文殊の地にある玄妙庵。
先日俳句を紹介した、赤地のマッチラベルに出てきた宮津繋がりです。
玄妙庵の前身は、なかや旅館といったらしい。
大正3年に宮津から文珠の地に移り、そして大正9年に別館掬翠荘ができ、
昭和12年にはなかや旅館の別館として玄妙庵が出来たそうです。
終戦間近になかや旅館がなくなり、戦後は玄妙庵と玄妙庵別館掬翠荘とで営業してきたそうです。
問い合わせに丁寧に答えていただきました。
「政府登録国際観光旅館と書かれてあることから、
お尋ねのマッチは玄妙庵が第27号政府登録国際観光旅館として誕生する
昭和29年前後のお品かと存じます。」ということです。
昭和39年には東京に出て、父は明法学院で教師をしていましたから
諏訪の清陵にいたときなのか、明法で先生方と出かけたのかは
定かではないですが・・・。いずれにしろ昭和30~40年あたりの物なのでしょう
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