大晦日、雪の日。初老の夫婦が夜、お茶の準備をしていると、そこに見知らぬ女が現れる──。
今回のBGMは『空(から)の境界』の第7章『殺人考察(後)』のOSTから(ちなみに2曲入っている)。
叔父が亡くなった。いや、正しくは叔父ではない。私の祖父の弟の息子。父とは従兄弟同士に当たる、その人が。
この間、帰省した時、母から「今、入院しているが、もう長くないらしい。すぐにでも(亡くなったという)知らせが来るかもしれない」と。で、母からは「私は(目の手術をしたばかりなので)遠出は難しいから、もし何かあったら代わりにお前が行くように」というお達しも受けていた。
先方から「亡くなった」という電話があったのは9日の夜。通夜が11日、葬儀が12日。12日の土曜日は仕事で出られない。「(建国記念日の)11日の通夜だけ出る」と先方には話した。しかし懸念が2つ。
1つはその日、関東は平野部でも大雪になるかもしれないと予報されていたこと。もう1つは、その日はMODEの舞台『マッチ売りの少女』を観に行くことになっていたこと。
舞台は高円寺で15:00から。通常、芝居の上演時間は2時間くらい。『マッチ売りの少女』が極端に長い舞台でなければ、18:00から聖蹟桜ヶ丘で行われる通夜にはギリギリ間に合う。そう、雪で電車が止まったりしなければ──。
11日、草加では予報通り朝から雪。ただ幸いなことに昼になっても積もってはいなかった。
黒の3ピースを出して、肩の部分のホコリを払って着る。大学4年の時に買ったものが今でも全く問題なく着られるのはうれしい。ただ、以前はベルトをしないと少しゆるかったズボンが、今回はベルトなしでピッタリだ。やはり少し太ったか。それにしても、こんな格好で芝居を観に行くことになるとは…。さすがに黒のネクタイはまだ着けないことにした。そして、その上からトレンチコートを羽織る。普段はもうこんな格好をすることはないないので、なんか重い。もうサラリーマンにはなれないな、とつくづく思った。
そして雪の降る中を出発。いつも持っているカバンで行くわけにもいかないので、手持ちの小型バッグにして、容量が小さいので、そこに入りきらないものは分散してポケットに。そして傘。これで両手がふさがってしまうのでとても不便。せめて傘がなければ、もう少しよかったのだが。つい最近まで関東は全く雨が降らずカラカラ天気が続いていたというのに。「叔父貴よぅ、何もこんな日を選んで死ななくても…」と何度か思った。
途中で昼食を食べていく予定だったが、準備に予想外に時間がかかってしまい、コンビニで買ったスイーツ1個が昼食代わり。例によって劇場がすぐには見つからずアタフタしたものの、14:40頃どうにか辿り着いた。
『マッチ売りの少女』は第13回岸田國士戯曲賞を受賞した、別役実の代表作の1つとも呼ばれる作品なので、ゼヒ観たかった。
これは奇妙な不条理劇だ。
大晦日、雪の日。初老の夫婦が夜、お茶の準備をしていると、そこに見知らぬ女が現れる。市役所で聞いて来たのだと。老夫婦は女を招じ入れながら、自分たちがいかに無害で模範的に穏やかに慎ましく暮らしているかということを女に向かって念を押すように語り、そして女にお茶とお菓子を振る舞う。
やがて女は老夫婦に告げる、「私、あなた方の娘です」と。
老夫婦には娘がいた。しかし、その娘は幼くして電車事故で亡くなっていた。夫は目の前でその事故を目撃している。娘は確かに死んだ。しかし、そんな反論も意に介さず、女は言うのだ、「私、あなた方の娘です」。
そして、その女の弟だという男まで現れて──。
アンデルセン童話『マッチ売りの少女』をモチーフにしているが、そこに描かれる物語は何とも言えないグロテスクな肌合いを持っている。物語の中心となる謎は、あの姉弟だと名乗る2人は誰なのかといういことだが、それだけでなく、あの老夫婦自体、女の「市役所から…」という言葉に過剰に反応し、しきりに自分たちを弁明しようとするなど、言動がおかしい。一見すると姉弟だと名乗る2人が嘘をついて老夫婦の家に入り込んできたように見えるが、少しずつ誰が真実を語っているのか、誰の言葉が信用できるのか、わからなくなっていく。
最近、京極夏彦の『塗仏の宴(ぬりぼとけのうたげ)』を読み返したのだが、村が1つ忽然と消失したという話から始まる、この物語の1つのテーマは「歴史とは記憶である」あるいは「歴史とは記憶でしかない」ということだ。歴史とは確固として「ある」のではなく、記憶を通じて「作られる」あるいは「再生産される」ものでしかない。だとしたら、「確かな真実」とはどこにあるのだろう。
『マッチ売りの少女』の上演時間は約1時間半。少しだけ余裕があったので高円寺の駅のパン屋に入ってパンを1個買い、中の喫茶コーナーでパンを食べながら途中で買った香典袋に名前を書いてお金を入れ、黒ネクタイを締め、新宿を経由して聖蹟桜ヶ丘へ。雪は相変わらず止む気配なし。しかし幸いにも、電車は通常通り。
観蔵院に着いたのはほぼ18:00ちょうど。通夜の法要が始まる直前だった。親戚たちの方の席へ。知っている顔も、知らない顔も。見知った人はずいぶん年を取ったなー。お棺に入った叔父の遺体は、何だか蝋人形を見ているようだった。生前の面影があまり感じられなかったのは、最後に会ったのが8年前(父の葬儀の時)だったからか。
19:00、法要は無事に終わり、別室で食事。初めて見る人の隣に座り、ビールをついでもらい、寿司と煮物をパクつく。ただ黙って食べてるのもナンなので、ちょっと話をする。「故人の父親の兄が私の祖父だ」と言うと、「あぁ“おじいちゃん”知ってるよ」と(ちなみに祖父が死んだのは25年以上前のことだ)。治療院をやっていると聞いたらテーブルにいた人たちが興味を示してきたので、名刺を渡しておいた。同じ埼玉住在だがふじみ野だということなので、来てくれるかどうかはわからないが、一応、顔つなぎだ。
20:00、遺族に挨拶してそこを辞去。その時間になっても、やはり雪は降り続いていた。
雪が止んだのは夜遅くなってからだった──。
今回のBGMは『空(から)の境界』の第7章『殺人考察(後)』のOSTから(ちなみに2曲入っている)。
叔父が亡くなった。いや、正しくは叔父ではない。私の祖父の弟の息子。父とは従兄弟同士に当たる、その人が。
この間、帰省した時、母から「今、入院しているが、もう長くないらしい。すぐにでも(亡くなったという)知らせが来るかもしれない」と。で、母からは「私は(目の手術をしたばかりなので)遠出は難しいから、もし何かあったら代わりにお前が行くように」というお達しも受けていた。
先方から「亡くなった」という電話があったのは9日の夜。通夜が11日、葬儀が12日。12日の土曜日は仕事で出られない。「(建国記念日の)11日の通夜だけ出る」と先方には話した。しかし懸念が2つ。
1つはその日、関東は平野部でも大雪になるかもしれないと予報されていたこと。もう1つは、その日はMODEの舞台『マッチ売りの少女』を観に行くことになっていたこと。
舞台は高円寺で15:00から。通常、芝居の上演時間は2時間くらい。『マッチ売りの少女』が極端に長い舞台でなければ、18:00から聖蹟桜ヶ丘で行われる通夜にはギリギリ間に合う。そう、雪で電車が止まったりしなければ──。
11日、草加では予報通り朝から雪。ただ幸いなことに昼になっても積もってはいなかった。
黒の3ピースを出して、肩の部分のホコリを払って着る。大学4年の時に買ったものが今でも全く問題なく着られるのはうれしい。ただ、以前はベルトをしないと少しゆるかったズボンが、今回はベルトなしでピッタリだ。やはり少し太ったか。それにしても、こんな格好で芝居を観に行くことになるとは…。さすがに黒のネクタイはまだ着けないことにした。そして、その上からトレンチコートを羽織る。普段はもうこんな格好をすることはないないので、なんか重い。もうサラリーマンにはなれないな、とつくづく思った。
