公立相馬総合病院の研修医のブログ

被災地医療を支える公立相馬総合病院
http://www.bb.soma.or.jp/~psghjim1/

みんなで山登り

2023年05月23日 | 日記
お久しぶりです、研修医1年目の大浦です。

先日、新入職員+山好きスタッフで新地町の鹿狼山に登ってきました!
毎年の恒例イベントらしいです。

登りはケヤキの森コース、下りは樹海コースの2種類のルートを楽しみました。

初心者でも安全な道のりでしたが、頂上まであと少しというところの坂がとっても急でした!それもそのはず、「鼻こすりの坂」という名前がついているそう。
写真は坂を登りきった同期の谷澤くんと白井くんです。


そしてなんとか予定通り10時ごろに登頂!
軽食タイムということで、味噌汁とおにぎりを食べました。頂上はやや風が強くて、汗をかいた体が冷えましたが、そのぶん温かいお味噌汁がとっても美味しく感じられました。山頂までお湯を運んでくださった方に感謝です。


全員ケガなく楽しく下山しました。
新緑の中でリフレッシュできました✨

企画、準備してくださったスタッフのみなさん、ありがとうございました!
それと行きも帰りも私の荷物を持ってくれた谷澤くん、ありがとう!


それではまた〜

置かれた場所で咲きなさい

2023年05月11日 | 日記
こんにちは!大浦です。
みずみずしい新緑が美しい季節ですね。

GW中盤はとっても暑かったですね。そろそろ熱中症に注意したいところです。
それと、新型コロナウイルスが5類感染症になりましたね。それに伴い病院の対応がいろいろ変更になりましたので、早く覚えて慣れたいと思います。


写真は、GWに松島に行って見つけたシャガの花です。
咲いたら1日で枯れてしまうそうです。

日本に咲くシャガは染色体が3倍体のため、種子を残せないそうです。そのため生息地は自然には広がらず、人為的に植えたとこにしか咲かないとか。
昔そこに誰かが住んでたか、その場所を気に入ってシャガを植えたって想像すると、なんとなく素敵です。


“Bloom where God has planted you.”
「置かれた場所で咲きなさい」

この言葉が好きです。


わたしは今、研修医1年という立場です。
専門的な知識はないし手技もできません。働きはじめて1ヶ月、わたしはどれだけ役に立ってるかなと悩んだりもしました。
でも、任された外来で患者さんにじっくり向き合ってお話を聞くこと、注意されたことは素直に受けとめて教えてもらうこと、スタッフに笑顔で挨拶すること、そういったできることからやろうと思いました。


東日本大震災の原発事故で避難を余儀なくされたとき、わたしはどん底にいました。しかしその状況に置かれたからこそ、生きていることの素晴らしさ、毎日があることの幸せを知りました。配給の塩むすびが楽しみだったし、建物の中で寝れるだけで幸せでした。

どんな悲しい状況にあっても、自分だけの幸せを見つけることができると信じています。

わたしは大きな病気をしたことがないので、患者さんの気持ちがわかりたくても理解しきれないときがあるでしょう。
しかし、不安に寄り添うことはできます。患者さんと一緒に希望を探すお手伝いができる医師になりたいです。



なんか自分語りになってしまって申し訳ないので話題を変えます。


医学部6年生のみなさんは研修先を考え始める時期ですね。
公立相馬では初期研修医を毎年3名募集しています。今年はフルマッチで、同期も先輩も仲良く過ごしています。
先生方がみんな優しいので、どの診療科でも気軽に見学に来てくださいね!お待ちしています。
お会いした時はたくさんお話ししましょう◎

ではまたー!




無事に4月が終わり

2023年04月30日 | 日記
こんにちは。大浦です。

先日、1年目の研修医3人で同期会をしました。

何気に3人だけで会うのは初めてで、話が盛り上がりました。
それぞれ違う診療科をまわっているので、学んだ知識もできるようになったこともみんな違いましたが、お互いのペースでしっかり成長しています💪

公立相馬には研修医室が用意されていて、なかなか上の先生には言えないことも相談し合ったり教えあったりできるのですが、全員がそろう瞬間はそう多くありません。出勤・退勤時間が違ったり、お昼の休憩も少しずつずれてたりするので、ゆっくり時間をとって話したのはこの同期会が初めてでした。

プライベートなことから、医師を目指すようになった理由とかどうしてこの病院を選んだかとか、ちょっと真面目な話題も出たりして。
まだまだ1ヶ月終わったばかり。これから2年間みんなでいろいろ経験していきましょう!よろしくね🙏


