公立相馬総合病院の研修医のブログ

被災地医療を支える公立相馬総合病院
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相双の一医師

2020年04月03日 | 日記

改めましてはいどうも2年目の中川です。

相馬での研修も本当に最終日となりました。

結局投稿をしている余裕がなく、毎日バタバタしていて慌ただしい毎日でした。

家の中の家具がなくなりがらんとした2年間暮らした部屋を見ると、もうここを離れるという実感がやっと湧いてきたと感じます。

研修医室にあれだけあった本も全てダンボールの中となり、机もがらんとしています。

この3週間ほどで常磐線全線開通という、9年ぶりの出来事がありました。当面は各駅停車?運転(スーパーのとれた「ひたち」)だけですが、仙台から海側を通ってとうとう電車でも品川まで直通で行けるようになりました。昨今の騒ぎが収束したら関東から電車で相馬まで来れたらいいなと思います。私がここに来た時から計画されていたことですので、開通したこと自体が時間が経ったんだなと感じさせてくれます。

私自身は5年近くは相馬にいたのだと感じていますが、実は2年でしたというのが率直な感想です。それくらい相馬での、相双地区での時間は、本当に充実した時間だったと思います。私にとっては第3の故郷です。帰ってこられる場所だと先輩にもお世話になった方々にも言っていただきました。

私は小児科として研鑽を積むべくこの土地を離れ、関東に向かうこととなりました。この業界は異動が付き物ですので、特に若いうちは基本的にずっと同じ場所ということはないので特別なことではないのですが、やはり名残惜しく感じます。これが土地への愛着なのだなと感じます。寂しさは大きいですが自分で道を切り拓き前に進むのみと考え、やるべきことを果たせればと思います。

私はこの公立相馬でこの病院の全スタッフの方々に育てていただいたと確信しております。すべての基礎を叩き込んでいただきました。前回書かせていただいた通り同期はいませんでしたが、それを差し引いても余りある「縁」を得ました。この「縁」は決して色褪せません。私も今となっては相馬の、相双地区の一員と思わせていただいております。これからもこの「縁」はこの地で脈々と続いていくと願っています。そしてこの相馬で、相双地区で学んだ人間がどこまでやれるのか、それを絶えず示しこの土地で学ぶ意義を示し続けることが私のこれからやらねばならないことだと信じています。

言うは易し、行うは難し、しかし言わねば現実にはなりません。言う以上はその言葉を現実にするべく動くのみです。言葉で終わるだけならばそれは傲りに過ぎません。これを傲りで終わらせない、その決意の元いつかこの恩に報いるべく、私は全身全霊を込めて精進していく所存です。何度転ぼうと、どんな困難があろうとこの先を見据え、この土地に未来があると信じて。

改めまして2年間本当にお世話になりました。お世話になったすべての人たちの今後の御多幸を祈念しつつ、最後は一年前の写真ですが中村神社の桜、原町萱浜の菜の花で終わりにしたいと思います。相双にもこんな景色がある、これを見るためにここに来る、そんな人の流れもこれからできてくれると願っています。

公立相馬総合病院 初期臨床研修修了 中川良太


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