そして雪の降る中を出発。いつも持っているカバンで行くわけにもいかないので、手持ちの小型バッグにして、容量が小さいので、そこに入りきらないものは分散してポケットに。そして傘。これで両手がふさがってしまうのでとても不便。せめて傘がなければ、もう少しよかったのだが。つい最近まで関東は全く雨が降らずカラカラ天気が続いていたというのに。「叔父貴よぅ、何もこんな日を選んで死ななくても…」と何度か思った。
途中で昼食を食べていく予定だったが、準備に予想外に時間がかかってしまい、コンビニで買ったスイーツ1個が昼食代わり。例によって劇場がすぐには見つからずアタフタしたものの、14:40頃どうにか辿り着いた。
『マッチ売りの少女』は第13回岸田國士戯曲賞を受賞した、別役実の代表作の1つとも呼ばれる作品なので、ゼヒ観たかった。
これは奇妙な不条理劇だ。
大晦日、雪の日。初老の夫婦が夜、お茶の準備をしていると、そこに見知らぬ女が現れる。市役所で聞いて来たのだと。老夫婦は女を招じ入れながら、自分たちがいかに無害で模範的に穏やかに慎ましく暮らしているかということを女に向かって念を押すように語り、そして女にお茶とお菓子を振る舞う。
やがて女は老夫婦に告げる、「私、あなた方の娘です」と。
老夫婦には娘がいた。しかし、その娘は幼くして電車事故で亡くなっていた。夫は目の前でその事故を目撃している。娘は確かに死んだ。しかし、そんな反論も意に介さず、女は言うのだ、「私、あなた方の娘です」。
そして、その女の弟だという男まで現れて──。
アンデルセン童話『マッチ売りの少女』をモチーフにしているが、そこに描かれる物語は何とも言えないグロテスクな肌合いを持っている。物語の中心となる謎は、あの姉弟だと名乗る2人は誰なのかといういことだが、それだけでなく、あの老夫婦自体、女の「市役所から…」という言葉に過剰に反応し、しきりに自分たちを弁明しようとするなど、言動がおかしい。一見すると姉弟だと名乗る2人が嘘をついて老夫婦の家に入り込んできたように見えるが、少しずつ誰が真実を語っているのか、誰の言葉が信用できるのか、わからなくなっていく。
最近、京極夏彦の『塗仏の宴(ぬりぼとけのうたげ)』を読み返したのだが、村が1つ忽然と消失したという話から始まる、この物語の1つのテーマは「歴史とは記憶である」あるいは「歴史とは記憶でしかない」ということだ。歴史とは確固として「ある」のではなく、記憶を通じて「作られる」あるいは「再生産される」ものでしかない。だとしたら、「確かな真実」とはどこにあるのだろう。
『マッチ売りの少女』の上演時間は約1時間半。少しだけ余裕があったので高円寺の駅のパン屋に入ってパンを1個買い、中の喫茶コーナーでパンを食べながら途中で買った香典袋に名前を書いてお金を入れ、黒ネクタイを締め、新宿を経由して聖蹟桜ヶ丘へ。雪は相変わらず止む気配なし。しかし幸いにも、電車は通常通り。
観蔵院に着いたのはほぼ18:00ちょうど。通夜の法要が始まる直前だった。親戚たちの方の席へ。知っている顔も、知らない顔も。見知った人はずいぶん年を取ったなー。お棺に入った叔父の遺体は、何だか蝋人形を見ているようだった。生前の面影があまり感じられなかったのは、最後に会ったのが8年前(父の葬儀の時)だったからか。
19:00、法要は無事に終わり、別室で食事。初めて見る人の隣に座り、ビールをついでもらい、寿司と煮物をパクつく。ただ黙って食べてるのもナンなので、ちょっと話をする。「故人の父親の兄が私の祖父だ」と言うと、「あぁ“おじいちゃん”知ってるよ」と(ちなみに祖父が死んだのは25年以上前のことだ)。治療院をやっていると聞いたらテーブルにいた人たちが興味を示してきたので、名刺を渡しておいた。同じ埼玉住在だがふじみ野だということなので、来てくれるかどうかはわからないが、一応、顔つなぎだ。
20:00、遺族に挨拶してそこを辞去。その時間になっても、やはり雪は降り続いていた。
雪が止んだのは夜遅くなってからだった──。
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