さて、
GWが始まったという方も多いのではないでしょうか。
公立相馬の研修医は、基本的に祝日は休みなので私も連休をしっかり頂き、わくわくしています。

私のGW最初のイベントは...
いただいた初任給で両親とランチに行きました。

いまだに反抗期から抜け出せずにいる私は、ありがとうとか感謝の気持ちは一切口にできませんでした😭
こんなわがまま娘を24年間も育ててくれてお疲れ様でした。健康でいてね。

病院スタッフの優しさ

2023年04月26日 | 日記
こんにちは。研修医1年目の大浦です。

今年入った研修医は3人いるのですが、他の2人はちょっと忙しそうなのでまたまた私が書かせていただきます。
その2人をご紹介します。

①白井先生 
秋田大学医学部卒。現在は消化器内科をまわっています。すらっとしててスタイルがいい感じの青年です。苦手な食べ物は梅干しだそうです。

②谷澤先生
福島医大卒。循環器内科をローテート中。ふくよかな体型で、自分がスペースをとっていないか、たまに心配しています。趣味は自動車だそうです。

それくらいしか知らないので、詳しくはそのうち本人たちから自己紹介してもらうことにします。(笑)


公立相馬総合病院で医師として働き始めて4週間目になります。
失敗も多いけれど毎日楽しく生活できているのは、病院スタッフさんをはじめ、患者様のご理解のおかげと思っています。小児科をまわっているのですが、採血のときに泣かずに頑張ってくれるお子さん、新人の私を見守ってくださる親御さん、本当にありがとうございます。検査の時に泣いている赤ちゃんを見ると私も泣いてしまうの、そろそろどうにかしたいです。
おとといは、新しいスクラブを着ていったら看護師さんたちが気づいてくれて、先生のスクラブ可愛いってたくさん言ってもらえました。今日は、お昼ご飯を完食しただけで、ちゃんと全部食べてえらいね!と指導医に褒められました。こんなに甘やかされていていいんでしょうか。
厳しくされるとけっこうへこんでしまう私にとっては、とってもありがたいことです。早く病院の戦力になれるように頑張りたいと思います!


それではまた🫶

投稿さぼりすぎました...

2023年03月22日 | 日記

お久しぶりです。2年目研修医の堀内です。

そろそろブログを書こうと思っていたら今月で研修医も卒業です。2回目の投稿がラスト投稿になるとは...

2年間相馬ではたくさんの経験をさせてもらいました。まとめて2年間分の報告をします。

 

プライベートではずっと夢に見ていた猫を飼いました。

 

ラグドールのハウルくんです。王子様みたいにきれいな子なので某国民的アニメから名前をつけました。おっとりとしていて、露骨にいやそうな顔をされますが抱っこもできます。なぜかニャーと鳴けず、ぴぎゃっとよく言ってます。かわいいです。

 

 

ベンガルのレオくんです。きれいなヒョウ柄が自慢です。ヒョウは英語でレオパードなのでレオくんにしました。この名前のせいで流行っていた「レオ」という曲が泣けてくるので聞けません。いたずらがすごいです。爪切りは戦争です。かわいいです。

 

働いている間にさみしくないように2匹で飼い始めましたが、あまり仲良くないので毎日ケンカしています。

 

 

おまけですがハリネズミのたわしちゃんです。学生のころから飼っています。そろそろ寿命のはずですが元気です。かわいいです。

 

 

 

ペット自慢はここまでにして...

ブログを見ている方の中には研修先を迷っている学生さんも多いのでPRもかねて2年間の研修を振り返ります。

 

・1つの科に研修医は1人

1人しかいないため指導医の先生が自分のことをしっかりと指導してくれます。働き始めは自分のことに精一杯だったので周りのペースに振り回されないことがすごくよかったです。むしろ私の学年は個性が強い3人だったので指導医の先生たちを振り回す側だったかもしれません...笑

 

・自由な関連病院での研修

私は志望科が決まっていたので、将来に合わせてローテーションが組めること、複数病院で志望科を研修して比べられることは大きな魅力でした。実際に関連病院で研修してみて、同じ科でも病院や地域が違うと全く雰囲気や診療内容が異なっていて、後期研修の科を選ぶのに見方がかなり変わりました。また、自分の病院で働き慣れてきたあたりに外病院でほかの研修医と働くことは大きな刺激になりました。

