが分かってしまったため、そういうことを勉強することは止めて、元々関心のあったを数学の概念を身体、あるいは心身を見/診るために使えないか、ということを探っている。
「なぜ数学?」と思われるかもしれないが、例えば数学を使うことで空間構造の定義そのものを変えることができるので、通常のレベルの解剖学、生理学やエネルギー医学的な身体観、世界観では届かないとことに容易に手を伸ばすことができるのだ。
そうした試みのいくつかは、ブログの過去記事を参照されたい。
さて、ここから本論に入るが、そうした数学概念の中で私が特に注目しているものの1つが、複素空間である。ほとんど全ての治療家は身体を実数空間の中でしか捉えることをしていないし、捉えることができないが、それを虚数までを含んだ複素空間で捉えることによって、実数空間の中では見えなかったものが見えてくるからである。
それだけでも十分すぎるほどの情報の開示だと思うが、これも過去に記事の中で書いたことでもあるので、今回はその先に進もう。
『複素解析』(ちくま学芸文庫、笠原乾吉)の中の
(複素空間における)1次変換は複素平面Cではなくてリーマン球面Pで考察すべきであり、C上の円周はP上の円周に、C上の直線はP上の∞を通る円周に対応する。
という下りを読んでいた時に思いついたことだ。
「(*゚ロ゚)ハッ!!、身体を複素空間として捉えるのに今までは複素平面Cを使っていたが、リーマン球面Pに変えてみたらいいんじゃね?」
どういうことか説明しよう。なお、ここでは1次元の複素空間のみを考える。
複素数zは、z=x + iy(iは虚数単位)という形で記述されるので、1次元の複素空間は2次元の実平面に対応する。そこでそれを以下、複素平面と呼ぶことにするが、その複素平面(あるいは2次元実平面)は球面と一対一に対応させることができる。
それには添付した写真のように、原点の上に球面を置いてその球の最上端につけたライトを点灯すると、その球面の最上端の1点を除く全体が平面上に映し出される。こうして両者の間に一対一の写像が設定できるわけだ。
ところで上で球面の最上端の1点を除いたが、その理由はこの1点の像を映し出す光は平面と平行になってしまうので、平面とは交わらないためである。交わるとしたら無限の彼方だ。なので便宜上、複素平面に∞という点を追加して「この光は平面上の無限大のところで像を結ぶ」ということにしてしまうと、球面全体に対して{∞}を加えた平面が一対一に対応することになる。つまり、複素平面をC、この球面をPとすると、
P=C∪{∞}
という関係になるのだ。そしてこの球面Pのことをリーマン球面と呼ぶ(ちなみにPは射影空間 projective spaceの意味)。
複素平面というものがあるのに、なぜわざわざこんなものを設定するのかというと、数学的な都合としてはCよりPで考えた方が、複素解析の定理の中に圧倒的に美しくなるものがあるから。だが、私が身体を複素空間で捉えるのにCよりPを使ったらいいんじゃないかと考えた理由は、そこではなく単純に
Pを使うことによって無限遠点が手に入るから
というところにある。上にも述べたように、Pには概念としてではなくその中の具体的な1点として無限遠点が含まれている。だから身体をPとして捉えることで、ごく当然に無限遠点まで含めたパースペクティヴを持つことができるということなのだ。
実際のところ、それが何を意味するのか現時点では分かっていない。ただCで捉えた時より検出できる問題の範囲が広がっているのは確かなようである。
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