2カ月ほど前だったか、クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)で患者の頭をホールドしていると、頭の中に「青」というイメージが浮かんだ。最初は気のせいかと思ったが、そのイメージは消えることなく、しつこく頭の中にあるため、シミュレーションのように、頭をホールドしながら患者に向けて、その現れたイメージを送ってみると、ホールドしている自分の手に感じられるもの──それはクラニオでタイド(潮流)と呼ばれているもの、を含む諸々──が変化した(それも、いい方向に)。そこで患者に、「自分の体の意識を向けている部分に、「青」という言葉から思いつくイメージを送ってみて下さい」と頼んだ。「それは“青”という文字の形かもしれないし、“あお”という音の響きかもしれないし、具体的な何かかもしれないけど、自分がそこから思いつく何かのイメージを」と。すると、それによって体の症状が大きく改善した。
それ以来、特にクラニオをしている最中、時々頭の中にあるイメージが浮かぶことがある。それは「青」だったり「山」だったり「雨」だったり、と一貫したものではないのだが、イメージが浮かんだら、上に書いたようにまず自分でシミュレーションしてみて、改善が感じられるようなら、患者に実際にやってもらう。これまでのところ、100%ではないが、よい結果が出ることが多い。
時には複数のイメージが現れることもある。ある患者にクラニオを行っていたら、最初「海草」が現れ、その後「海老」が現れた。患者には最初、それらのイメージをバラバラに体に送ってみてもらったのだが、あまりいい変化が現れなかったため、ふと(いたずら心もあって
)一計を案じて「海老天、ワカメの味噌汁付き」のイメージを送ってもらったら、腰から「それ食べたかったー
」という答が返ってきたという。私自身も自分の体で練習していて、「白」と「黄色」のイメージが続けて現れた時、思いつきで「ゆで卵」のイメージを体に送ったら、ある部分の重さがフッと取れたことがあった(だからといって、何でも食べ物にすればいいわけではないと思うが)。
もちろんこれ自体は、よくあるイメージ・ワークのバリエーションの一つに過ぎない。ただ、世にあるイメージ・ワークの多くが、
・癌細胞を攻撃しているところを想像させる。
・治って元気になった自分の姿を想像させる。
というような、アクティヴなものであるのに対して、ここでやっているのは、もっとニュートラルなイメージを使ったスタティックなものである。そして今度のことで、そんなスタティックなイメージでも、適切なイメージを見つけ出すことさえできれば、体から十分な反応を引き出すことができる、ということがわかった。
更に言えば、こうしたニュートラルなイメージによるスタティックなイメージ・ワークには、アクティヴなイメージ・ワークにはないメリットがある。それは、潜在意識の中にマイナス方向のイメージを作り出すリスクが極めて少ない、というメリットである。
例えば「癌細胞を攻撃しているところを想像させる」イメージ・ワークは効果的であることが知られているが、しかし同時に、それによって最終的に癌を克服したケースは非常に少ない。何故か? 一つには、長期間に渡って継続的に質の高いイメージを持ち続けることが難しいことがあるが、もう一つ、「これで治らなかったどうしよう」「こんなことしていても無駄じゃないのか」といった、マイナス方向のイメージが潜在意識の中に生まれてしまうことも理由としてあるのではないか、と私は思っている。つまり、顕在意識で「プラス方向に頑張ろう」と思えば思うほど、恐れとしての影の部分が潜在意識の中で強くなり、アクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態になって失速してしまうのである。
それに対して、「青」、「山」、「雨」、「海草」といったニュートラルなイメージは、それ自体プラスでもマイナスでもない。“ただのもの”としてのイメージしかないから、気持ちを前向きに活性化することがない代わりに、影を生み出すこともない。その分、体が用意している鍵穴にピッタリ適合する鍵を見つけ出すことができさえすれば、ごく自然に扉は開くのである。問題は、そうした鍵を見つけ出すことができるか、だ。
いや、問題設定が間違っているかもしれない。
鍵は既に患者が“知って”いるのだから、施術者が“見つけ出す”必要はない──というより、そもそも“見つけ出”そうなどとしてはいけないのかもしれない。答は患者が“知って”いるのだから、施術者はそれをだた“教えてもらう”だけの人でいいのだ。そう、施術者自身が「ニュートラルでスタティック」な存在となって。それがつまり、クラニオで言うdoing non-doing(無為の為=何もしない、ということをする)ということなのかもしれない。
それ以来、特にクラニオをしている最中、時々頭の中にあるイメージが浮かぶことがある。それは「青」だったり「山」だったり「雨」だったり、と一貫したものではないのだが、イメージが浮かんだら、上に書いたようにまず自分でシミュレーションしてみて、改善が感じられるようなら、患者に実際にやってもらう。これまでのところ、100%ではないが、よい結果が出ることが多い。
時には複数のイメージが現れることもある。ある患者にクラニオを行っていたら、最初「海草」が現れ、その後「海老」が現れた。患者には最初、それらのイメージをバラバラに体に送ってみてもらったのだが、あまりいい変化が現れなかったため、ふと(いたずら心もあって
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もちろんこれ自体は、よくあるイメージ・ワークのバリエーションの一つに過ぎない。ただ、世にあるイメージ・ワークの多くが、
・癌細胞を攻撃しているところを想像させる。
・治って元気になった自分の姿を想像させる。
というような、アクティヴなものであるのに対して、ここでやっているのは、もっとニュートラルなイメージを使ったスタティックなものである。そして今度のことで、そんなスタティックなイメージでも、適切なイメージを見つけ出すことさえできれば、体から十分な反応を引き出すことができる、ということがわかった。
更に言えば、こうしたニュートラルなイメージによるスタティックなイメージ・ワークには、アクティヴなイメージ・ワークにはないメリットがある。それは、潜在意識の中にマイナス方向のイメージを作り出すリスクが極めて少ない、というメリットである。
例えば「癌細胞を攻撃しているところを想像させる」イメージ・ワークは効果的であることが知られているが、しかし同時に、それによって最終的に癌を克服したケースは非常に少ない。何故か? 一つには、長期間に渡って継続的に質の高いイメージを持ち続けることが難しいことがあるが、もう一つ、「これで治らなかったどうしよう」「こんなことしていても無駄じゃないのか」といった、マイナス方向のイメージが潜在意識の中に生まれてしまうことも理由としてあるのではないか、と私は思っている。つまり、顕在意識で「プラス方向に頑張ろう」と思えば思うほど、恐れとしての影の部分が潜在意識の中で強くなり、アクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態になって失速してしまうのである。
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それに対して、「青」、「山」、「雨」、「海草」といったニュートラルなイメージは、それ自体プラスでもマイナスでもない。“ただのもの”としてのイメージしかないから、気持ちを前向きに活性化することがない代わりに、影を生み出すこともない。その分、体が用意している鍵穴にピッタリ適合する鍵を見つけ出すことができさえすれば、ごく自然に扉は開くのである。問題は、そうした鍵を見つけ出すことができるか、だ。
いや、問題設定が間違っているかもしれない。
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