私は過去は捨てる派。
残したい思い出だけ残しておく派。
連絡先も同じ。
今連絡とってないなら今後も取らないやろと思って整理している。
周りの人にも私に関わってないのだから、私の連絡先は廃棄してほしいと思っている。
これらは皆、死んでいった者達の生前及びその後を見て確信したこと。
いつか連絡するかも、という「いつか」は来ないし、「連絡しようと思ってた」などという思いの表象は何の意味もなく、「実際に」連絡しているのかしていないのかしか、意味はない。
ほんとにね、
死んでから「良い人だったよね」なんて死んだ当人は何も受けてないから。
良い人だと思うなら、生前に感謝を伝えておけと。
メールでもラインでも手紙でも何でもいいんだから。
そのひと手間すら何十年とかけない連絡先などに意味はない。せいぜい事件の警察からの問い合わせ先くらいだ。
常日頃整理しておけば雑事は少なくて済む。
夫は真逆で
特に捨てる理由ないから取っておく派。
頼むから万が一貴方が死んだら連絡する必要のある人はそうと分かるようにしておいて欲しいとこの間頼み込んで、Google連絡帳にようやくラベルをつけてもらった。
私のGoogleの写真は夫に共有してるのだけど、夫のアカウントで過去の写真を振り返る機会があった。
結婚前3年くらいの写真もわずかながら残っていて、それが本当に面白かった🤣
夫の写真は仕事関係と職場と出張先の写真しかないのに対し、私の写真は遊びの写真しかなかった。
同じ時系列で2人の写真が混在するので、まさしく社畜組とドロップアウト遊び組の闇と光を交互に見るようであった。
暗黒時代から救われて良かったね、としみじみした。二人で足して2で割って丁度よい感じになったのではないかしらん。
私は家庭内では遊び担当ということになっている(らしい)のでそれ以降はちゃんと、楽しい思い出だけ残している。
お互いに付加価値を提供できてて良いじゃないの。これからも写真は厳選して残していくつもり。