小さな病院なので足りない分野もたくさんあります。それを関連病院でカバーできる研修プログラムのおかげで将来につながる研修ができました。

 

・温かい雰囲気

公立相馬で研修して本当によかったと思える一番の理由です。

冗談を言い合ったり、朝の出勤時間勝負をしたり、熱心に指導してくれる指導医の先生たち。当直中や外来の空いた時間に世間話をしたり、分からないことをこっそり教えてくれたり、お菓子をくれた看護師さんたち。娘みたいなもんだよ~と廊下で会うといつも声かけてくれた技師さんたち。季節の果物をいつも机の上に置いといてくれる掃除のおばちゃん。気が利いて私たちのわがままをいつも聞いてくれた事務や秘書の方たち。

その他のスタッフにもたくさん助けてもらって育ててもらいました。ただの研修医ではなく一人の人間として見てもらえることで、私も病院の一部として頑張ろうと思えました。

 

 

自分が研修病院を選ぶときに印象に残っている言葉があります。

「ハイパー病院にもさぼっている研修医はいるし、ハイポ病院にも頑張っている研修医はいる。自分が頑張れる環境が何かをきちんと決めて選ぶことが大切で、それが忙しさでもいいし、指導体制でもいいし、何なら病院のきれいさや都会にあるかでもいい。」

このブログで学生の方たちが自分が頑張れる要素を考えるきっかけになれば幸いです。私はこの病院だからこそ自分のペースで頑張れたなあと心から思います。

 

 

最後になりますが、2年間たくさんの人に支えられながら、たくさん失敗をして、成長もして初期研修を終えることができそうです。本当にお世話になりました。

来年からは福島県立医科大学の形成外科医として働きます。相馬の研修医として恥ずかしくないよう奮闘します。

2年間で相馬が大好きになったのでまた遊びに来ます。ありがとうございました。


早一年

2022年03月12日 | 日記

初めまして、研修医1年目の風間と申します。

研修医になり、もうすぐ一年の月日が経ってしまいます。若輩でありますが、年々一年立つのがあっという間に感じてしまいます。医師として私なりに成長できた一年であったような気がします。

相馬で過ごし、色々なお店に訪問させて頂きました。見出し画像はその中の一店舗の写真です。その他にも良い店は沢山ありますので、相馬に来た際は是非色んな店を開拓して行って下さい。

 

最後に、来年は新しく2人の研修医の先生が働くこととなります。未だ未熟な私たちですが、どうぞよろしくお願い致します。


釣りに来ていた場所が職場に

2021年09月05日 | 日記

はじめまして。2021年の4月から研修医をしています堀内です。

ブログを更新して欲しいと言われ続け約半年…時間があっという間に過ぎる日々です…笑

 

ブログというものを書くのは初めてです。まずは自己紹介させていただきます。

出身は茨城県の土浦市です。今は土浦市になりましたが、合併前は村でしたので田んぼと動物と虫に囲まれて大きくなりました。

 

大学は福島県立医科大学で水泳部に所属しておりました。部活の先輩、後輩と釣りをたまにしていました。この釣りが相馬との出会いです。

大学の4年生になり、1週間の地域実習先を選ぶ際「釣りでなじみもあるし、相馬にいったら美味しいお寿司食べられるかな」という邪な気持ちで公立相馬にしました。そんな私でも温かい先生たちが指導してくださり、たくさんのご飯とお酒をご馳走してくれました。(早くコロナが落ち着いて飲みに行きたいものです…)

 

1週間の実習で1番印象的だったのは、研修医の先生たちです。恥ずかしながら研修病院である事も知らずに選びましたが、当時の研修医の先生方は優秀な上に1人の医者として熱心に働いていました。

「大きな病院じゃなくてもこんなに優秀な人はいるし、こんなに沢山のことを学べるんだ!」

沢山のことを学ぶなら大きな病院でバリバリ働かなきゃ!と思っていました。中小病院での研修のイメージがガラリと変わったのを今でも覚えています。

 

 

思い出語りが長くなりました。今は温かい雰囲気の中毎日楽しく働いています。同期3人仲良くご飯に行ったり…先生方からたくさんのことを教わったり…診療や自分の進歩に悩んだり…

最近は看護師さんや技師さんなどに話しかけて貰えることが増えてスタッフの一員になれたような気がしています。私は田舎出身なのもありこの温かい雰囲気が大好きです。

 

最後になりますが、2年間よろしくお願いします。これから定期的にブログを更新したいと思ってますのでお時間ある時はぜひ。

写真は個人的に気に入ってる公立相馬の診察券のロゴです。笑

 


