『宮廷女官チャングムの誓い』も後半の医女編になって、韓方医学(漢方医学が朝鮮半島に入って変化したもの)による診断、治療の様子などが前面に描かれるようになった。今の韓国の医療事情については、私は全く知らないが、日本の医療事情を重ねてみると、現代の西洋医学的な医療に対する強烈なアンチ・テーゼとも思えるエピソードがあって、なかなか面白い。
特に私が興味深かったのが、『うぬぼれ』という回のエピソード。
権力闘争による策謀に巻き込まれて宮中を追放され、の身分に落ちたチャングムは、再び宮中に戻るために医女となることを決意し、医女試験を受けて合格。医女養成校での半年間の修行に入る。そこでの実習で、チャングムともう1人の学生が指導教授から、3人の患者を診て診断を下し処方を決定せよ、という課題を出される。
患者1と患者2は非常によく似た症状だが、患者3の症状は他の2人とは異なる。チャングムはその課題に即座に答えることができたが、もう1人の学生は答えられない。教授が「診断と処方を出すのに、どのくらいかかるか」と尋ねると、その学生は「10日かかる」と。その答を聞いた教授は、チャングムに「ではそれまで、お前は患者の世話をしろ」と言って去る。
…と、ここまでで、先の展開は読めるだろう。患者1と2の一見よく似た症状は、実は異なる原因によって起こっていたのであり、患者1と3の一見異なる症状が、同じ原因によって起こっていたものだったのだ。数日、患者の世話をしながら、もう1人の学生がする問診を聞いていたチャングムは、自分が表面的な症状しか診ていなかったために、間違った診断・処方をしていたことに気づく、という話だ。
つまり、同じ病気のように見える患者1と2には異なる治療を、また異なった病気のように見える患者1と3には同じ治療を行わなければならないのである。そして、このエピソードこそ、私が鍼灸学校の時代に繰り返し言われてきた同病異治・異病同治という考え方そのものである。
もちろん、西洋医学が表面的な症状だけ診て、患者の体質や生活習慣を無視している、というわけではないし、東洋医学でも症状は診断・治療に当たっての重要な要素である。要は、1つのものをどのような角度から視るか、という視点の違いなのだが、一般的に患者1人ひとりに十分な時間をかけられる、東洋医学的な治療に比べて、3分診療と揶揄される病院での西洋医学的な治療は、やはり表面的な症状から機械的に病名を当てはめてしまわざるを得ないのが実情ではないかと思う。
4年ほど前に朝日新聞で、「3分の診療で何がわかるのか」という投書に対して、ある医師が「診療は3分あれば十分」と投書で答えていたのが印象に残っている。その医師の、あまりにも迷いのない真っ直ぐな答に、「これって、もしかしてネタ?」と思ってしまったほど。
私も医師ではないが、治療院で治療をやっている身として、「全ての患者の治療を3分で終えよ」と言われたら、今やっている治療では絶対に無理。もし、そうしようとしたら…
脚のしびれ → ヘルニアによる座骨神経症
急性腰痛 → 無理な動作をしようとしたことによるギックリ腰
高齢者の膝痛 → 老化による退行性変成
…などと、症状と病名を機械的に結びつけ、(ほとんどの場合、気休めにしかならない)湿布でも貼って終わらせるしかないだろう。
では、どうしたら西洋医学でも「表面的な症状にとらわれずに、その裏にある真の原因を見定める」治療ができるのか? 1つの方策は、ガンや心臓疾患、脳疾患など、重篤な疾患に限って保険が使えるようにし、それ以外は自由診療を基本として「簡単には病院で診てもらうことができない」仕組みにしていくことである(実際には、「医療の質を高めるため」ではなく「医療費の伸びを抑えるため」に、徐々にではあるが、こういう方向に進みつつあるのは皮肉なことだ)。そう…悲しいかな、同病異治・異病同治といった医療は、高い地位にある人だけが十分な医療を受けられた時代のものなのである。
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