日本橋で映画『ファルコン・レイク』を見てきた。公開から日が経ってしまったせいで、上映が朝9:00の回のみになってしまい、行こうか行くまいか迷ったのだが、このところ朝、妙に早く目が覚めてしまうため、何かが私に「行け」と言ってるのだろうと解釈して、朝飯もそこそこに終わらせて7時台に家を出た。
映画の中ではあまり細かい状況設定が語られないので、公式サイトからの引用になるが、
もうすぐ14歳になる少年バスティアンは、母の友人ルイーズのもとでひと夏を過ごすため、家族でフランスからカナダ・ケベックの湖畔にあるコテージを訪れる。森、湖、深い自然に囲まれて過ごす数日間。メランコリックで大人びた雰囲気の3つ年上のルイーズの娘・クロエに惹かれていくバスティアンは、彼女を振り向かせるため幽霊が出るという湖へ泳ぎに行くが──。
14歳を迎える少年と16歳の少女。子どもに戻ることも大人になりきることもできない2人が初めて感じる、特別な絆と感情。刻々と変化する、人生で1度しか訪れない “トワイライトゾーン” を16mmフィルムならではの親密な映像美で映し出す。
で、公開されている予告はこんな感じ。
だが『ファルコン・レイク』は決して“ボーイ・ミーツ・ガールから始まる青春キラキラ物語”ではなく、そこにはもっと“得体の知れない何か”がある。
実際、物語の舞台となるケベックの湖畔やコテージには多くの“死”のメタファーが埋め込まれている。例えば、映画冒頭の湖の風景の中には溺死体を思わせるものが映っているし(ただ、それが何かはすぐ分かるのだが)、コテージのバスティアンとクロエの部屋には映画『サイコ』のポスターが貼ってあり、また全編を通じて頻繁に蠅の羽音が聞こえる。それらはかすかな“死”の匂いを漂わせつつも日常に溶け込んでいて、決してそれ以上のものにはならない。が、夏を過ごしに湖畔に集う10代の少年、少女たちの周りにいくつもの“死”の影がボンヤリ見え隠れしている、というのは非常に示唆的である。
そうしてみると、『ファルコン・レイク』はどこか“死”に魅入られてしまった少年と少女の物語、と見ることもできる。それは彼らの思春期特有の不安の反映でもあるが、それだけではない。
そもそも湖やその周囲の森は“命”の器であり、その中に立つ人の“命”を包み込み、飲み込む存在でもある。そんな自然の持つ圧倒的な“命”の中に身を置くと、人はどこかで“死”を思うようになるのかもしれない。そんな彼らの仄暗い“命”の揺らめきが、この作品の映像には焼き付けられている。
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