相双の一医師

2020年04月03日 | 日記

改めましてはいどうも2年目の中川です。

相馬での研修も本当に最終日となりました。

結局投稿をしている余裕がなく、毎日バタバタしていて慌ただしい毎日でした。

家の中の家具がなくなりがらんとした2年間暮らした部屋を見ると、もうここを離れるという実感がやっと湧いてきたと感じます。

研修医室にあれだけあった本も全てダンボールの中となり、机もがらんとしています。

この3週間ほどで常磐線全線開通という、9年ぶりの出来事がありました。当面は各駅停車?運転(スーパーのとれた「ひたち」)だけですが、仙台から海側を通ってとうとう電車でも品川まで直通で行けるようになりました。昨今の騒ぎが収束したら関東から電車で相馬まで来れたらいいなと思います。私がここに来た時から計画されていたことですので、開通したこと自体が時間が経ったんだなと感じさせてくれます。

私自身は5年近くは相馬にいたのだと感じていますが、実は2年でしたというのが率直な感想です。それくらい相馬での、相双地区での時間は、本当に充実した時間だったと思います。私にとっては第3の故郷です。帰ってこられる場所だと先輩にもお世話になった方々にも言っていただきました。

私は小児科として研鑽を積むべくこの土地を離れ、関東に向かうこととなりました。この業界は異動が付き物ですので、特に若いうちは基本的にずっと同じ場所ということはないので特別なことではないのですが、やはり名残惜しく感じます。これが土地への愛着なのだなと感じます。寂しさは大きいですが自分で道を切り拓き前に進むのみと考え、やるべきことを果たせればと思います。

私はこの公立相馬でこの病院の全スタッフの方々に育てていただいたと確信しております。すべての基礎を叩き込んでいただきました。前回書かせていただいた通り同期はいませんでしたが、それを差し引いても余りある「縁」を得ました。この「縁」は決して色褪せません。私も今となっては相馬の、相双地区の一員と思わせていただいております。これからもこの「縁」はこの地で脈々と続いていくと願っています。そしてこの相馬で、相双地区で学んだ人間がどこまでやれるのか、それを絶えず示しこの土地で学ぶ意義を示し続けることが私のこれからやらねばならないことだと信じています。

言うは易し、行うは難し、しかし言わねば現実にはなりません。言う以上はその言葉を現実にするべく動くのみです。言葉で終わるだけならばそれは傲りに過ぎません。これを傲りで終わらせない、その決意の元いつかこの恩に報いるべく、私は全身全霊を込めて精進していく所存です。何度転ぼうと、どんな困難があろうとこの先を見据え、この土地に未来があると信じて。

改めまして2年間本当にお世話になりました。お世話になったすべての人たちの今後の御多幸を祈念しつつ、最後は一年前の写真ですが中村神社の桜、原町萱浜の菜の花で終わりにしたいと思います。相双にもこんな景色がある、これを見るためにここに来る、そんな人の流れもこれからできてくれると願っています。

公立相馬総合病院 初期臨床研修修了 中川良太


最後の投稿の前に…

2020年04月03日 | 日記

最後の投稿がなんで4月過ぎてるの?

と私自身が聞きたくなるそんな状況ですが、私自身の土地への愛着のせいなのか2年間基本的には健康に過ごしていた私が最後の最後で入院しました(^^;;

(コロナではありません)

我ながら何をやってるんだかと思いますご迷惑をおかけしました皆さま、大変申し訳ありませんでした。新年度からお世話になる病院にも大変ご迷惑をおかけすることになってしまい反省至極です。後輩の皆さま、健康にはくれぐれもお気をつけください。

 

やっと晴れて退院になりましたので最後の投稿をさせていただきます。


~もう3月ですね~

2020年03月08日 | 日記

もう例のごとくですが半年くらいぶりの投稿になります、2年目の中川です。

台風の後はお隣の南相馬で大変お世話になったりといろいろありましたが、とうとう私の初期臨床研修は残り約1か月となりました。研修医にはレポートという義務があり、それに追われること6週間ほど・・・どうにか終わる見通しが立ってきました。何といっても2020年1月の段階でのこり20枚以上(全体で32枚)という状態だったので・・・私の1つ下の学年まではレポートが義務ですので、ぜひとも後輩たちは計画的に・・・とはいってもみんなどちらかというと最後に慌てるタイプに見えますので、私と同じ道を歩む気がしますね、あらかじめドンマイとでも声をかけておきましょう(*´Д`)

