キネシオロジーの話をしよう。
今までも、このブログでは散々キネシオロジーについて書いてきたから、今更、大上段に「キネシオロジーの話をしよう」なんていうのも変は変なんだけど、一応ここで今、自分が考えていることをまとめておくのもいいだろう。
で、キネシオロジーとは何か、ということに今、自分が答えるとしたら──
キネシオロジーとは、天空から俯瞰するように視野を最大化する技術である
──という答になるだろうか。
BGMはアニメ『進撃の巨人』第2期OPの「自由の翼」だ。TV ver.なので1分半と短いけど、今回は記事も短いので、却っていいだろう。消されてしまっていたらスマン。
7/12、左後頭部から左目にかけての痛みに近いような強い違和感が再発し、前にも書いたように仕事がヒマなので、使えるほとんど全ての時間をその治療のために充てた。
この症状、直接的には左椎骨動脈から来ていると思われるが、ホントなら「そんな症状も、この私の治療で即座に消えました」と報告したいところだが、もちろんそんなことはなくて、かなり苦労して何とか症状を抑え込んだというのが正直なところ。
私の場合、祖父が脳梗塞、父は眼底出血で片目がほとんど失明状態になり、叔父(父の弟)が脳幹梗塞と、脳血管疾患の家族歴があるので、脳関係は本当に怖い。だから定期的に検診を受けるようにするべきなのだろうが、会社を辞めてからここ15年くらい、検診など一度も受けたことがない。
長倉顕太さん的に「この腐った医療システムに戦いを挑んでいる」とかいう明確なポリシーがあるわけではないが、医療機関を受診したくないので、できるだけ自力で何とかしようとしているわけ。一応、治療家を名乗ってもいるし。
とはいえ、普通に治療した程度では症状は改善しやしない。
自己責任で病院にも行かず、自分で自分を治療しているワケだから、一切の誤魔化しも言い訳も通用しないし、失敗しても誰のせいにもできない。体に聞くと「病院に行け」と答が返ってくるし、今度という今度は本当にヤバイんじゃないだろうか…。
そんな状態で痛感したのが、いかに広い視野から多くの視点(切り口)を持てるかが死命を制することがある、ということ。
どんな治療を行っていても、いつも同じ固定化した視点からしか見られないなら、いつかは行き詰まりを起こす。そんな時、私に新しい視点へのアイディアをもたらしてくれるのがキネシオロジーなのだ。
これまでの例で言えば、肉体レベルだけでなくエネルギー体レベルまで診る、とか、現時点の状態だけでなく過去からの時間経過に伴う変化を診る、とか。また今回に関しては、仮想的な3次元のさまざまな面で切った(文字通りの意味の)切り口を全部調べる、とか。
他の人たちがキネシオロジーをどんなふうにとらえ、どう使っているか私は知らないが、私にとってキネシオロジーとは、まさに最初に述べたように、視野を最大化して、そこから無限のバリエーションを持った視点を抽出するためのツールに他ならない。
そして、それがもたらす最大の恩恵は、多分「自由さ」だ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます