「3」までは主に象徴体系を使った治療システムの構成について書いてきた。もちろん、このシステムはこれで完成したわけではないから、この先もシステムの枠組みそのものが壊れるような事態も含めて何が起こるかわからない。そうなったらそうなったで、またブログのネタとして使うつもりなので、お楽しみに。
で、一応このシリーズの最後となる今回は、そもそもなぜ象徴体系が治療ツールとして使えるのか、について述べておきたい。
なぜ象徴体系が治療ツールとして使えるのか?──それは象徴体系が「重層化された意味の体系」にほかならないからである。
私は以前「ものがたり」という記事の中で、
──「病気とは物語」なのだ。
おのころ心平さんは
病気は決してマイナスではなく、むしろ病気やカラダの不調は、その人の「いまだ発現されていない才能」とみることができる
という考えから、『病気は才能』という本を書いたが、私はむしろ「病気はその人の物語の所産」と見る。
とすると、治療とはその人の物語に介入する行為、に他ならない。
と書いた。
では、その「物語」とは何かといえば、それは「意味」あるいは「意味づけ」である。何かの出来事から、その人なりの仕方でその「意味」を抽出して、それらをその人なりの仕方で関連づけたもの──それがその人の持つ「物語」だ。
周囲に起こる変化に何らかの意味を見い出し、それらを関連づけて次の変化を予測し、それに備える、という仕組みは生物が進化の過程で習得したもので、それを人間も受け継いでいる。だから、こうした「物語」も本人が望むと望まざるとにかかわらず構築され、蓄積されていく。
ただ人の場合、「意味」は「言葉」によってもたらされることも多い。カウンセリングやコーチングといったメソッドは、「言葉」の持つ「意味」によって、クライエントの「物語」=「意味」に介入し、そこに揺さぶりをかけるものだと考えることができる。
時々、「私のカウンセリングやコーチングは医療・健康系ではないのに、それを受けたら今までずっと治らなかった持病が良くなった/治った、という声を頂いてます」みたいなことをメルマガやブログで書いている人がいるが、それも上記のことを考えれば別に不思議でも何でもないことがわかる。
もちろん、カウンセラーやコーチといっても個々の技量には大きな差があるので、全員が全員、クライエントにそうした結果を出せるわけではないのは言うまでもない。
それに対して象徴体系を使った治療システムとは、「言葉」という媒介なしに「意味」そのものをもって、患者の「物語」=「意味」に介入するものだ。それが可能なのは上に述べたように、象徴体系が「重層化された意味の体系」にほかならないからである。
しかも象徴体系が表す「意味の体系」は、辞書のような網羅的で平板なものとは違う。人間が長い年月をかけて構築してきた、この世界の成り立ちとありようを仮想的に写し取った、「この世界そのものの写し」だ。
象徴体系が治療ツールとして機能する理由は、ここにある。
そして1の中で私は、自分が作る新しい治療システムのコンセプトの中に
・この世界のありようを精密に映しだしたものであること
と書いたが、それはこういう意味だったのだ。
お分かりいただけたかな?
では、アニメ『物語』シリーズ・ファーストシーズンのEDだった「君の知らない物語」とともに、このシリーズを終わりにしよう。
風邪もひけない身体なんぞ不健康、という内容だったかな?(うろ覚えでスイマセン)
病気は病気で役割があって、だから病むべき時には病むのが正しい、のかもしれません。