まぁ2年下の後輩たちからはレポートの義務がなくなるようですので、やっと無理に学生の延長のようにレポートを求めてもしょうがないということにどこかの誰かさんが気づいたのですかね。良いことです。

ということでレポートの終わりも見えてきたので、もうそろそろ私もこの2年間を振り返る時期が近付いてきたのだと感じます。この2年間は当初から思っていた通り、医者としての基礎を身に着けるための期間だったと思います。私の同級生でもブランド病院に行った人たち、周囲から見たら少し変わった選択をした人たち、大学に残った人たち含め色々な選択をした人たちがいましたが、では良い研修とは何だったのでしょうか。結論から言うと私が研修医として過ごした公立相馬、南相馬市立、福島医大以外の情報は結局のところ入ってこない(他の病院の研修医と交流しても内情はよくわからない)ので他院との比較はあまり意味はなさない(どちらかというとできない)と思います。結局終着点で自分次第が納得できるかどうかじゃないかと改めて思います。私も自分にできたこと、できなかったこと、思った通りだったこと、そうでなかったこと数え上げればきりがありません。けれどもどこに行こうと最後に納得できるなら良い研修だったんじゃないでしょうか。終わってみればそうとしか言いようがありません。

私には同級生がおりませんでした。つまり同級生と切磋琢磨ということは物理的に不可能でした。結局のところ自分が今どのような立ち位置で、何が明らかに足りないのかを考えるための客観的な対象がおらず、手探りで足りないものを外に求めに行くしかありませんでした。10回ほど学会や講習会等に参加させていただき外の空気も吸わせていただきました。これからもこの制度は続いていきますので、どこかに必ず1人研修医が誕生することもあると思います。ですが同級生がいないところに行くならばそれ相応の覚悟を持つ必要があります。果たしてライバルがいない環境下で自分に厳しく、易きに流れずにいられるか、その覚悟が自分にあるのか自問自答した上で進まなければなりません。こればかりは本当に自分次第だと思います。自分がどこまでできるのか自分に問いただしながら過ごすことは結構大変です。

・・・なんだか堅苦しい文章になりましたね。反省です。

けど本当に色んな人と接することは、そこで「縁」を持つことは、すごく大事だと思います。同級生はもちろん大事だと思いますが、この土地の諸先輩方、他の土地で研鑽を積んでいる方々、自分の信念で突き進んでいる方々、地に根を生やし歩んでいる方々・・・いろいろな方々にこの2年間で出会いました。これは私が生まれ育った土地とは違う環境に行くと決めた結果得た、最大の成果です。決して色褪せない大きな財産です。

まだ最後の投稿にはしないつもりですので、今回はこの辺で。

後輩のKが写真のネタは私以上に持ってきてくれるはずですので、私の今回の1枚は軽めに鹿狼山からの1枚にしておきます。私の今年の初詣は鹿狼山でした。「日本一早い山開き」がキャッチコピーです。皆様ぜひお立ち寄りください(^^♪


見るためにぼかすということ

2020年02月25日 | 日記

昔からカメラが好きで、お年玉で買える程度のカメラをよく持って撮っていました。

当然性能もそれなりで、画素数は低いし、マクロは取れないし、夜景がとれないなんてのはざらでした。

それでも携帯でとるよりかは幾分か綺麗にとれたと思います。

それも昔の話。

昨今のスマホについているカメラの性能はすさまじいもので、単純にとるだけならそこらへんのコンデジ(コンパクトデジタルカメラ)と大差無いと思います。

撮ってすぐに人やSNSに送れる手軽さも魅力です。

 

ではわざわざカメラを持つ魅力とはなんでしょうか。

その1番はボケみにあると自分は思います。

たとえば下の金の生る木の花やオオイヌノフグリの花は手前にぴんと合わせて奥をぼかすことでより花を際立たせています。(アップロード容量の関係で画質おちているの悲しい・・・)

 

こういった芸当はスマホカメラではまずできないものです。最新のスマホだとデュアルカメラやトリプルカメラなぞもついていてそれ風に見せることはできますが、ピントから奥にいけばいくほど自然にボケるような写真はその機序から撮りがたいです。

また夜景に強いのはもちろんのこと(水族館の撮影も強い)、シャッター速度をいじることで同じ視点でも変わった画をとることが出来ます。

ほぼ同じ構図でシャッタースピード短くした場合と長くした場合で下のように滝が玉のようにみえるパターンと、一本の水がつながって勢いよくみえるように撮ることもできます。

