素敵なホテルに泊まると何かしら印象に残るものがあって、
その印象を家に持ち帰って活用したりするものですが、
印象に残ったのが化粧室にあった「拡大鏡」ということがありました。
この感想は、ホテルの人が聞いたら意外でおどろくかもしれませんね。
建材のこだわり、内装のこだわり、収納のこだわり、
至る所にさまざまな趣向が施されているなかでの拡大鏡は、
言ってみれば「ちょっとした配慮」だったかもしれません。
ですがそれが、その日そのときの私には響いたのです。
拡大鏡は顔の細部まで見えることに驚いただけでなく、(笑)、
もちろんそれにも驚きましたが、
拡大鏡があったことで初めて、「暇に飽かして」自分の顔をじっくり観察しました。(笑)
もちろん、身だしなみを整えるために鏡は毎日見ています。
鏡は誰でも見ているでしょう。
ですがそもそも、自分の顔って見たことはないでしょう?
服は見えます。手足も見えます。他人の顔も見えるのに、自分だけは、自分の顔を一生見ることができません。
幽体離脱したときも大して見えませんでした…(笑)
自分の顔は鏡に映してしか見えない。
それが面白いなあ、不思議だなあと、気づいた。
自分の顔を見ることができない。これがエゴのひとつの要因かもしれないですね。
ホテルの拡大鏡に映る自分の顔を、初めて見るもののようにしげしげと観察したわけです。(笑)
拡大鏡の気づきが面白かったので、「女優鏡」をネットで注文して、(笑)
自宅でもインテリアのように机の上に置いて愛用するようになりました。
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本当に必要なもの、好きなものを手元に残す一点主義を貫く片づけの中で、
「拡大鏡」は残したのが自分でも笑えます。
先日、会期終了直前滑り込みで行った千葉県立美術館のZOZOのコレクション展で、
子供たちの描いた自画像と、自画像を描いている子供たちのワークショップの映像を見ました。
素敵な作品展でしたし、手鏡で一生懸命自分の顔を見て描いている姿も作品のようでした。
誰もが見たことのない自分の顔ですが、自画像になると本人にも等しく見えています。
また、<今このとき>を描いた作品も、どんなに若い画家が描いた作品も、すべてが一瞬で過去になりますが、今が過去との対比で描けるのが抽象画です。
ギャラリーで抽象画家/書家篠田桃紅の特別企画展のスタッフをしたことがあります。
「人生は一本の線」と語った篠田桃紅はひとつのキャンバスに過去現在未来を表現しました。
抽象画が面白いのは、画家の時間だけでなく、見る人の時間も凝縮され増幅されることです。
時間が止まると同時に増幅される。
ジャクソンポロックもピカソも、抽象画でない初期の作品も好きです。作品を時系列で丹念に鑑賞することで抽象画に浮かび上がって見えてくるものがあります。
目覚めのルートは人によってさまざまでしょうが、私は音楽や絵画の芸術鑑賞を重ねたところで、
通過儀礼のようなものを経験しました。おかげで豊かな人生となりました。いろいろな出会いに感謝です。
💓今日も、最後までお読みいただきありがとうございました💓