東ちづるが読売新聞のヨミドクターに書いた、「「99%良性」のはずが…退院2日後、担当医からの連絡に「残りの1%だったか」」という記事を見て、なぜかふとスピ系などで言われる「心配事の9割は起こらない」という言葉が頭に浮かんだ。
この言葉についてネットでは、最近、アメリカのペンシルベニア大学が公表した研究結果が引き合いに出されている。その元記事は見ていないが、プレジデントオンラインに、その研究結果を受けて明治大学法学部教授の堀田秀吾という人が書いた、「科学が証明、「不安だ」を「〇〇している」に言い換えるだけで実力が3割増しになる」という記事が出ていて、その冒頭で、堀田氏は
ペンシルバニア大学のボルコヴェックらの研究によると、心配事の79パーセントは実際には起こらず、しかも、残りの21パーセントのうち、16パーセントの出来事は、事前に準備をしていれば対処が可能。つまり、心配事が現実化するのは、たった5パーセント程度という結果を導き出しました。
と述べている。
ペンシルベニア大学が実際にどのような調査研究に基づいてこのような結論を導いたのかは不明だが、この結論だけを素直に受け取るならば、「心配事の9割は起こらない」という巷間語られている言説はほぼ正しい、と言えるのだろう。
けれども──と私は思ってしまう。東日本大震災も新型コロナ・パンデミックも起こったではないか、と。
例えば東日本大震災。過去に何度も津波の被害を経験してきた田老町は世界にもほとんど例を見ない長大な二重の防潮堤を備えてきた。にもかかわらず先の震災の津波は想定を遙かに上回り、町は壊滅的な被害を受けた。それに、かねてから地震では家屋の倒壊、火災、津波といったことは想定されていたが、原発のメルトダウン事故などほとんど誰も想像していなかったのではないか。
新型コロナにしても、日本ではニュースで「武漢で新型肺炎の患者が出ている」という報じられたそれが2021年11月11日現在、累計で感染者2億5千万人超、死者506万人超に達する世界的なパンデミックを引き起すことになるとは、大多数の人にとって思ってもいなかったことだろう。
これらをどう考えればいいのだろう。それとも、こういうことは例外中の例外であって、考える必要はないのか?
まず前提として「心配事の9割は起こらない」というのは正しい(とする)。問題はそれが何を意味するか、だ。
これはスピ系では「だから心配なんかしなくて大丈夫。あなたは無用な心配など手放して、自由に幸せに生きなさい」という意味に取るのだろう。
だが私の考えはこうだ。
「心配事の9割は起こらない。だから心配することに、ほとんど意味はない。なぜなら運命を変えてしまうような本当に破壊的な災厄は、その大半は心配することすらなかった『想定の範囲の外』からやって来るからだ。」
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