 

微妙な調整はもちろん必要ですが、身構えなくとも気楽にとれるのも大きな利点ですね。

ちょっとしたカメラを持つだけで、身近なものでも特別に映ったり、あるいはより綺麗に、あるいはより面白く、形として思い出に残せるのは楽しいことだと思います。みなさんもカメラどうでしょうか。

 

当直待機中 K


たくさんのご支援・これからの支援 台風19号

2019年10月20日 | 日記

どうもご無沙汰しております。研修医2年目の中川です。

実に4か月ぶりの投稿ですね。別にサボってたつもりはないのですが・・・

さて台風19号の来襲から約1週間が経過いたしました。

東北地方では相馬市の隣の宮城県丸森町でも甚大な被害となっており、福島県内でも主に中通りで多数の死者を出すなど大きな被害が出ています。特に阿武隈川流域の被害は全国的に報道されているため皆さんご存知の方が大多数でしょう。浜通りではいわき市の被害が全国的に大きく報道されていたと思います。

当院の所在する相馬市も宇多川の氾濫に伴い市内の広範囲で浸水の被害を受け、市内全域が約1週間にわたり断水となりました。しかし全国的な報道はあまりされていない印象を受けます(土地柄目立たないからでしょうか・・・?)。

断水という状況に私は生まれて初めておかれました。一番困ることは何でしょうか・・・そう、トイレです。ネットで「トイレ 断水 流し方」と検索すると「まずバケツで6-8Lの水を勢いよく流し、その後3-4Lの水をゆっくり流す。つまりを防ぐため2-3回に一度は12Lくらいの水で流す」と書かれています。1回で最低でも10L程度の水が必要になります。しかも「風呂の残り湯は避けるように」とも書かれていました・・・ただし実際に断水になってみるとそんなこと言っている余裕は全くありません。断水が前もって分かった場合は必ず風呂桶に水をためておく(これで200L近い生活用水を確保できる)こと、これは絶対にやらねばなりません(私は断水の知らせを受けたとき仕事中であったため水を貯められませんでしたが・・・)。

水を「貯めるための容器」もいざ追い込まれてみると家にありませんよね。皆さんはお持ちでしょうか。断水になると赤いポリタンクが市内はおろか、宮城県南部まで広範囲に店から姿を消し、水のペットボトルも姿を消しました。常磐道が相馬市と仙台をつないでくれているおかげで、足がある人たちは断水地域外に買い物に行けたので外の地域のスーパーでも一部の商品が品薄になりました。また相馬市への物流も基本的には保たれていたため数日もすればスーパーでは普段と変わらず買い物ができました。どれもこれも交通網が遮断されなかったおかげです。逆に足(相馬では車)を失う、道路が寸断されるという状況がどれほど自分たちの生活に大きな影響を与えるのかを想像すると・・・身震いします。私は2Lペットボトル15本と同居していました。中身は生活用水で、家中にあったペットボトルをかき集めてこれです。ゴミの日に捨ててしまっていたらどうすることもできなかったと思います。トイレ2回分+α程度の水を常備して、使ったら最初は隣町の湧水を汲みに、途中からは市内の給水所に水を汲みに行きました。飲料水はたくわえが少しはあった、買い物に行けたので何とかなりました。この状況に置かれ、飲料水と生活用水は別物と考えなければならないと知りました。改めて「いつ自分の身に降りかかるか分からない」まさにその通りだと思います。備えること、避難することの重要性を今回の台風19号で身をもって学ぶこととなりました。

また病院は本当にたくさんの水を使います。血液検査も手術室も血液透析も、本当にたくさんの水を使います。水を絶たれると、病院は途端に社会インフラとしての側面を果たせなくなりかねません。病院の水に関しては自衛隊の方々のご尽力により何とか病院を維持できる分の水を確保していただきました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。本当にどうもありがとうございます。

そして相馬市内でも宇多川の氾濫のため多くの家屋が浸水により甚大な被害を受けました。今まさに片付けの真っ最中です。相馬市には10/19は雨の中54名、10/20は82名のボランティアがいらっしゃったとのことでした。お越しいただいた皆様本当に、本当にありがとうございます。また丸森町のツイッターでは10/20は489名のボランティアが集まったと書かれていました。全国から被災地域へ助けに来てくださっていること非常にありがたく思います。なお、相馬は報道が全国的にはされていないことや甚大な被害を出した丸森町やいわき市に囲まれているためなのかボランティアの人数がどうも少ないようです。今回の台風では被害の範囲が広い分、各地にボランティアとしていらっしゃっている方々はたくさんいらっしゃると思います。もし可能ならばあまり全国的には報道されていない地域にもボランティアとして来ていただけると非常にありがたいです。報道のスポットライトが当たっていない地域でも大きな被害が出ていると考えられますので・・・もちろん相馬にも来ていただけると非常にありがたいです。こんなことを言う以上は私も微力ながら何らかの役に立てればと思っております。

最後になりましたが、改めまして今回の台風で被災された地域の早期の復旧を心より祈っております。


台風19号を受けて

2019年10月16日 | 日記

皆さんいかがお過ごしでしょうか。そしてご無事でしょうか。

台風19号の被害が各地で見舞われていますが、相馬市と当院の状況を簡略にお話したいと思います。

まず相馬市のほぼ中心をとおる宇多川が複数個所で越水し、場所によって浸水被害が多数でています。

また真野ダムから相馬市に走る導水管が破損したとのことで市内全域で断水になっております。

他、新地町や鹿島でも断水が続いている状態です。(原町は場所によりけりだとか…)

いつ復旧するかは未だ未定のようです。

 

当院でも断水の影響強く、日曜日などは満足に血液検査も行えないような状態でしたが今自衛隊の協力を得ることができて十全とまではいかなくとも機能的にはほぼ正常まで復帰したと思われます。

本日の16時に相馬市福島市をつなぐ復興道路が再開通したようで、水供給も市内でもちらら再開したとか?確認できてないのであくまで噂の域ですが、いち早い復旧を願っております。

どこもかしこも大変ですが、こういったときこそ心にゆとりをもって行動していきたいものです。

 

研修医 k

 

 


相馬に戻ってきました。

2019年06月16日 | 日記

はいどうも、お久しぶりです。

研修医2年目の中川です。今年に入ってはじめて、やっとの思いで相馬に戻ってまいりました。

5月上旬に投稿させていただいたように、私は5月の間只見町国保朝日診療所で研修をしておりました。

私が只見で感じたことを今回は書かせていただこうと思います。

只見町、私のいる相馬からは片道で4-5時間は間違いなくかかります。相馬で聞いても、「行ったことがない」という方々が大半ですが、逆に只見町で相馬の話をしても「行ったことがない」という方々が大半でした。改めて福島県ってデカいんだなと思いました・・・なんなら相馬と只見を行き来するよりも東京の方が近いという現実がありますので( ´∀` )。

只見町は面積として神奈川県がすっぽり収まるレベルの面積を誇るにもかかわらず、人口は約4000人とひじょーに人口密度が低いです。めちゃくちゃ広いので車がないとまず生きていけません。食糧確保も21:00を過ぎたら原則不可能になります。スーパーは19:00に閉まります。24時間営業のコンビニまで片道最低でも1時間かかります。これを読んでいる都会の方々、想像できますか。

これだけだと只見には何にもないってことをただ言っているだけになりますね。けれども只見には見渡す限りの山々とこの時期なら新緑、澄んだ空気、信じられないほど美しい星空があります。只見で見た星空は人生で見てきた景色の数々の中でも指折りの美しさでした。なお星空を撮れるようないけてるカメラは持っていないので写真はありません(^^)/。日常に自然が当たり前のように入り込んでくる環境はこの国にどれくらい残されているのか私にはわかりませんが、本当の宝物ってこういうことをいうのかなと思います。この環境で育てる子どもたちはきっと心のどこかにふつうには得難いものを得られるんじゃないかなと感じます。

ちなみに只見町の年間出生数はせいぜい20-30名とのことでした。亡くなる方が年間100名とのことなので人口は緩やかに減少しています。生まれる数も年々減っています。小学校は町に3つ、中学校は1つ、高校も1つとのことでした。たしかに子供は少ない、とてつもない高齢化を見つめる、日本の未来といえばそうでしょう。それでもそこに人の営みがある限り、その土地はどんな形でも後世に残せるんではないかと信じています。これだけの自然を抱え、育む土地は他にそうそうありません。

自然について語るだけでは病院のブログとしては好ましくないですかね。地域医療研修という形で勉強させていただいたので、地域医療研修について。私にとって地域医療研修はその土地を学ぶということだと思います。いや、地方で研修をすること自体がその土地を学ぶという側面を多く含んでいると感じます。私は本当の意味で僻地と言われる土地、中でも本州にある僻地と呼ばれる土地を実際に目で見たいと考え只見に行かせていただきました。私は学生時代に奄美大島の瀬戸内徳洲会病院という徳洲会系の病院に見学に行かせていただき、離島の医療を少しだけ見させていただきました。今度は離島ではありません。3次医療機関まで陸続きです(一応)。片道約2時間という他にはない環境がありました。離島ではドクターヘリのみならず、自衛隊のヘリがバンバン使われているとのことでしたが、こちらは制度やらの都合でヘリは日中のみしか使えません。天気が悪くても使えません。町の中に1台しかない救急車で必要時は片道2時間かけて、往復では5時間かけて会津若松に運びます。医療体制がどうなっているのか、どういう人を若松に運ぶのか、この土地にはどんな人が住んでいるのか、何が無くて何があるのか現地にいて初めて学び得たことはいくらでも出てきます。逆にそこで暮らしてみなければ、知ることはなかったといえることが山のようにあるんです。1か月間山に囲まれて暮らしただけに。

あんまりお堅いお話をしてもあれですよね。とりあえずそろそろ今回の締めに入ります。本当に現地では診療所の方々をはじめ、現地の方々、東京からたまたまいらっしゃっていた方々と本当にいろいろな方にお世話になりました。帰るときにここまで名残惜しいと感じるとは正直思っていませんでした。なんとお礼を言っていいか分かりません。では最後に只見町で撮った写真の内の二枚を。ダムを見おろす景色、そしてダムの上の雲海、車道から見える絶景で終わろうと思います。また只見に行きます!ではまたそのうち。

 


比較的早めの投稿

2019年05月02日 | 日記

はいどうも、研修医2年目の中川です。

さてと今年度は少しはちょっとはブログを書くかと思って見てみたら後輩たちがブログを書いてくれているではありませんか!非常にありがたいことですね。

愉快な仲間たちが増えてくれてありがたい限りです。

さてと基本的に毎回ネタに困るのですが、私個人としては永らく続いていた外病院での研修がまだ終わらず今度は只見町国保朝日診療所での地域医療研修が始まります。

ちなみに当院には関東から「地域研修」としてやってくる研修医が毎年数名いらっしゃいます。外からの風は間違いなく我々にとっての刺激にもなりますし、基本的には楽しんで帰っていただけると思いますので(特に飲み会)いいものだと思っております。

そして来月は福島県内の研修指定病院から研修医が地域研修として当院に来てくれるようです。福島県内の病院相手でも相馬って地域研修の指定を受けられているんだ( ̄▽ ̄)っていうのが私の率直な感想ですが、ぜひとも楽しんで帰っていただければと思います(先述の通り私はいませんが)!

以前にも書かせていただきましたが、当院の所在する相馬および相双地区は県内の人たちにとっても「どこ?」って言われるレベルの知名度です。福島県の海はいわきの小名浜が基本的には最初に出てきます。せめて福島県民くらいには相馬がどこにあるか知ってもらえればと思っています。

ちなみに私がこれから向かう只見町ですが、これまた相馬から片道5時間という凄まじいところにありますっていうよりも福島県がデカすぎる昔あった大船渡出身で盛岡の大学に行った人の気持ちがわかるようになる日がきてしまうとは

ちなみに高度救命センターまで片道2時間くらいかかるのは離島を除けばここと岩手の三陸海岸沿いくらいに限られるらしいです。

ちなみに私は今まで只見町に行ったことはありませんでした。けれども希望を出して行かせていただけることになりました。地域研修は初期研修医の義務で、関東の病院を含め色々な病院が北海道や沖縄の病院に行けることを売りにしています。別のやり方としては自分の研修病院の所在する地域の開業医のところに見学に行ったり、往診クリニックでの研修をする人もいます。病院もしくは診療所の規模は様々ですが、自分のいる研修病院から飛び出していくという面ではいいものなのかもしれません。もしこれを読んでいただいている方には外に出て行く、自分が普段居ないところに行くことは本当に大切だとお伝えしたいくらい大事なことだと私は思っています。

私はその中で今まで行ったことのない、本当の陸の孤島と思しき地域に行ってきます。(一応島嶼部の病院、診療所には見学に伺わせていただいたこともあるんです。)

感想、経験については後日にまた投稿させていただきますが、やれることをしっかりと、学べることを全て吸収させていただいてから相馬の地に戻ってきたいと思います。

ちょっと遅れましたが元号が変わりましたね。心機一転にはちょうどいい!

やってやるぞ、おー!